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それは、人生で最高に清々しい朝になるはずだった。
昨夜、一晩中かけて修理した障子は、朝日に透けて真っ白に輝くはずだった。五万二千円の資材を注ぎ込んだ縁側は、木の香りを振りまいて俺を祝ってくれるはずだった。
だが、俺が重い瞼を開けた時、視界に入ってきたのは不気味な「赤」だった。
「……なんだ、これ」
新しく張り替えたばかりの障子が、まるで血を吸ったかのように赤黒く染まっている。 慌てて縁側へ飛び出すと、そこにはさらに絶望的な光景が広がっていた。
幻想郷の緑は消え、空も、山も、昨日まで俺が磨き上げた賽銭箱までもが、濃密で禍々しい「赤い霧」に飲み込まれていた。
「お、おい! 霊夢! 起きろ、大変だ! せっかく直した神社が、変な色の霧でベタベタになってるぞ!」
奥の部屋から、霊夢がいつになく鋭い足取りで現れた。彼女は一歩縁側に出るなり、空気を掌で掬い取るようにして眉をひそめた。
「……ただの霧じゃないわね。魔力の密度が異常だわ」 「直るかな? 掃除すれば落ちるか? 俺の五万二千円……」
半泣きの俺をよそに、霊夢は霧の向こうを見据えて冷たく言い放った。
「掃除の問題じゃないわよ。……ねえ、アンタ。この霧、たぶん人間に有害だわ。ずっと吸ってたら肺が腐るか、精気を吸い尽くされて死ぬんじゃないかしら」
「…………え?」
心臓が跳ね上がった。肺が腐る。死ぬ。その言葉が、直したばかりのピカピカの床板に響く。 ようやく手に入れた、この安らげる居場所が、今この瞬間も俺の命を削る毒の溜まり場に変わったというのか。
「う、嘘だ……。嫌だ、死にたくない! やっと美味しい『白だし』が完成して、これからだっていうのに! 助けてくれよ霊夢、死にたくないんだよぉ!」
情けない悲鳴を上げながら、俺は新しく新調したばかりの柱にしがみついて号泣した。 そこへ、霧を切り裂いて黒い影が突っ込んできた。魔理沙だ。
「霊夢! 大変だぜ、里の方まで真っ赤っかだ! って、おい、料理人が柱と合体して泣いてるぞ。どうしたんだ?」 「死にたくないって騒いでるのよ。……魔理沙、これ以上ここにいても霧が濃くなるだけだわ。直接、元凶を叩きに行くわよ!」
霊夢は柱にしがみつく俺の襟首を、猫のようにひっ掴んだ。
「ひっ、ひぐっ……! 霊夢、どこに連れて行くんだよ! 外に出たらもっと吸っちゃうだろ!」 「ここにいても死ぬなら、さっさと霧を晴らすしかないでしょ! 行くわよ!」
霊夢は抵抗する俺を強引に引きずり、魔理沙が構えた箒の真ん中へと放り込んだ。前後に霊夢と魔理沙。俺はサンドイッチのように挟まれ、二人の服を必死に掴んだ。
「しっかり捕まってなさい。振り落とされても拾いには行かないわよ」 「合点だ! 霧の向こうにある『紅い館』まで、最短距離でぶち抜いてやるぜ!」
魔理沙が不敵に笑い、箒の角度を上げる。
「魔理沙、全速力で行くわよ! こいつの肺が手遅れになる前に終わらせるわ!」
「えっ、全速っ……ちょ、待っ、ぎゃあああああああああ!!」
加速の衝撃。俺の叫び声は赤い霧に一瞬で掻き消された。 リュックの中で、お守り代わりの「白だしの瓶」がガチガチと音を立てる。
視界はどこまでも赤く、冷たい。 俺は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、自分の命と、まだ見ぬ明日への一皿を守るために、異変の渦中へと飛び込んでいった。