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3. 26歳の涙
車を回してくる、と聞いてクロロがなんとなく思い描いていたのは、マフィアがそろいもそろって個性もなく使いたがる、黒のセダンだった。
だが予想に反して、クラピカが乗ってきたのは、黒のレンジローバーだった。その車体を見て、そうか山道なのかとクロロは納得した。しかも今日は、雪道を走ることになる。
「30分はかかる」と言って、アクセルを踏んだクラピカがそれきり無言だったので、助手席に座ったクロロは視線を窓の外へ向けた。今朝は細かい粒子だった雪が、綿毛のようにふわふわ舞っている。
しばらく、雪景色を眺めながら、クロロはクラピカの言った「埋葬」という言葉をなぞった。
クラピカは、天賦の才を持っている。真っ当に能力を伸ばしていたら、他の者の追随を許さないほどの高みに行けただろう。だがクラピカは、その稀有な才能の全てを蜘蛛への復讐に捧げた。そして念願叶って蜘蛛の一人を葬り去り、その憎い相手を「埋葬」した。
自分たちが復讐を遂げたときには、全くそんな気にはならなかった。殺してもまだ殺し足りない相手が、真っ当に埋葬されることを望むはずもなかった。
では、なぜクラピカは「埋葬」したのだろうか?外を眺めたまま、クロロは何気なくその疑問を投げかけた。
「ウボォーギンを埋葬したのは、なぜだ?」
「……なぜ、とは?」
「「埋葬」は心底憎しみを抱いている相手には、できない行為だと思う。そして単に死体を埋めただけでは、その言葉は出てこない」
「……なるほど。言われてみればそうかもしれない。
ウボォーギンとの戦闘の末、私は彼を鎖で捕らえた。蜘蛛の情報を吐かせようしたが、何度拷問をしても、何一つ口を割らない。ただ「殺せ」と繰り返すばかりで埒があかなかった。
最終的に「私の質問に嘘偽りなく話すこと」という誓約をかけたジャジメントチェーンを刺したが、それでも仲間の居場所を明かさず、自らの命を差し出した。
仲間を守り抜いた彼の最期は、敬意に値する。だから、……埋葬したのかもな」
返された言葉の最後一つが、わずかに揺れた気がして、クロロは窓の外から目線を外し、隣でハンドルを握るクラピカの顔を見た。
「ウボォーギンの最期の言葉は「くたばれ、バカが」だ。他に聞きたいことは?」
「いや、それより。そんな顔で復讐の話をしないでくれないか」
クラピカの顔は完全に血の気が引き、唇には色が全くない。ハンドルを握る手は、不必要な力が入って強張っている。今すぐ目の前で吐かれても不思議ではない様子を見て、クロロは呆れた。
「壊滅的に向いてない。俺たちは、間接的にはお前の仇と言えるし、疑いようもなく大悪人だ。
それに、お互い合意の上でした決闘なんだろ?昨日今日初めて会った悪党の死に、そんなにダメージを受けるなんて、どうかしてる。お前は一体、ウボォーギンのなんなんだ」
クラピカは射殺しそうな眼で、クロロを横目でちらりと見た。
だがすぐに視線を前へ戻し、険しく曲がりくねった道を見据える。
狭く、傾斜のある雪道を越えると、レンジローバーは開けた平野にたどり着いた。新雪に轍をつけながら、車は停まった。
「あれだ」
ワイパーが横切るフロントガラス越しに、クラピカは遠くの苗木を指した。
荒野には痩せて葉を落とした木がまばらにあるだけで、苗木らしきものは、クラピカが指す一本だけだった。
「あいにく、私はお前たち流星街のやり方を知らない。だから、クルタ族のやり方で埋葬した。
私たちの一族では死者を土葬にして、側に苗木を植える。その木は、死者と大地と太陽と水を養分として成長し、里の者からは、死者の名で呼ばれることとなる」
そういいながら、クラピカは水の入ったペットボトルを差し出した。
「植物としては不要だろうが、ウボォーギンの喉の渇きを雪で凌がせるのも忍びない。これもクルタ族のやり方だから、無視しても構わないが、気にならないようだったら、やってくれ」
相変わらず色の消え失せた顔に、よく見ると目元にはうっすらと隈まである。そんなになるまで、よく付き合ってくれたなと思いながらクロロはペットボトルを受け取って、車から降りた。
「つきあわせて悪かったな、先に帰っててくれ」
「……そうさせてもらう」
エンジンがついたままの車内で、黒い背中が遠ざかるのを少しだけ見送ったあと、クラピカはサイドブレーキを解除した。ハンドルを回し、来た方向へ車を180°Uターンさせ、ヨークシンシティへ戻ろうとする。そこまでしてから、クラピカはブレーキを踏んだ。
ガツ、とハンドルの上に額を落とし、腕をその上に預けると、輪の中に半ばめり込むように顔を埋める。
