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雨の匂いで目が覚めた。 ハレルはしばらく天井を見つめ、息を吐く。
指先に冷たくて小さな重み――父のくれたネックレス。
昨夜の夢は断片ばかりで、どこまでが現実か分からなかった。
リモコンを取り、テレビをつける。
朝のニュースが、ざらついたノイズとともに流れ始めた。
「――人気スマホゲーム『クロスワールド・ゲート』をダウンロードした若者が、
今月に入り行方不明になるケースが相次いでいます。
警察は、アプリの開発元であるクロスゲート・テクノロジーズ社に任意の協力を求めていますが……」
アナウンサーの声が続く中、画面にはゲームのタイトルロゴと、失踪した数名の顔写真が映った。
ハレルは眉を寄せる。(クロスゲート……また、あの会社か)
キッチンから食器の音。
妹のサキが顔をのぞかせた。
「お兄ちゃん、起きた? ニュース、なんか怖くない?
あのゲーム、学校でもみんな話してるよ」
ハレルは無言でテレビを消し、テーブルに置かれた自分のスマホを見つめた。
アイコンの片隅に、“ゲート”のロゴが小さく輝いている。
「……お前はダウンロードするなよ」
「え?」 「絶対にだ。いいな」
そう言って、ハレルは端末の電源を切る。
――その瞬間、画面が一瞬だけ青白く光り、
「GATE SYNC」という文字がちらりと浮かんだ。
サキは息を呑み、ハレルの袖を掴む。
「今、光ったよ……?」
「見間違いだ。……多分な」
空気が張り詰める。
ハレルは小さく息をつき、気を取り直した。
ニュースは続いていた。
「――県立桜ノ丘高校の教諭・柏木陽介さんの死亡について、警察は当初“心不全による自然死”としていましたが、関係者の証言に食い違いがあり、再調査を始めたとのことです」
“再調査”。その言葉にハレルは眉をひそめる。
(記録が修正された……いや、まだ完全ではない。揺れ始めてるだけだ)
ネックレスが、脈を打つように淡く光った。
青白い光に一瞬だけ混ざった砂色の粒子。
「セラ……」 呟いても、応える声はなかった。
サキがそっと彼を見上げる。
「……お兄ちゃん、柏木先生って、首に痣があったって噂、ほんと?」
「誰がそんなことを?」
「ニュースのコメント欄で……“同じ痣を見た”って書いてる人がいたの」
ハレルは目を細めた。
「……分からない。でも、何かが繋がってる」
そのとき、スマホが震えた。
発信者:木崎。
『ハレルくん、時間あるか。少し“現実の話”をしよう。』
画面を見つめながら、ハレルは小さく息を呑んだ。
昨夜の記憶がまだ、頭の奥に渦巻いている。
「……今は、行けない」
そう呟いて、スマホを伏せる。
一方で、そのメッセージはサキの端末にも転送されていた。
木崎は“家族のどちらか”に接触を取っていたのだ。
雲賀調査室
雑居ビルの三階、長く伸びる廊下の突き当たり。
プレートには色あせた文字――「雲賀匠調査室」。
サキは小さく息を吸い、隣に立つ木崎を見上げた。
「……ここ、ほんとにお父さんの事務所なんですか?」
「ああ。十年以上、ここで取材記事を書いてた」
ドアノブを回す。もちろん開かない。
カードキーか、暗証番号式。
木崎が苦笑した。
「君のほうが詳しいだろ。試してみるか?」
サキは数字パッドを見つめる。
いくつかのキーだけ、指の跡で艶が鈍っている。
「この四つ……1、1、2、5」
「心当たりあるか?」
「お父さん、昔“11月25日”の記事を一番誇らしそうに見せてた。きっと……何か意味がある」
彼女は指を伸ばし、1-1-2-5を押す。
短い電子音。――LOCK OPEN。
木崎が思わず笑う。
「さすが、血は争えないな」
ドアの向こうは、紙とインクの匂い。
棚に資料がぎっしり並び、壁には糸で結ばれた地図。
机の上には名刺束と古いレコーダー。
