昨日、朝倉先生の家であった事を思い返すと はにゃにゃにゃって、顔がゆるむ。
次に、家に行くときは、お泊りで……なんて、ふふっ。
甘い時間の妄想を脳内再生させては、ニヤニヤしながら、美優と遊んでいるとピンポーンと玄関のインターフォンが鳴った。
「はーい」と出ると、いとこの紗月だった。
「リンゴもらったからお裾分けだよ」
ありがとうと受け取り、早速、リンゴをすりおろす。美優に小さな口に、スプーンにすくったリンゴを運ぶと、モグモグしている。そんな美優を見ていると、ほんわか癒される。
「ねえ、あの後、どうだった?」
紗月は好奇心いっぱいの瞳を向ける。
そういえば、紗月には朝倉先生との仕事の打ち上げの時に美優を見て貰ったのだ。
仕事が上手くいった話と、朝倉先生が良い人だったことを報告してあった。
あの後とは、その後の進展を聞いているわけで……。
「それが、色々あって朝倉先生と結婚を前提としてお付き合いする事になりました」
ちょっと、浮かれて報告した。紗月は満面の笑みを浮かべて私にハグをくれる。
「わー、夏希ちゃん、おめでとう! 結婚を前提としてなんて素敵。で、美優の事もOKなんだよね」
「もちろん。だって、朝倉先生は、なんと、美優の出産の時に立ち会ってくれた人だったんだよ」
チェストの上のフォトフレームに入っている。御守り代わりの写真へ視線を送る。
「なにそれ! そんなことってあるの! 運命感じちゃうよね」
キャッキャッとはしゃいだ後で、相談に乗って貰うべく話を切り出した。
「実は、悩んでいる事があって……」
それは、元カレ将嗣の事だった。
偶然出会って、復縁を求められてしまった。美優の認知問題もある。会わないわけにも行かないが気が重い。と紗月にザッと説明する。
一通り聞き終わった後、紗月から出た言葉は私の考えと違うものだった。
「元カレかぁ。認知はね。してもらった方が良いと思う。子供の養育に関わる費用を父親に請求できるじゃない。それは、美優ちゃんの権利なんだから、主張してどんどんもらえばいいのよ。でも、元カレが思っていたより、誠実で以外だったなぁ。別れる前にちゃんと話し合っていれば、違う道に進んでいたかもね」
「でも、既婚者だったのに、それを黙って私と付き合っていたんだよ。それって詐欺じゃん。そんな人に子供が出来ましたなんて相談出来ないよ」
「うーん、そうだよね。最初っから既婚者だと知っていたら恋愛関係に進んだりしないで、ただの知り合いと言う関係に留まることも出来たんだよね」
「そうよ。私、不倫とか絶対に嫌なの。だから、元カレが今になって誠意を見せても”はい、そうですか”って、素直に受け取れないんだよね。認知も正直気が重くて……。今更認知なんてしなくて済むなら、しなくてもいいな」
「でも、美優ちゃんのパパなんだよね。認知は子供の権利を保障するものでもあるんだからした方がいいよ。それで、元カレは離婚して、夏希ちゃんとの復縁を望んでいると……。バツイチだけど、歯科医師だとか優良物件でもあるんだよね。結婚相手としては悪くないよね。今カレも作家さんで悪くないから、どっちをとるかだよね」
「言い方!それじゃあ、私が浮気性みたいじゃない。私は、二股掛けるのもイヤだし、そんなに器用な女じゃないから!」
「私は、美優ちゃんの事を考えると元カレでもいいと思う。美優ちゃんの本当のパパなんだし、子供にしてみたら本当のパパが良いに決まっていると思うんだよね」
紗月は、イタイところをついてきた。子供の事を引き合いに出されると、将嗣を受け入れず、朝倉先生の事を好きな自分がわがままを言っている浮気女のようにも思えてくる。
「でも、一旦終わった恋だったんだよ。裏切られていたのを知って、いっぱい泣いて諦めたんだし。その後、妊娠がわかって、不安な中で出産をして、一人で美優を育てて、大変な時にいつも助けてくれたのが朝倉先生で……。先生を好きになるのを止めることなんてできなかった」
感情が高ぶって、涙がブワッとあふれ出した。
「ああ、夏希ちゃん、ごめん。泣かないで、そんなつもりじゃなかったんだよ」
紗月は謝ってくれたけど、気持ちが不安定になってしまったのか、なかなか涙が止まらない。
母親の感情の乱れを察したかのように美優も泣き出してしまった。腕に抱きあげ、なだめながら将嗣の事を思うと複雑な心境だった。
「美優のパパだもん。悪い人じゃないんだよ。でも……」
一般的に考えて、子供の父親と復縁することが良いと思うのは、仕方のない事なのかもしれない。でも、私の気持ちは置き去りにしたまま復縁しても上手く行くとは思えない。
「まあ、夏希ちゃんの気持ちは、作家先生にあるんだからしょうがないね」
紗月に少し呆れたように言われて、やっぱり実の父親と復縁した方が良いという事なんだろうな、と思った。
少し切ない気持ちになりながら、美優に視線を落す。
子供にとっての一番の幸せを考えているはずが、一人よがりになっているのではと不安に駆られる。
不意にチェストの上に置いてある携帯電話が着信を告げた、噂をすれば影とは良く言ったもので、散々話題に上っていた将嗣からだった。
紗月に「ちょっとごめんね」と声を掛け、電話に出る。
「夏希、認知の件で話があるんだけど、これから行っていいかな?」
「えっ!これから? 今、いとこが来ているんだけど」
「顔を見たらすぐに帰るよ。ますだ屋の生クリームどら焼きがあるんだ」
「えっ? あのどら焼き?」
「そう、あのどら焼き、10分ぐらいで行くから待ってろよ」
と返事も聞かないうちに電話は切れてしまった。
「紗月、ごめん。元カレがこれから来るって」
「ウソ!マジ?美優パパの顔を拝んじゃお!」
私は、「チッ!」と心の中で舌打ちをした。