テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
崩壊していく五條家の屋敷を背に
私は久遠様の逞しい腕に抱かれ、ようやく外の世界へと踏み出した。
背後で何かが瓦解する鈍い音が響くたび、私の心に深く食い込んでいた過去の棘が
一つずつ抜けていくような感覚があった。
夜空には、あの日、身代わりとして差し出された夜と同じ、大きな満月が煌々と輝いている。
「……終わったのだな、すべて」
遠くで軍の車両が砂煙を上げて駆けつける音が聞こえる。
異能犯罪に手を染め、禁忌の呪術を用いた罪で
実家の人々は例外なく軍に拘束されるだろう。
私を十年間縛り付けていた暗い蔵も
血の繋がった家族という名の鎖も、今はもう跡形もなく消え去った。
◆◇◆◇
それから一ヶ月の月日が流れた。
帝都には、冬の残り香を払拭するような本格的な春が訪れていた。
久遠伯爵家の広大な庭園には、見事な枝垂れ桜が満開の花を咲かせている。
春風が吹き抜けるたびに、薄紅色の花びらが雪のように舞い散り、屋敷の周囲を幻想的に彩っていた。
「千代様、こちらへ。帯が少し緩んでおりますわ」
「まあ、なんてお綺麗な……。まるでお雛様のようでございます」
女中たちの弾んだ明るい声に包まれながら、私は大きな鏡の前に立っていた。
身に纏っているのは、伝統的な白無垢ではない。
久遠様が馴染みの呉服屋に特注してくださった、「桜色」の最高級の絹を用いた豪華な振袖だ。
私の名にちなんで選ばれたその色は、今の私の心象風景そのもののように温かい。
今日は、私たちのささやかな、けれど正式な祝言の日だった。
「待たせたな」
静かに扉が開くと、正装の羽織袴に身を包んだ久遠様が現れた。
軍服姿の凛々しさも格別だが、和装の彼はどこか空気が柔らかく
それでいて抗いがたい大人の色気を漂わせている。
その姿に見惚れ、私は思わず呼吸を忘れた。
「……久遠様。あ、あの、変ではありませんか?」
「変なものか。……あまりに美しすぎて、このまま招待客の前に出すのが惜しくなってきた。今すぐこの扉を閉めて、お前と二人きりで閉じこもりたいほどだ」
「お、大袈裟ですよ……!」
相変わらずの、隠そうともしない過保護な独占欲。
私は頬を林檎のように赤くして、手元を隠すように俯いた。
久遠様はくすりと低く笑うと、私の手を取り、その指先にそっと、慈しむような唇を寄せた。
「千代。お前は『無能』と呼ばれ、居場所を奪われ続けてきた。……だが、これからは違う。この屋敷がお前の城であり、俺の腕の中こそが、お前の永遠の終の棲家だ」
「はい……。私、本当に幸せです。久遠様に出会えたから、私は自分を好きになれた気がするんです」
庭園へと続く縁側に出ると、そこには私たちの門出を心から祝う人々が待っていた。
かつては「人斬り」と恐れられ、孤独の中にいた久遠様も
今では穏やかで晴れやかな表情を浮かべている。
私の「浄化」の力が、彼の魂に深く巣食っていた戦場の呪いを
日々少しずつ、丁寧に溶かしていったからに他ならない。
「ほら見ろ、千代。桜が舞っているぞ」
久遠様が、慈しむように空を見上げた。
「綺麗……ですね」
「ああ」
月光を浴びて、夜桜が光の粒子となって幻想的に舞い踊る。
「──なあ、千代」
「はい?」
「一生をかけて、お前を愛し抜くと誓う。だから、これからも、俺のそばにいてくれるか……?」
「!……そんなの、当たり前です…!私も、一生おそばにいさせてください…っ…旦那様」
どちらからともなく顔が近づき、舞い散る桜の花びらが
重なり合う二人の唇の間を静かに通り抜けていった。
不憫だと言われた身代わりの花嫁は、もうどこにもいない。
ここにいるのは、世界で一番深く愛され
自らの内なる光で幸せを掴み取った、一人の誇り高き女性だ。
満月の下、私たちの新しい恋は
今ここから、永遠という名の未来へと続いていくのであった。
#独占欲
#溺愛