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鷹槻れん/鷹槻うなの

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#極道
鷹槻れん/鷹槻うなの

19,895
#白い結婚
夕凪ゆな
373
うめぼっち

1,598
喫茶店『ひばり』は、商店街の端にあった。
火曜の朝、店を開けてから、ことはは『ひばり』の奥の席に座った。向かいに、蓮田。鞄を両手で抱えて、コーヒーに手をつけていない。
「課長の指示で、引き出しを撮りました」
蓮田は、顔を上げずに言った。
「春の資料の回収に行ったとき。柊屋さんが店先に出た隙に、帳場の引き出しを開けて、西園先生の封筒を。中の、紙を」
ことはは、両手を膝の上に置いた。置いていないと、何かを掴みそうだった。
「……全部、撮ったんですか」
「表紙と、中の、条文のページを」
「麗華さんに、渡した」
「表紙だけです」
蓮田は、やっと顔を上げた。
「指示は、店で書類のあるところを見てこい、でした。帳場の引き出しを開けたら、西園先生の封筒があって。本店の顧問の先生の名前だったので、開けて、撮って。表紙の一枚だけ、その場で、課長に送りました。婚前契約書、という字と、お二人の名前が見えるページ。中の条文は、撮りましたけど、送っていません。夜、送ろうとして、送れませんでした」
送れなかった。送らなかった、ではなく。
「どうして」
「……柊屋さんが、催事場で、課長に豆大福を食べさせたとき。僕、後ろで見てました。あの手で包んだものを、課長が食べて、何も言えなくなったのを。――あの人の机の引き出しを、僕が撮るのは、違うと思って。でも、表紙は、もう送ってしまっていて」
蓮田は、鞄を抱え直した。
「すみません」
ことはは、しばらく何も言わなかった。
言わないで、蓮田のスマホを見た。机の上に置いてある。
「全部、消してください」
「はい」
「今、ここで。条文の写真を、全部」
蓮田は、スマホを取った。開いて、ことはに画面を向けて、一枚ずつ消した。第一条。第六条。第七条。ことはは、第七条のページが消えるのを見た。妻は夫に恋をしないこと、の字が、蓮田の指の下で消えた。
「送った一枚は」
「……戻せません。課長のスマホに、あります」
婚前契約書。氷川遼。柊ことは。
それだけが、麗華の手にある。中身は、ない。中身がなくても、その四文字と二人の名前があれば、何が言えるかは、分かった。
「蓮田さん」
「はい」
「わたしに話したことを、麗華さんは知らない」
「知りません」
「じゃあ、知らないままにしておいてください」
蓮田は、頷いた。頷いて、初めてコーヒーに手をつけた。冷めていた。
◇
屋敷に戻って、ことはは書斎の扉の前に立った。
遼に、言うべきだった。契約書の控えを店に置いたこと。撮られたこと。表紙が麗華の手にあること。
言えば、遼は手を打つ。宇野を動かし、西園を動かし、麗華を止める。一言で済む。
言えば、ことはは、なぜ店に置いたのかを言うことになる。
あの家に置きたくなかった。あの家で妻でいる間、妻でない証拠を部屋に置きたくなかった。それを、遼に言うことになる。言えば、聞かれる。なぜ、と。なぜに、答えがなかった。あるのかもしれなかった。あるなら、言えない。
扉の向こうで、紙をめくる音がした。遼が、いる。
ことはは、手を上げた。叩く形に、指を曲げた。
下ろした。
扉を叩かないで、廊下を戻った。自分で収める。収められる。表紙一枚だ。中身はない。
戻る途中で、仏間の前を通った。遺影の前の皿は、空だった。空の皿を見て、ことはは、少しだけ、足を止めた。
◇
十二月二十四日の夕方、芘沢がことはに着物を着せた。
母の藍色の訪問着。帯に、遼の祖母の梅の帯留め。鏡の中で、白い石が小さく光った。
「お似合いです」
芘沢は、帯を叩いて言った。
「坊ちゃまが、玄関でお待ちです」
玄関に、遼が立っていた。黒い礼服。ことはを見た。藍色の着物と、帯留めを。
何も言わなかった。
言わないで、扉を開けて、先に出た。車に乗ってから、前を見たまま、一言だけ言った。
「隣にいろ」
「……はい」
ことはは、膝の上で手を重ねた。言うべきことがある。表紙のこと。言おうとして、口を開いた。
「氷川さん」
「何だ」
「……今日は、よろしくお願いします」
言えなかった。
遼は、前を見ている。信号で止まって、暖房の目盛りに手を伸ばし、止める。十二月の車の中は、もう暖かい。手は、目盛りに触れずに、ハンドルに戻った。
車は、本店へ向かって走る。
◇
本店の大広間の入口は、光でいっぱいだった。
氷川の客。取引先。親族。黒い礼服と、色のドレスと、着物。ことはは遼の半歩後ろを歩いた。隣にいろ、と言われたことを思い出して、半歩、前に出た。遼は、何も言わなかった。言わないで、歩く速さを、少しだけ落とした。
入口の脇に、赤いドレスが立っていた。
麗華。長い髪を巻いて、大きなイヤリング。今夜は、本家の娘の顔をしている。
「遼さん。お疲れさま」
「麗華」
「奥様も。お着物、素敵ね。ご実家の?」
「母のものです」
「そう。お母様の」
麗華は、ことはの帯留めを見た。見て、一拍、止まった。
それから、笑った。
「今夜は、楽しみにしてて」
麗華は、ことはにだけ聞こえる高さで言って、大広間の中へ入って行った。
ことはは、遼の隣に立っていた。隣に。言われたとおりに。
コメント
1件
第19話、読み終えました…。 蓮田さんが「送れませんでした」って言ったところ、すごく響きました。あの豆大福のエピソードがちゃんと生きてるんですね。それに、ことはさんが自分で片をつけるって決めて、扉を叩く指を下ろすところ、言葉にできない迷いがひしひしと伝わってきて胸が詰まりました。 最後の麗華さんの「楽しみにしてて」も、ただの挨拶には見えなくて。続きが気になります…!