木崎が封筒を開くと、中から折り畳まれたメモ束が現れた。
最上段に、父の筆跡。
――観測鍵(Observation Key)
――CrossGate Technologies
――砂上遺跡/砂の迷宮(Labyrinth of Sand)
――被験者No.07:K
――写しは“彼”へ/実体は託す
「……観測鍵?」
サキが首をかしげる。
木崎は説明した。
「簡単に言うと、“世界の記録を確かめる装置”だ。
見たこと、起きたことを“本当に起きた”って形に残す。
……けど、逆に言えば“見なければ存在しない”ってことでもある。」
サキの表情がこわばった。
「じゃあ、誰も見なかったら……?」
「世界から消える。
父さんは、それを“観測理論”って呼んでた。」
記録庁の地下跡
冷たい風。崩壊した通路。
リオは瓦礫に膝をつき、掌を開く。
焦げたように黒ずんだ銀の欠片が静かに光を宿している。
それは、地下中枢の封印装置に残されていた“観測鍵の複製データ”の一部だった。
「《観測再現(Replica)》起動」
腕輪の縁を光が走る。
空間が波打ち、壁に刻まれた“上書き痕”が反転して消えていく。
記録の修復はまだ完了していない。
風が止む。
視界の隅に、黒いフードが揺れた。
――しかし次の瞬間には消えていた。
足元に、紅い砂が一粒だけ残されている。
「……砂?」
リオはつぶやいた。
「境界が……動いている」
彼の表情が一瞬、曇る。
「カシウス……お前、どこへ消えた?」
指先の銀片がかすかに震え、暗闇の奥からかすかな共鳴音が響いた。
リオは立ち上がり、瓦礫の隙間を見つめた。
「姉さん……どこなんだ。まだ……生きてるんだろ」
セラの声が微かに蘇る。
《観測とは、見ることじゃない。“確かめる”こと。》
リオは呟いた。
「見ただけじゃ、真実にはならない……確かめることで、初めて“現実”になるんだな。」
風が吹き抜け、崩れた壁の向こうに、淡い光の粒が散った。
腕輪が微かに共鳴し、遠くの鐘が呼応した。
ハレルの夢
その夜、ハレルは浅い眠りの中で声を聞いた。
――《聞こえる?》
セラの声だ。ノイズの中に、確かな光が差す。
《観測は続いてる。修復も。でも、誰かが“別の記録”を起動した》
「誰が?」
《砂の上。アメ=レア。……境界の底、“迷宮”》
風の音に混じりながら、声が薄れていく。
《……ハレル。真実は、まだ歪んでいる。鍵は、あなたに。》
ハレルは夢の中でネックレスを握る。
《観測とは、確かめること。あなたが見たことを、世界が信じる。》
光が脈打つ。
「……観測鍵。これは……俺が真実を確かめるための装置なんだ。」
光が遠のく。
砂の都市、塔の影、紅い瞳。
誰かが、こちらを見ている。
ハレルは跳ね起きた。
窓の外、雨がやんでいる。
胸のネックレスが淡い砂色に明滅した。
(終わってない……ここから始まるんだ)
机の上には封筒。木崎から送られてきたものだ。
中には、父の事務所で見つかったノートと短い手紙。
《お前の父は、まだ取材を続けている。
――現実と、もう一方で。》
ハレルはノートの表紙に指をかけた。
紙の繊維が、確かな現実として指先に戻ってくる。
記録(ログ)は、嘘をつかない。
――だが、誰かが“書き換えた”なら。
書き換える者を、記録で追う。
境界の砂丘の向こうへ――。
雨上がりの空の下
木崎はビルの外で煙草に火をつけ、空を仰いだ。
雲の切れ間から、薄い金色がのぞいている。
「匠……あんたの息子、完全にこっち側に来たぞ」
足元で、サキが父のノートを抱えて言った。
「お兄ちゃんも、きっとすぐ行く」
木崎は苦笑した。「“砂の迷宮”?。容易じゃないな」
風がページをめくる。
父のノートの一枚、手描きの地図。
中央に、赤い×印。
そこには、はっきりと書かれていた。
Ame=Rea(アメ=レア)
第一章「大臣殺害事件」──完
第二章「砂の迷宮事件」へ続く