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二月下旬、昂さんが出征して一週間。
薄い雲より暖かな日差しが差すように村は少しずつ落ち着きを戻していき、大志さんもすっかり元通り。
……正確には取り繕っていると分かるけど、明るく話すようになっていった。
昂さんのお母さんですら次の日には畑を耕し、精力的に働いている。こんな状態にも関わらず。
田舎の村が夕焼け色に染まり、カラスが甲高く鳴く頃。
茶の間の電球が突如切れてしまい、私は押入れをガサゴソと漁っていた。
大志さんは昂さんのお母さんを手伝いに行っている為、それぐらい私がやらないと。そう思っていると、意外過ぎる物を発見してしまった。
「……何これ?」
それは黒の学生服に学生カバン、そしてその奥の箱に仕舞われていた四百字詰めの原稿用紙。それらは紙というより束で、何千枚、いや何万枚あるのかというぐらいに箱にビッチリ詰まっていた。
高鳴る胸を抑え、震える手でその一枚を手に取り眺めるが万年筆でサラサラと書き込まれた字はあまりにも達筆で、私には読み取ることが出来なかった。
好奇心に負けて押入れの中を掘り起こしてしまい、気付けば周囲は物に溢れており肝心の電球探しを忘れていた。やっば。片付けないと!
顔面蒼白になった私は、床に散乱した物を一刻も早く片付けようとバタバタと動く。
「あれ? どうやって片付いていたっけ?」
「箱が奥で、制服とカバンが前やな」
「あ、そっか! 箱がここにピッタリ入って、制服は……」
その声にゆっくり振り向くと、今一番会ったらヤバい人が目の前でこちらを覗き込んできた。
「ひゃあー!」
変な悲鳴を上げ、落としそうになった制服をギュッと握り締める。するとそこからは大志さんの匂いがして、別の意味でドキドキしてしまった。
「ごめんな。ただいま言ったんやけど、気が付かんかった?」
眉を下げ謝ってくれる姿からは、怒りを一切感じさせない。
「か、勝手に漁ってごめんなさい!」
「ええよ、昔の物やし」
「……小説家さん、だったのですか?」
「そんな大層なもんやないけどな。自分で売って買ってもらう。そんな小規模なもんやし」
出版社は通さずに本を作り売る。自費出版のようだ。
しかし私は、もう一つ気になっていることがあった。箱は原稿を入れておいた物以外にもう一つあり、そこには真っ白な原稿用紙と万年筆が仕舞ってあった。
つまり、それって。
「最近は書いていないのですか?」
その問いに一瞬真顔になった大志さんは、眉を下げてニッと笑い一言。
「……この時代やからな」
窓より漏れる夕陽に照らされた表情はあまりにも悲しく、目の光がない笑顔だった。
「そんな、大志さんは農家として国民が食べる米を作っています! だから、時間がある時に小説を書くぐらいいいじゃないですか!」
気付けば私は、大志さんの腕をギュッと握り締め詰め寄っていた。
そんな顔しないで。そんな一心で。
「通ってた大学の休学が決まった時、俺は田舎に家があったから帰ってこれた。だけどな、東京に住んでいる同級生らは空襲に怯え、飢えに苦しみ、お国の為に勤めに行っとる。出征し、今も戦っている奴もおる。この村で共に生まれ、育った奴らもそうや。俺が大学に通っている間に召集命令を受け、戦地へと向かった大人も同級生もおった。その中には昂のお父さんも、菊さんの旦那さんもおった。その他にもたくさん。全てな、帰ってきてから知ったことやった。皆が命を賭けている時に、俺だけ安全な場所で書くことなど出来るわけがない。戦争が終わったら、嫌ってほど書くからええんや。ありがとうな」
私の頭を撫でるその手は温かい。
その時に戦地に行ったのは、大志さんの家族も含まれていたのではないのか。
そんなこと聞けるはずもなく、私は言葉を詰まらせてしまう。大志さんから放たれた「東京」という単語と共に。
「東京におられる同級生の方……、こっちに来てもらうことは出来ませんか?」
鳴り響く心臓の音が聞こえないかと案じた私は、物を片付けることを口実に大志さんより背を向ける。
「あー、向こうでの生活があるでな。疎開したくても出来ない現状もあるみたいなんや。実家が店とかやってるとな」
「……そう、ですか」
潤んだ瞳を見せるわけにはいかない。
危険地帯だと分かっていても、都会に住み続けていた人達。教科書を読んでいた時になんで田舎に逃げなかったんだろうと思っていたけど、みんながみんな田舎に知り合いがいたわけではないし、働いていた人だっている。
その事情は分かったけど、現代の価値観ではやっぱり信じられないよ。既に都市部では何度も空襲の被害に遭っているのに、いつ爆弾が落ちてきてもおかしくない場所で暮らすなんて。
それほどに、人の命が軽んじてこられた時代。人が死んでも、仕方がないの言葉で片付けられていた時代。これから多くの命が奪われる時代。
……私はこの先の未来を知っている。なのに、何も言わなかった。あの悲劇を知っていたのに。