テラーノベル
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目の前の窓一面に、雲が貼りついている。二十数階のこの部屋から見える景色は、相変わらず現実感がない。
下を見下ろせば、車も人も、豆粒みたいに動いていて、
どこかの誰かの生き死になんて、何の実感も湧かない。
──この部屋も。
親が勝手に用意した“暮らしやすい部屋”。
ベッドも、冷蔵庫も、椅子も、生活感のない新品ばかりで、
俺の匂いなんて、どこにもない。
「……何やってんだろな」
スマホの画面は、何度もスリープになった。
通知はない。遥からも。誰からも。
──でもそれは、当たり前だ。
誰にも、「休んだ理由」なんて言ってない。
遥にも、蓮司にも、教師にも。
ただ、“いなかった”だけ。
けど──
(あいつは、気づいたろうな)
俺が“いない”ことに。
もしかしたら、何かあったんじゃないかって。
でも、その何かを「訊く」ことも、あいつはできない。
──優しさの形が、そういうふうに歪んでるのは、もう知ってる。
ほんとは、たった一通でよかった。
「今日、休む」ってだけでも。
でも、それすらできなかった。
この数日間、親の顔を見ていた。
何年も音信不通だったくせに、「困ったときは戻ってくるものだ」とか、
そんな当然のような顔で部屋に入ってきて、
“家族らしさ”を演じたがる。
──気持ち悪いほど、冷静に。
まるで、俺の時間なんて、なかったみたいに。
「ねえ、あんたさ」
母親が昨夜言った言葉がまだ頭に残ってる。
「誰かに縋ってるの? それって“弱さ”だって知ってる?」
笑った。
……けど、否定はしなかった。
だって、俺はいま、
遥の顔が、声が、ずっと頭の中にある。
自分がいない間に、
また、あいつが“何かされた”気がしてならなかった。
──でも、それも、勝手な思い込みかもしれない。
俺は“守れる場所”にいなかった。
いなかったくせに、心だけ「そこ」に置いてきた。
わかってる。
何を言っても、遥は俺を責めない。
責めないけど──たぶん、許しもしない。
許されることじゃないって、あいつは自分に言い聞かせる。
……そういうやつだ。
(じゃあ、俺はどうすればいい)
高層階のガラス窓に、朝の光が映り込む。
真下の景色は、あまりに遠い。
自分がその中にいるなんて、嘘みたいに。
──あの教室の、
あの空気の中で、まだ、あいつが立ってる気がする。
泣かずに、何も言わずに。
もう一度、ポケットのスマホを握る。
でも、やっぱり何も送れなかった。
だから、今日、行く。
何も持たずに。
言い訳も、説明も、できないまま。
ただ──
(いなかったぶん、ちゃんと見る)
「おはよう」なんて、言えなくていい。
俺は、俺の目で、あいつがまだ“そこにいる”かを確かめる。
それだけが、いまの俺の、全部だ。
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