全く帰れる気がしなかった。
一人でここへ来て、一人で帰るのは問題ない。今までにも何度かやっている。
だけど、二人でここへ来て、一人で帰るのは、どうしてもできそうになかった。
※
クルタ族の埋葬は、意外にもクロロの琴線に深く触れた。
結局、宗教や埋葬は、死への悲しみを乗り越えるために用意された人の創意工夫なのだが、どの宗教もクロロにはピンと来ていなかった。
土葬は埋める時に苦しそうで悲しい。
火葬は、疫病を蔓延させないための方便にしか見えない。
死後の死者がどうなるのかは、色んな宗教の都合のいい所をパッチワークのように繋ぎあわせて、自分の中で都合のいいように解釈して、心を慰めていたが、ーーー木は、いいな。とクロロは苗木を見つめて心の内で呟いた。
ウボォーギンは死んだ。もう二度と会えない。
だけどウボォーギンを養分にして、この木は命を紡ぐ。死が次の生命の役に立っているという慰めが、目に見えて証明され続ける。
そのうちに、その木が本人と重なって見えてくる。植物だから、生きていても話せなくて当然だ。だけど墓石に語りかけるより、植物に語りかける方が、聞き届けてくれる気がする。
弔えば弔うほど、木は手入れされ、青々と成長するのだろう。こういうのも変だが、弔いのしがいがある。そのうちウボォーギンの木の前で、皆でピクニックでもしようかという明るい気持ちにさえなってくる。
ペットボトルの水をウボォーギンの木に与えながら、気の済むまで故人を偲び、涙を流したクロロは、そろそろ帰ろうと、跪いていた膝を伸ばして立ち上がった。
雪の降りしきる中で、ずいぶんと長い時間を過ごしてしまった。足と指の先はもう感覚がないし、苗木にかけた水は氷の粒になっている。
ごめん、ウボォーさん。
今度はビールを持ってくる。
何か自分のものを残したくなって、さっき返してもらったばかりのグレーのハンカチを苗木にくくりつけた。あと自分の持ち物には本があるが、ウボォーギンは喜ばないだろうな、と思って置いていくのをやめた。
踵を返してから、もう一度振り返り、木材で小さく囲われた苗木の墓を見る。雪の中でも凛と立つ木の手入れは、クラピカが定期的にしていたのだろう。どんな気持ちで墓を手入れしていたのか、考えると溜息が出た。
ーーーやっぱりあいつ、向いてないって。
車中でのクラピカの蒼白な顔と、パクノダが死んだと伝えた日の涙。
クロロは、意識的にそれを頭の中から追い出した。
※
さくさくと雪を踏みしめながら来た道を戻っていくと、行く先に黒のレンジローバーがあるのが見えた。その横で車に背をもたれかけながら、クラピカは立っている。
「帰ってなかったのか?」
「……こちらの事情だ」
頭の上に雪まで積もっている。
クラピカは頭を軽く左右に振って、その雪を落とした。
車内にも入らず外で待っていたクラピカは、芯まで冷えていそうだった。鼻と耳を真っ赤にしている。
思う存分一人で泣き、軽く歩いて帰ってきたので、そこそこ暖かいクロロとは正反対だった。
「弔ったよ。……元はといえば、ウボォーギンに命を張る役割を振ったのは俺だ。最期までよくやってくれた。
まあ、お前との決闘は余計なスタンドプレイだから止めるべきだったんだろうな。言ってもどうせ聞きはしないんだが」
「……軽いな」
クラピカは、憔悴しきった顔を隠そうともせずに、責めるような声色で呟いた。
「お前たちの、命の扱いの軽さには、気が滅入る」
「……ある程度軽くないと、こんな界隈でやっていけないと、言ったよな」
「そのくせ、お前たちの愛は重い」
愛、という単語で、クラピカが自分たちを表現するとは思わず、クロロは瞬きをした。似つかわしくない言葉だなと笑って捨てようとして、なぜか、それができなかった。
「命と愛の重さが、全く釣り合ってない。
とりわけ、お前の愛は深い。
愛の深さに沈んだ片方に、軽すぎる命を乗せたもう片方は高く上がる。お前の天秤の高低差を見ていると、気分が悪くなる」
「ずいぶんと、詩的な表現だな」
「では具体的に言ってやろう。ウボォーギンやパクノダの死に、悲しみにくれて弔いをするのに、お前はその同じ顔で、悪逆を尽くし仲間を次の死地へ向かわせることを厭わない。
どちらも本気なら、お前が無傷な訳がないだろう。当事者の私は、側でそれやられると、お前の傷の深さを勝手に想像して、気分が悪くなる。
ーーこのくらいあけすけに言わないとわからないか。遠回しに言ってやっているうちに、理解しろ」
「……悲しみに暮れているように見えるだけで、全部演技かもしれないじゃないか。「入団方法は、既存の団員を倒すこと」というルールを作った当の本人が、団員の死を本気で惜しんでいる方が不自然じゃないか?
