テラーノベル
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柚子は、十二月の匂いだった。
冬至の朝、ことはは工房で柚子の皮を刻んでいた。白い餡に混ぜる。黄色が散る。源さんが隣で、餡の味を見た。箸の先を舐めて、黙る。
「いい」
「はい」
父が、椅子から手を伸ばした。源さんが箸を渡す。父も舐めて、黙った。黙り方が、二人で同じだった。
「正市さんに持っていけ、と言うつもりだったが、本人がここにいる」
「おれの分は、もう食った。氷川の家にも、持っていけ」
父は、椅子に戻って言った。
「冬至だ。柚子は、人にやるもんだ」
ことはは、柚子の菓子を三つ、藍色の紙に包んだ。一つは父に、と思って包んだが、父はもう食べた。残りの二つは、誰のためか決めずに包んだ。父の分も、そのまま袋に入れた。
母が、店先から覗いた。
「氷川さんに、持っていくの?」
「……決めてない」
「決めてない顔じゃないわよ」
母は笑って、店先に戻った。ことはは、紙袋を鞄に入れた。決めていない。決めていないまま。
蓮田が帳場の前に立っていた日から、十日が過ぎていた。封筒は、引き出しにある。全部、ある。向きが違っていただけだ。向きが違っていただけ、と、ことはは十日、自分に言っていた。
◇
屋敷に戻ったのは、二時過ぎだった。
食堂に、遼がいた。
冬至の月曜。店の休みの日の昼に、遼が家にいるのを、ことはは初めて見た。日曜は書斎にいる。平日は五時に出て夜に帰る。それが、この家の遼だった。
「……お休みですか」
「午後は、家で片付ける仕事がある」
遼は、食卓の椅子に座っていた。座っている遼を、ことはは、この家で初めて見た。
ことはは、紙袋から柚子の菓子を出した。三つのうちの一つを、皿にのせて、遼の前に置いた。紙袋は、食卓の端に置いた。
「冬至なので。柚子の菓子です。店で今朝、作りました」
遼は、皿を見た。
「要らない」
言ってから、遼は、皿を自分のほうに引いた。
引いて、紙を開いた。
ことはは、向かいの椅子に座った。座って、自分の分の紙を開いた。同じ食卓で、同じ菓子を、同じ時間に。十月に来てから、初めてのことだった。
遼は、食べた。黙って。源さんと同じ黙り方で。父と同じ黙り方で。
食べ終えて、紙を畳んだ。きれいに、まっすぐに。
ことはは、その手を見ていた。畳み目の向き。角の揃え方。書斎の引き出しの、何十枚の紙と、同じ畳み方だった。
「手は」
遼が、言った。
「……え」
「薬は、使っているのか」
「使っています。朝と、晩と」
遼は、ことはの手を見た。指の付け根。割れかけたところ。見てから、目を逃らした。逃らし方が、十月の弁護士事務所と同じだった。
ことはは、口を開いた。
「書斎の、包み紙」
言うつもりはなかった。口が、動いた。
「毎朝、うちで買っている人。――あなたじゃないですか」
遼の手が、畳んだ紙の上で止まった。
止まって、動いた。紙を、上着のポケットに入れた。
「俺が、和菓子屋の店先に立つように見えるか」
「……見えません」
「なら、それが答えだ」
答えに聞こえる。聞こえるだけだ。見えるか、と聞いて、見えないと言わせて、それを答えにしている。遼は、俺は買っていない、と言わない。宇野は、私は買っていない、と言った。言い方が、違う。
ことはは、柚子の菓子を見た。半分、残っている。
「期限が来たら、お前は店に戻る」
遼は、立ち上がりながら言った。
「それまでに、余計なものを持ち込むな」
余計なもの。
この家に。それとも、自分の中に。
「……柚子の菓子も、余計ですか」
声が、出ていた。遼は、戸口で止まった。
「それは、店の菓子だ」
「はい」
「店の菓子は、持ち込んでいい」
それだけ言って、遼は戸口を出た。ことはは、顔を上げなかった。上げたら、何を言うか分からなかった。店の菓子は、いい。余計なものは、別のものだ。それが何かを、遼は言わず、ことはは聞かなかった。
遼は、食堂を出た。出て行くとき、食卓の端の紙袋から、残りの一つを持って出て行った。ことはが父のために包んで、袋に入れたままにしていた分を。
◇
仏間の戸が、開いていた。
ことはは、廊下に立っていた。立つつもりはなかった。足が、止まった。
戸の隙間から、遼の背中が見えた。
遺影の前に、膝をついている。皿に、藍色の紙。紙の上に、柚子の菓子。
遼は、しばらく何も言わなかった。
皿の縁に、手を置いた。藍色の紙の端を、指で直した。まっすぐに。
それから、低い声で、遺影に言った。
「……いい店だろう」
それだけだった。
遼は、立ち上がらない。膝をついたまま、遺影を見ている。ことはは、戸の隙間から離れた。足音を立てないで、廊下を戻る。戻りながら、聞いたことを、頭の中で繰り返した。
いい店だろう。
誰に言ったのか。遺影の老人に。柊屋のことを。
妻は、夫に恋をしないこと。
ことはは、自分の部屋の戸を閉めた。閉めて、戸に背中をつけた。背中をつけても、立っていられた。立っていられたことに、少し驚いた。
◇
スマホが、鳴った。
蓮田だった。
「柊屋さん。あの、お話したいことが」
声が、震えていた。
「課長の指示で、やってしまったことがあります」
#御曹司
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コメント
1件
ああ、めちゃくちゃ良かった……。柚子の菓子を通して、ことはと遼の間に少しずつ滲む温度差というか、距離がほんのちょっと縮まった感じがじーんときた。「いい店だろう」って遺影に言う遼の背中、あれだけで全部語ってるよな。蓮田の最後の声が震えてて、次が気になって仕方ない。続き待ってる🔥