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オメガバース『運命に振り回された空回りの片思い』~m×k~
side目黒
高校二年の教室は、昼休みになるといくつかのグループに分かれて、それぞれの賑わいを見せる。窓際の席で漫画を回し読みするグループ、昨日のドラマについて熱弁する女子たちの輪、そして、教室の真ん中で、ひときわ明るいオーラを放つ一団。俺の視線は、いつも決まってその中心に向けられていた。〇〇康二。色素の薄い髪が太陽の光を弾いて、きらきらと輝いている。彼が笑うと、周りの空気までがぱっと華やぐ。そんな、抗いがたい引力を持つ男だ。
「なあ、康二!昨日のバラエティ見た?あの芸人のツッコミ、神やったわ!」
「見た見た!めっちゃおもろかったよな!俺、今日一日ずっと真似しててん」
そう言って、康二はテレビで見たであろう芸人のフレーズを、身振り手振りを交えて大げさに再現してみせる。彼の周りには、男女問わずいつも人が集まり、楽しそうな笑い声が絶えない。俺は、自分の席からその光景を眺めることしかできない。あの輪の中に入りたい。康二と、他愛もない話で笑い合いたい。そう思うのに、足が縫い付けられたように動かない。αとしての、無駄なプライドなのか。それとも、ただの臆病さなのか。自分でもよく分からなかった。
「……」
意を決して、給水機に向かうフリをして彼の近くを通る。心臓が、ドクン、ドクンと嫌な音を立てる。すれ違いざまに「よお」と、なんとか声を絞り出した。我ながら、ひどくぶっきらぼうな声だったと思う。
康二は人の輪の中からひょこっと顔を出し、「お、めめやん。どしたん?」と屈託なく笑いかけてきた。その一瞬、彼の注意が俺だけに向いたという事実に、頭が真っ白になる。何か、何か気の利いたことを言わなければ。でも、緊張で喉がカラカラに渇いて、言葉が出てこない。
「……いや、別に」
結局、俺の口から出たのは、そんな素っ気ない返事だけだった。康二は少し不思議そうな顔をしたが、すぐに友達との会話に戻っていく。俺はその場を足早に去った。背中に「なに、あいつ。感じ悪」というクラスメイトのひそひそ声が聞こえた気がして、胸の奥がちくりと痛んだ。
自席に戻ると、隣の席の佐久間君が、読んでいた文庫本から顔を上げてニヤニヤとこちらを見ていた。
「お前さあ、ほんと分かりやすすぎ。好きな子いじめる小学生かよ。もうちょっとこう、スマートにいけないわけ?αなんでしょ、一応」
「……うるさい」
「まあ、康二も罪な男だよな。βの俺から見ても、なんかキラキラして見えるもん。そりゃ、お前みたいな不器用αがこじらせるのも分かるわ」
佐久間君はβで、αだのΩだのといった性別に全く頓着がない。だからこそ、俺の滑稽なまでの不器用さが、面白い見世物のように映るのだろう。
「分かってるよ、そんなこと」
分かっている。どうしようもなく惹かれているのだ
。康二が好きな芸人がいると聞けば、その芸人が出る番組をすべて録画し、夜中に一人で見て必死にネタを覚えた。
彼が好きなバンドの新譜が出れば、発売日にCDショップに走り、その日から通学中にずっと聴き込んだ。
でも、その努力が実を結んだことは一度もない。
ある日、クラスの数人で話している時に、康二がその芸人の話題を出したことがあった。今だ、と思った。覚えたてのネタを口にしかけた。でも、康二が他のクラスメイトとあまりに楽しそうに盛り上がっているのを見て、俺なんかが入る隙間はない、と口をつぐんでしまった。俺の付け焼き刃の知識は、誰にも披露されることなく、頭の片隅で錆びついていくばかりだ。
そんなある日、文化祭の準備期間が始まった。康二はクラスの実行委員に立候補し、放課後、毎日遅くまで学校に残っていた。教室の隅で、山積みの資料と格闘している彼の背中は、いつもより少しだけ小さく、そして無防備に見えた。
(手伝いたい)
その一心で、俺も特にやることもないのに教室に残る。でも、「手伝おうか?」のたった一言が、どうしても言えない。ただ、彼が時々「んー」とか「あー、もう!」とか言いながら、くしゃりと髪をかき混ぜる姿を、自分の席からぼんやりと眺めているだけだった。
ある日の放課後。ほとんどの生徒が帰り、夕日が差し込む静かな廊下で、康二が大きな伸びをしながら呟くのが聞こえた。
「あー、疲れたー!文化祭終わったら、どっかパーッと遊びに行きたいな〜」
それは、誰に言うでもない独り言だったかもしれない。でも、静かな廊下にその声は思ったよりも響いて、俺の耳にはっきりと届いた。気づいた時には、ほとんど無意識に、口から言葉がこぼれていた。
「……俺も、行きたい」
しまった、と思った。蚊の鳴くような声だったけれど、聞こえてしまったかもしれない。聞こえるはずがない。そう思ったのに、康二はぱっと振り返って、目を丸くした。
