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成さなければならないことがある。彼女を奪ったあの男に、復讐を。それまで俺はまだ、死ぬわけには行かない。彼女を追って向こうに行くのはそれからだ。
彼女がいなくなって、俺はまだ彼女に好意を寄せていたのだと自覚した。何故あの時酒に呑まれて別れ話を承諾したのかがわからない。人は失って始めて大切なものに気付くというのは本当の事だったらしいなと手にしたナイフを見て自嘲する。
人生の本線を、誰も断つことが許されないそれを、彼女はあの男に身勝手に断たれた。なぜ彼女だった。なぜ、彼女でなければならなかった。 どんなに問いかけようとも、この問いに答えてくれる者はいない。知っていても尚、俺は問うことを止められない。
高校卒業と同時に、俺の恋の分線は断たれた。それを繋いだのは彼女だった。
「次は分線じゃなくて、本線で会おうよ」
そう言った彼女は、手に持った紙を力強く握っていた。春色のヘアゴムでハーフアップに結んだ髪が風に吹かれて揺れていた。
上手くいかないことが増えて、別れを決意しようとした時もそうだった。いつかまた仲の良い状態に戻れるからと零す彼女の言葉で、俺の気持ちはいつも彼女の傍にあった。
謎かけの答えに気付いて走ったBARで飲んだ強い酒は、思えば辛い気持ちを消してくれる1種の夢だったのだろう。いつもと違う雰囲気の彼女に見惚れ、しかし何故彼女が俺をここに呼んだかなど理解してしまっていた俺は、彼女が繋いでくれた恋の分線の終点を受け入れた。受け入れて、しまった。
あの時それを拒否していれば、今頃は違ったのかもしれない。時を戻す力など持たぬ俺は、ただ復讐という自己満足で救われようと足掻く惨めな奴かもしれない。しかし、それでもいいと思った。
彼女の人生を奪った男を気絶させ連れ込んだ安いアパートに、雨の落ちる音が響く。早く目が覚めないかと苛立つ心を落ち着かせるのと同時に、どうか目を覚まさないでくれと焦る気持ちが在るのを自覚する。情けないなとまた息を吐いた。
殺しはしない。命の灯火を消すのは、まだ先だ。何故彼女だったのか。それだけは聞かなくてはならない。
落語の【死神】という話を思い出す。人の命は全て蝋燭なのだそうだ。愚かな男は人々についた死神を追い払い金儲けをし、調子に乗って自らの寿命を短くしてしまう。そして短くなった蝋燭の灯火を長いそれに移そうとして失敗し命を落とす……確か、そういう話だったはずだ。
蝋燭の灯火は消させない。どんなに苦しもうが、殺してくれと喚こうが、彼女はきっともっと苦しかったのだから。簡単に消して楽にしてやるつもりはない。これは俺の犯す最大の罪であり、彼女への贈り物なのだから。