いくら勤務先が金持ちの邸宅だからといって自分の生活レベルが上がるわけではなく、俺はいつも通りコンビニで弁当と煙草を買いオフィスに戻った。
デブはしょっちゅう高級ケータリングを呼んでいる。食事に連れて行って貰えることもある。
良い家に住み、良い飯を食う。
俺もそんな生活に憧れていたけれど、いざ良い飯を食ってみると美味いのか不味いのかよく分からなかった。高い舌を持たない自分が惨めになるばかりで、近頃は奴との食事を避けるようになった。質が高ければ満足するってわけでもないのだ。
デスクで弁当を完食し、煙草とライターを持ってバルコニーに出る。すると先客がいたので「わ」と声を出してしまった。山岡だ。壁に寄りかかって遠くを見ていた彼は俺を見て微笑んだ。
「山岡さん、煙草吸うんですか」
「うん。一回止めてたんだけどね。きみは何吸ってるの」
懐からマルボロを取り出す。「いいね」と彼は呟いた。
「きみに似合ってる気がする」
似合ってるとか似合ってないとかあんのかよ。俺は「はあ」と適当に返事をして煙草に火をつけた。山岡の手にあるのはクールのボックスだった。同じフィリップ・モリス。
山岡の空気がいつもと違う気がして俺は居心地の悪さを感じた。普段は俺を見るなりびくびく警戒して、早足で逃げ出すことだってあるのに、今日は妙に堂々としている。俺がどんな人間なのか忘れてしまったのだろうか。山岡は言った。
「きみを待ってたんだよ」
「は?」
「話がしたくて」
「なんの?」
「僕はもうきみとは寝ない」
「……なんで?」
やっぱりこいつ俺が何をして何を言ったのか忘れたんだな。俺を拒否したら人生がめちゃくちゃになるって、もう一度教えてやる必要がある。苛々しながら煙草を灰皿で揉消すと、彼も同じようにした。
俺が何か言うより先に山岡は「もういいんだ」と口を開いた。
「僕に仕返しがしたいなら、きみの好きにしたらいいよ。本当は何もいらないんだ。金も権力も。こんな立派なマンションも、与えられたら多分僕は持て余すよ。田舎育ちだからね。僕が欲しいのはもっと些細なことだよ」
なにもいらない、と繰り返す山岡は相変わらず微笑んでいる。いつもの怯えた目でなく、まっすぐ俺を見つめた。思わず目を逸らした。それにさ、と彼は言葉を続けた。
「それに、仮に僕が山本くんのものになったら、きみはきっと僕に興味をなくす」