地下の奥――“原記録層”。 青白い光が壁を走り、無数の文字列が浮かび上がる。
改竄されたコードの断片が、ノイズのように明滅していた。
「侵入反応、収まりません……外部からの干渉が続いてる」
セラの声はかすかに震えていた。
「誰かがこの層の記録にアクセスしてる。
――“真実”を、上書きしようとしてる」
リオが剣を構え、ハレルが隣に立つ。
「つまり、今まさに改竄が進行中……?」
「そう。だけど私たちがここにいる限り、完全には終わらない。」
セラは周囲を見回した。
輪郭はすでにノイズに覆われ、声も電子音のように揺れている。
「……急いで。私の稼働時間、あと数分。」
ハレルはうなずき、祭壇のような台座に近づいた。
中央には水晶装置が埋め込まれ、封印紋が青く脈動している。
セラの指が触れた瞬間、塔全体――いや、地下構造そのものがわずかに震えた。
――映像が、再生される。
暗い部屋。
机に座る柏木先生――いや、アルディア大臣。
その背後に、黒衣の人物が立っていた。
顔はフードの影で見えない。
手にした観測端末をかざすと、部屋の記録がゆがみ始める。
「やめろ、そのデータは……!」
柏木の叫びが反響する。
「“記録”を正すだけだ。観測者の時代は終わった。」
短く返す声。その手が光を放ち、刃が胸を貫いた。
――柏木の体が崩れる。
ハレルの喉がひりつく。
「これが……真実の記録……。」
「行政庁の塔で証拠をでっちあげて、記録まで上書きしたわけだ。手が込んでるな。」
だが映像はそこで終わらなかった。
黒衣の人物がフードを外す。
現れたのは、記録庁副官・カシアン。
リオの目が見開かれた。
「カシアン……お前が……!」
「知り合いか?」
「……かつての上官だ。俺を“観測官候補”として育てた人物。」
セラの声がかすかに震えた。
「カシアンは、“観測理論”を否定した。
記録を保つよりも、世界を“最適化”する方が正しいと信じていた。」
ハレルが装置を見つめながら問いかける。
「セラ……“観測官”って、何をする人なんだ?」
セラは少しだけ微笑んだ。
「観測官は、“世界の記録”を守る役目を持つ人たち。
この世界では、出来事は“誰かが見た”とき初めて形になる。
――それを観測理論というの。」
「見た瞬間に、形になる?」
「ええ。観測とは、“起きたことを確定させる行為”よ。
私たち観測官は、その確定された記録――“ログ”を保管し、
もし誰かが書き換えようとしたとき、それを検知する。」
セラの瞳が、淡い光を帯びた。
「世界は観測でできている。
でも、観測された“記録”が誰かに上書きされたら……
真実は、嘘に変わる。だから観測官がいるの。」
ハレルは唇を噛んだ。
「つまり、“真実を守る者”じゃなく、“真実を作る者”になったんだ……。」
再生映像の中で、カシアンが小型端末を操作する。
映像の柏木が倒れると同時に、画面全体がノイズで塗り潰される。
――それが、“上書き”の瞬間だった。
「これで“犯人”は、カシアンで確定だな。」
リオの声には怒りが滲む。
「だが、奴はいまどこにいる……?」
セラは沈黙したまま、祭壇の奥を見つめる。
「……居場所は、記録から抹消されている。」
そのとき、リオが装置の奥に手を伸ばした。
封印の紋が光り、内部から小さな破片が浮かび上がる。
焦げたように黒ずんだ銀の欠片――ネックレスの微細な破片だった。
「これは……先生の所持品にあった“観測鍵”と同じ材質……!」
セラが静かにうなずく。
「そう。アルディアが使っていた“観測鍵”は、複製体で本来ひとつの装置。
実験の暴走で割れ、三つの形でこの世界に散ったの。
一つは、柏木の死後に“証拠”として軍服の男によって回収され、記録庁に保管された。
もう一つは、行政庁の塔――偽装現場に置かれ、リオが拾い上げた。
そして最後の微細な破片が、この地下の原記録層に残されていた。」
ハレルはゆっくりと胸元に触れた。
そこには、父から譲り受けたカメラ付きのネックレス――
**観測鍵《オブザベーション・キー》**があった。
セラの瞳が優しく光る。
「あなたの持つ“鍵”は、彼らが模倣しようとした“主観測鍵”。
現実と異世界、両方の“存在を記録”する本物。
あなたの父――雲賀匠が託したもの。」
ハレルの目が見開かれる。
「……父が? それじゃ、先生と父は……」
「繋がっていた。現実に託すために動いていた。」
ハレルの胸のネックレスが共鳴し、青い光を放った。
地下の壁面に無数の文字列が浮かび上がる。
それは光の粒で編まれた“記録コード”――世界の構成情報。
《記録の改竄検出――再構築開始》
光の帯が塔の中心に集まり、まるで巨大なデータ樹のように枝を伸ばしていく。
枝の先には、事件の映像が次々と再生されていた。
“大臣アルディア”が倒れる瞬間、“リオ”が剣を構える偽の映像――
壁一面に浮かぶ光の文字が回転を始め、リオと柏木先生の姿が重なっていく。
すべての嘘が剥がれ落ち、真実だけが残る。
「でも、どうなる?」
「改竄記録を“消す”には、観測者が犠牲を払う必要がある。」
「犠牲……?」
セラは微笑んだ。
「大丈夫。私は、そのために生まれた。」
壁の光がさらに強くなる。
セラの身体が透け、内部に無数の記録コードが流れ始める。
まるで、彼女自身が“修復プログラム”そのものになったようだった。
「待て、セラ!」
ハレルが叫ぶ。
セラは振り向き、静かに微笑んだ。
「観測者ハレル。記録を託す。――真実を見失わないで。」
光が彼女の体を包み込み、粒子が空へ舞い上がる。
地下室の中の記録コードが渦を巻き、改竄データを焼き尽くすように純白の炎を上げた。
次の瞬間、眩い閃光が塔を貫き、すべての光が消えた。
ハレルは目を閉じた。
――静寂。
壁に残ったのは、ひとつの新しい記録。
《確定記録:リオ・アーデン 無実/犯人:カシアン/動機:観測鍵流出阻止》
それがこの世界の“新たな真実”として刻まれていた。
セラの姿は、もうなかった。
リオが低く呟く。
「これで……“大臣殺害事件”は終わった、のか?」
ハレルは答えず、胸のネックレスを握りしめた。
青い光がまだ微かに灯っている。
――まるで、セラの意識がそこに宿っているかのように。
「……終わってない。
真実は、これからだ。」
リオが黙って頷く。
天井の裂け目から、地上の朝光がわずかに差し込んだ。
その光の中、ハレルの瞳に新たな決意が宿った。
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