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1口、それを飲んだ。苦味のあるそれは、美味しいと言える代物ではない。それでももう一口流し込んだのは、俺にはもう既に彼女のところに行く覚悟が出来ているからなのだろう。
彼女が以前作り方を教えてくれたスープにこんなものを混ぜてしまうことには罪悪感があった。しかし彼女のスープで逝けるなら本望だった。愛している。愛していた。もしもう一度会えるなら、と考えて、俺がいくのはきっと彼女とは別の場所だなと思い至る。別の場所であってほしい。
堕ちていくのを感じる。手にかけた男の横で崩れ落ちる。それでいい。忘れ去られてしまいたい。
俺は自分の手で、人生の本線をたった。
そこまで書き終えて、橘 明美は伸びをした。ミステリー作家に憧れペンを取って早3年になるものの、毎回毒殺で終わらせてしまう。
「…まあ、そりゃそうか」
ペンをクルリと回して、日本のものではない夜景を眺める。高所から見下ろすそれにはもう慣れた。
愛する彼を手にかけたのは、もう3年も前になる。そして、ここに越してきたのも。
彼が日に日に私から離れていくのが嫌で、不安でしかたがなくて、手作りのスープに毒を盛った。「いつもとちょっと違う?なんか苦い」と言った彼に「なんでもない。ただちょっと味付け変えたの」と返した記憶は鮮明で、それなのに海外に渡るまでの記憶は抜け落ちている。
愛してるから、私がやった事は悪くない。愛のための犯罪だった──そう言い訳をして、今日も眠れぬ夜を過ごす。
彼を好きになってから、私の人生は一変した。彼が私を変えてくれた。彼が私にくれたのは生きる意味であり、温もりであり、愛だった。好かれたくて自分磨きをすれば、どんどん綺麗になっていく自分に自信が持てた。人はやれば変われると知った。だから…だからもう、彼がいない人生など意味もなくて。彼が離れてしまわぬように、永遠に共に居てくれるように、願いを込めて彼を殺した。
この心情を理解してくれる人が現れないことも知っている。それでも良かった。永遠に解き明かされることのない謎(ミステリー)として残ってくれればそれでいい。何故私が彼を殺したのか。きっとあれこれ推測を立ててあらぬ推理をしていることだろう。それはそれで面白い。解き明かせる人がもしもいるならば、きっと仲良くなれるのに。
1人で生きることにももう疲れてしまったから、そろそろ眠ってしまおうか。
久し振りに作ったスープは、涙の味がした。