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「あーん、苦いっ」
たまたま周りに誰もいなくてひとりなのを良いことに、声に出して言ってみたら何だか可笑しくなってきた。
気分転換にリラックスしようとここへ来たはずなのに、好きじゃないものを頑張って飲んで、ストレスを増やして何してるの、私!って思ったから。
でも、入れたものは捨てたくないし、ちゃんと飲み切らないと!と思ってしまうのも自分という人間なわけで。
せめて外の景色を眺めながら、目くらいは癒されようかな、と思って窓際に向かった。
***
「あれ? そこに居んの、もしかして……柴田さん?」
リラクゼーションルームの端っこ。
窓に面して一列に並べられたスツールに腰掛けて、苦虫を噛み潰したような顔をしながらブラックコーヒーをちびちび口に含んでいたら、不意に背後から声を掛けられた。
――え? 誰?
いきなり名前を呼ばれたことに戸惑いながら振り返ったら……入社式の時に見たと思しき、恐らく同期の男性が。
身長は宗親さんと同じぐらいの180センチといったところ。
ただ、着痩せして見える線の細い印象の綺麗系ジャンルの宗親さんと違って、目の前の彼は黒髪短髪のがっちり体型。いわゆるラガーマンに近い。
うん。確かに見覚えはある。あるんだけど――。
ヤバイ。
(……お名前……何っておっしゃいましたっけ?)
なんて失礼なこと、いくら何でも言えるはずないっ。
だって向こうはちゃんと私の名前、呼んでくれたし!
もぉ〜! 何で貴方、名札付けてないのよぅ!などと、己の記憶力の悪さを棚に上げて思ってみたり。
そこでふと自分の胸元に視線を落とした私は「あ」と思う。
私も付け忘れてますね、ごめんなさい。
思えば今日は朝からずっと机の中に入れっぱなしでした!
思い出させてくれて有難うございます。後でこっそりとつけておきますね。
ではなくっ。
「あー、その反応。さては柴田さん。俺の名前が思い出せなくて困ってるでしょ?」
言われた言葉があまりに図星すぎて、思わずギクッと肩が跳ねた。
「柴田さん、入社式の時はガチガチに固まってたからどんな子かイマイチ分かんなかったけど、結構面白いね」
ククッと笑った彼は、目が糸みたいに細くなって、やけに人懐っこい印象だなと思ってしまった。
年の近い男性は苦手なはずだけど、何だかこの人は大丈夫かも?とちょっとだけ肩の力を抜く。
それで、かな。「隣、いい?」と聞かれて小さくうなずいてしまったのは。
私と彼以外、今は広いフロア内、誰もいやしないのだから、何もそんなくっ付いて座る必要ないと思うんだけど。
私に話し掛けてしまった手前、彼、もしかしたらよそに座るのが躊躇われて気遣ってくれているのかもしれない。
まぁもう、何でもいっか。隣に座られちゃったし。
「それで……あの」
「ああ、俺の名前ね。足利。足利玄武だよ。――記憶にない?」
聞かれて、そう言えばそんな名前の人もいたような、と思って「えへへ」って曖昧に微笑んだ。
「あ、いま絶対誤魔化したでしょ?」
ギクリッ! またしても図星。
何この人、エスパーか何かなの?
後に、「俺が何かを言い当てるたび、柴田さんの肩、めっちゃ跳ねていたからね」と、足利くんに教えられるまで、私、これからしばらくの間、何度も同じ過ちを繰り返すことになる。
だけどもちろんこの時はまだ知る由もなくて。
「入社式の時にさ、あんまり柴田さん、ひとりで緊張してたから『よろしくね』って声掛けたんだけど……それも忘れちゃった?」
ああ、それは覚えてる!
「あの時のっ!」
それで思わず自信満々に横を向いて言ったら、思いのほか足利くんとの距離が近くてビックリした。
「俺、大学は専門のトコに通ってたからさ、卒業の時にはもう左官技能士の資格持ってて。その絡みでいまの配属先、左官工事課ね……。柴田さんの配属先の管工事課の1フロア上の4階に居んだけど……知ってた?」
聞かれて、そこは素直にフルフルと首を横に振る。
「ってことは同期の他の面子がどこに配属になったのかも……」
ギクッ。
す、すみません。あの日の私、別のことを考えていて何も頭に入っていませんでした、はい。
だってほら。私、あの日社長に「学生気分が抜けてない」ってお小言くらってたでしょう?
足利くん、記憶力良さそうだし覚えてらっしゃるんじゃないかしら。
(何にしても余りに周りへの関心がなさすぎでしょ、私!)
そう思って、申し訳ないやら情けないやらで縮こまったら、「同期が男ばっかはやっぱし仲良くしづらいよねぇ」と慰められた。
「別にさ、アレから俺らも柴田さんと接点があったわけじゃないし、覚えてなくても気にすることはないと思う。けど――ま、せっかく再会できたわけだし、これからは話せたらいいな、とは思うわけ。どうかな?」
ニカッと人懐っこい笑みを向けられた上、
「いやー、それにさ。柴田さんだけ他の奴らと違って何か大奥入りでもしたみたいに管工事課から出て来ねぇし、出てきても基本いつも上司と一緒だったでしょ? ずっと他の同期らと言ってたんよ。話しかけたくてもチャンスがねぇなって」
そう付け加えられて、「ひー! 宗親さんのせい!」と思った私は、慌ててコクコクと過剰なくらいうなずいた。