「……クルッポー」
「くぁ! くぁ!」
日が高く昇り、木々の間から差し込む陽射しが森を照らすころ。
洞窟の奥では、ほんのり涼しい空気に包まれながら、小さなきのみの山が、前に置かれる。
「くぁぁ!」
ピンク色の羽毛を揺らして、ピンクベルドリのユキがきのみをシャクシャクとかじる。
甘酸っぱい果肉の味に目を細めて、満足そうに食べていく。
「……クルッポー」
「くぁ」
あれから――
ピンクベルドリのユキと、黒ベルドリのヒロユキは、“魔物としての生活”に少しずつ慣れてきていた。
朝がくれば、ヒロユキが黙々と森に出て、きのみや小さな魔物の肉を持ち帰ってくる。
それをユキに差し出し、自分は少しも食べず、じっと見守る。
夜――
ユキがひとり寂しそうにしていると、何も言わず、ヒロユキがそっと隣に身を寄せてくれる。
羽の温もりが優しく伝わり安心できた。
ときに森の奥から現れる、凶暴な魔物たち。
その牙がユキに向いた瞬間――
ヒロユキは一切のためらいなく、敵の前に行き、鋭い爪で撃退してくれる。
雨の日。
洞窟の冷気に震えていたユキに、ヒロユキはどこからか古びた毛布を持ってきてくれた。
ボロボロで、ちょっとだけ臭かったけど……それでも、その布のぬくもりと、風除けになるような位置に何も言わずに座るヒロユキに、心がじんわりと温かくなった。
「くぁーっ、くぁ♪ くぁーっ!」
「……クルッポー」
黒い羽のヒロユキは、今日も寡黙に、静かにユキのそばに居続ける。
――気がつけば、ユキの胸の中は、ヒロユキでいっぱいになっていた。
――そして、ついにその日が来てしまった。
「……クルッ」
「くぁ?」
ヒロユキがふと空気の変化を感じ取り、ユキをそっと立たせると、迷いなく洞窟の外――茂みの陰へと連れていった。
「…………」
「くぁ……」
押し黙るヒロユキの隣で、ユキはそっと彼の横顔を見る。
その鋭く洞窟の入口を見つめる視線に、どこか焦りを感じた。
――ヒロユキが、あんな顔をするなんて。
胸の奥が不安にざわついた、その時だった。
待つこと、数分。
「ここだっけな? ベルドリがいるって噂の巣は」
「そうみたいね。さっさと探しましょ」
洞窟の前に現れたのは、装備に身を包んだ冒険者の二人組。
その防具は光沢があり、動きもまだぎこちない。プラチナ級に昇格して間もない、そんな印象だった。
「(人間……です! やった、助けが来たです!)」
ユキは歓喜に羽を震わせ、思わず茂みから飛び出そうとした――
「くぁ!?」
……が、ヒロユキがその小さな身体を押しとどめた。
強い力ではなかった。ただ、確かに「やめろ」と伝える、静かな抑えだった。
「……」
「(? まだ……出ちゃだめ、って……)」
ユキはそのまま、ぴたりと動きを止め、ふたりで茂みに身を潜めながら耳を澄ます。
「それにしても、《平和条約》のおかげでアバレーの《ベルドリの唐揚げ》……だったっけ? あれ、今や世界中で人気の料理だもんな」
「ええ、そりゃそうよ。あれだけ美味しいんだもの」
その会話を聞いたヒロユキが、かすかに小さく鳴いた。
「……クルッ」
――最悪の想定。それが、現実になろうとしていた。
そう、ヒロユキがもっとも警戒していたのは、「人間が、自分たちを狩りに来ること」だった。
魔物同士なら、戦って終わりで済むかもしれない。
だが、相手が“冒険者”となれば話は違う。
もしもここで――
ヒロユキが彼らを倒してしまえば。
「危険な魔物」として名前が広まり、討伐依頼がギルドに出され、次に来るのはもっと強い冒険者。