天秤は釣り合ってるよ。命も愛も軽い」
「馬鹿なことを」
クラピカは、白い息を纏った言葉を吐き捨てた。
かじかんだ赤い手が、強く握りしめられて白く斑になる。
「ウボォーギンは、お前の作った蜘蛛を守り、パクノダは蜘蛛を作ったお前を守った。僭越だが、二人の代弁をさせてもらう。
「お前とお前が作ったもの全部が、何よりも大事だ。絶対に失いたくない。」だ!
全力でそう思われているお前が、軽い気持ちを二人に抱いているはずがない。お前たちの関係性が一方通行な訳がない。
冷酷な悪人の演技なら、ウボォーギンの方が上手かった。蜘蛛の掟を破る覚悟なら、パクノダの方が潔い。
それなのにお前はなんだ。
悪人の仮面を、やる気なく中途半端につけ、愛の深さを薄っぺらい理屈で否定する。
こんなに寒い中、こんなに長くウボォーギンの死を弔うやつの悲しみが、演技なわけがないだろう。こっちがそろそろ凍死する!
私にさんざん向いてないだとか、どうかしてるだとかずいぶん言ってくれたが、クロロ=ルシルフル、お前の方がよっぽど、冷酷無比な幻影旅団の団長に向いていない!」
頭頂から湯気が出るんじゃないかと思う程の熱量でクラピカは怒りを叩きつけてきた。荒く吐いた白い息が、クラピカの後ろ、雪の降る宙に流れて溶けていく。
その白さを、クロロは目でゆっくりと追った。
目線を戻すと、クラピカは眉をつり上げた怒りの形相をしている。その顔をクロロは改めてちゃんと見た。
ーーああ、もしかして。俺が悲しんでいるから、ずっとそんなに辛そうで、そんなに必死なのか。
もしかしても何もない。
さっきから何度も、面と向かって言われている。
会った時からずっと、クラピカは団員を失った自分を気遣っている。
ウボォーギンとパクノダの死に関わったことに、気が滅入っているのかと思っていた。でもそれだけじゃなく、自分の悲しみにまで本気で心を痛めているとか。
目の前にずっとあったそれに今更、本当に今更気づくと、クラピカの今までの言葉が、すっと染み込むようにクロロの中に入ってきた。
本当にまずいことに、入ってきてしまった。
クロロは右手を口元に当てて、何かを堪えるような表情をした。
「……ジャッジメントチェーンって、誓約を破らなくても、うっかり発動したりする?」
「え?いや、そんなことはないはずだが。
だが、念で具現化したものだから、私のコンディションに呼応することも、あるのか?」
その線は薄いかなと、自分で聞いておきながらクロロは思った。念は不可思議なものだが、制約と誓約に矛盾があると、存在を保てずに崩れ去ってしまう。
だとしたら、これは自分の内からの痛み。
尋常じゃないほどの胸の痛みと、一緒に溢れてきた正体不明の感情の数々に、平静を保っているふりをしているだけで、精一杯になる。
ーーああ、負けた。
見ないように感じないように、上手くやり過ごしていた色んな感情が、表に出てきてしまった。
これは、クラピカに完全に負けてしまったのだ。
あと代弁吹き替えは、反則だ。
思えばクラピカには、実は最初から負けっぱなしだったのかもしれない。パクノダへの涙も、社会の底辺のゴミを必死で守る様も、苗木の墓も。その在り方全てが、クロロが埋めた感情をゴミの奥底から引き上げてきたのかもしれない。
そうして引き上げられた、汚泥のこびりつく年季の入ったゴミは「向いていない」の一言で丸洗いされてしまった。
「カタヅケンジャーのクリンワードって実在してたんだ……」
「クリン……?」
「……なんでもない」
カタヅケンジャーは全世界で人気だったはずだけど、どうやらクラピカは知らないらしい。
怪訝そうにしているクラピカの前まで、数歩近づいたクロロは、クラピカの左肩を指した。
「そこ、貸して」
何を言われているのかわからず、クラピカが自分の左肩を見やった一瞬の隙をついて、クロロはそこに自分の額を躊躇なく置いた。
驚きのあまり、とっさに肘のあたりまで上がったクラピカの両手が、そのまま硬直しているのが伏せた視界から見えて、クロロは笑った。そういえば「ぎゃっ」とかいう形容しがたい擬音も聞こえた気がした。
そのままクラピカとクロロの間の雪の上に、暖かい涙が落とされていく。
ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、クロロは額のほんの一部だけを、器用に肩に置いているので、涙はクラピカに一つも着地しない。
ポツポツと雪の中に落ちるそれを見たクラピカは、諦めたように両手をゆっくり下げた