「え、ほんま?今の、めめが言うたん?」
「……うん」
もうごまかせない。観念して頷くと、康二はぱあっと顔を輝かせて、数歩で俺との距離を詰めた。
「やった!行こ行こ!絶対やで!約束な!」
そう言って、俺の肩を遠慮なくバンと叩く。その笑顔は、今まで見たどんな笑顔よりも眩しくて、俺は心の中で、人生最大級のガッツポーズをした。空回りばかりだった俺の片思いが、ほんの少しだけ、前に進んだ。夕日が差し込む廊下で、彼の笑顔が焼き付いて、俺の世界が、少しだけ色づいた気がした。
―――文化祭当日は、まるで嵐のように過ぎていった。実行委員として校内を走り回る康二は、クラスでお揃いにした法被がやけに似合っていて、いつも以上に輝いて見えた。
その額に浮かぶ汗すら、きらきらと光っている。俺は結局、遠くから彼の活躍を眺めるだけで、何もできなかった。
クラスの模擬店のクレープを差し入れようと、一番出来のいいやつを確保して彼の姿を探したけれど、ようやく見つけた彼は、常に女子生徒や他のクラスの実行委員に囲まれていて、俺が入り込む隙間なんてどこにもなかった。結局、クレープは人知れず俺の胃の中に収まった。
そして、文化祭の喧騒が嘘のような、穏やかな週末。俺は、まだどこか信じられない気持ちのまま、康二と二人で街を歩いていた。
「いやー、文化祭、マジで疲れたけど楽しかったな!めめのクラスの劇、ちゃんと見たで。めめ、王様の役やったやろ?めっちゃ良かったやん!」
「……そう?俺はただ椅子に座って、偉そうにしてただけだけど」
「それがええんやん!なんか知らんけど、めっちゃ存在感あったで。さすがα様やなって感じ」
隣で屈託なく笑いながら、康二はそんなことを言う。俺は、αであることをそんな風にからかわれるのは好きじゃない。でも、康二に言われると、不思議と嫌な気はしなかった。それどころか、緊張でまともに返事もできない。心臓がうるさくて、隣を歩くだけで精一杯だった。
「どっかカフェでも入らへん?俺、甘いもん食べたいわ」
康二の提案に頷き、近くにあったカフェに入る。窓際の、外の景色がよく見える席。向かい合って座ると、どうしようもなく緊張した。何を話せばいいか分からず、テーブルの上のメニューをただ睨みつけていると、康二が不意に口を開いた。
「なあ、めめってαなんやろ?」
唐突な質問だった。その話題は、あまりにもデリケートで、どう返すべきか言葉に詰まる。俺がαで、康二がΩ。それは、俺たちの間にある、決して無視できない事実だ。
「……うん。そうだけど」
「やっぱりな。なんか、そんな感じするわ。落ち着いてるし、フェロモンとかも全然感じひんし。ちゃんと抑制できてんねんな、偉いなあ」
康二はストローでオレンジジュースをかき混ぜながら、どこか遠い目をして言う。俺は、彼を不安にさせたくなくて、彼のその表情に胸騒ぎを覚えて、慌てて言葉を続けた。
「でも、別に。そんなの気にしなくていいから。俺は、康二がΩだからとか、そういう目で見たことないし。ただの康二としてしか見てない」
必死だった。その言葉に、康二はぴくりと肩を揺らした。そして、ふっと寂しそうに、自嘲するように笑う。
「……ええな、αは。そんな風に、堂々と言えて。俺はΩやから、正直、ちょっとコンプレックスやねん。毎月の発情期(ヒート)はしんどいし、抑制剤は手放されへんし、周りの目も気になるし……色々、面倒くさいねん」
初めて聞く、康二の弱音だった。いつも明るく笑っている彼が、そんな風に悩んでいたなんて、全く知らなかった。
胸が、ぎゅうっと締め付けられるような思いだった。何か、気の利いた言葉をかけたい。康二はそんなこと気にする必要ない、そのままで十分すぎるほど魅力的だって、心の底からそう思っていることを、伝えたい。でも、焦れば焦るほど、ありきたりな言葉しか浮かんでこない。
「そ、そんなことないだろ。Ωだからって、別に……その、なんだ……大変なこともあるんだろうけど、康二は、康二だろ」
しどろもどろになる俺を見て、康二は「ははっ」と力なく笑った。その笑顔は、俺の言葉が何も響いていないことを物語っていた。
「ごめん、変な話してもうたな。気にせんといて。ほら、パンケーキ来たで!めっちゃ美味そう!」
目の前に置かれた、クリームとフルーツがたっぷり乗ったパンケーキは、やけに甘い香りを放っていた。康二はさっきまでの表情が嘘だったかのように、またいつもの人懐っこい笑顔に戻っている。でも、その笑顔の裏に隠された深い影に、俺は気づいてしまった。
彼の心に、もっと触れたい。
支えになりたい。
でも、どうすればいいのか分からない。不器用な俺は、ただただ甘すぎるパンケーキを、無言で口に運ぶことしかできなかった。
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