それを繰り返せば、やがて本当に逃げ場がなくなり――死が訪れるだろう。
「よし、じゃあ……この洞窟の中、ちょっと探ってみるか!」
「いいわね、行きましょ」
軽い調子のまま、冒険者たちはヒロユキたちが暮らしていた洞窟の奥へと足を踏み入れていった。
それを見届けてから、ヒロユキはそっとユキに目線を送り、身を低くして洞窟の外へと向かう。
――逃げるしかない。
人間に対抗しても、殺してしまえば《危険な魔物》として狙われ続ける。
それならば、今はただ静かに去ることが――唯一の道だった。
ちなみに、ベルドリ狩りのコツとしては「最初に気づかれる前に仕留める」ことが鉄則だ。
野生のベルドリは警戒心が強く、少しでも異変を察知すれば即座に逃げ出してしまうためである。
「……クルッポー」
音を立てずに、羽音さえ殺すようにして慎重に洞窟を離れていた。
「くぁ……」
ユキもヒロユキの真似をして、そっと足を運ぶ。
しかし――
「くぁ!?!?」
「……ッ!?」
その瞬間だった。
ユキの足が地面に触れた途端、そこがぐにゃりと沈む。
ずぶ、ずぶぶ――ッ!
「くぁあーっ!くぁっ、くぁあーっ!!」
地面がまるで沼のように変化し、ユキの身体が見る間に沈み込む。
腰まで、一瞬で飲み込まれた。
それは――《落とし罠魔皮紙》。
魔物が踏むと発動し、地面の性質を一時的に変えて飲み込み、一定時間後に元通りに固めてしまう、冒険者には定番の対魔物罠だった。
「くぁっ……くぁあっ!!」
「……クルッポーッ!」
ヒロユキの表情が一瞬で変わる。
しまった――という焦りと共に、彼は必死にユキの周囲の土を足でかき分け始めた。
しかし____
「おっ、かかってるじゃん!」
「しかも二匹。……夫婦かしらね?」
聞き慣れたはずの“人間の声”が、今はとても冷酷に聞こえた。
「くぁっ!?」
「……!」
冒険者たちが戻ってきた。
「お? この黒い方、ピンクのをかばってやがる」
「むしろラッキーね。依頼達成には二匹必要だったし」
「じゃ、さっさと片づけようか!」
その瞬間、男の冒険者が弓を構え、まったく動かないヒロユキへと――矢を放った。
――ビシュッ!
「……ッ!!!!」
ヒロユキの体が激しく仰け反る。
深く突き刺さった矢。血が滲む。
「くぁあっ!!?」
「おいおい、ベルドリのくせに、妙に耐えるな」
「やめて、あまり傷つけないで。値が落ちちゃう」
「……了解。【筋力増強】」
次の瞬間、女の冒険者が呪文を唱え、弓を再び引き絞る。
筋力を増したその矢は、風を裂いて――
――ズバッ!!
再び、ヒロユキの身体に命中した。
「…………クルッ、ポォ…………」
だが、血だらけの身体で、なおもユキを庇い続ける。
「……ク、クルッポー……」
「こいつ……まじかよ!」
さっきの矢は【筋力増強】の魔法を込めて放った。普通なら一撃で沈むはず――
「……っ」
足元に落ちた血が、確かに“深いダメージ”を証明していた。
矢は効いている……にも関わらず、なぜ、こいつは――?
「くぁ……っ!」
ヒロユキは羽を広げたまま、ユキを背にかばうように一歩、前に出た。
「……ちっ、もういい! 頭を斬り落としてやる!」
「援護するわ!」
男の冒険者は剣を構え、一直線にヒロユキへと突進する――
――その瞬間だった。
「――あーちゃん、今っ! 蹴り飛ばして!」
「はーいっ☆」
――ドゴォッ!!!
鋭い音とともに、茂みの奥から飛び出してきた巨大なアールラビッツが、全力の飛び蹴りを男の冒険者に叩き込んだ!
「ぐはっ!?」
まるでボールのように、冒険者の身体が空高く放り出された。