テラーノベル
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私は掴まれた手を振りほどき、ベッドから勢いよく降りた。
「だから、お前は休め!」
カイル殿下が、すかさず立ちはだかる。
「はあ。しつこい男は嫌われますわよ~」
「…………」
あ。ちょっと傷ついた顔。
(はいはい。意地悪言ってごめんってば)
「誰の心配をしていると思っている!」
「分かっておりますわ。それに――」
私は彼の手を両手で包み、にっこり微笑んだ。
「もし倒れそうになったら、支えてくださるのでしょう?」
「……当然だ」
「何しろ、殿下のお手は、私に煩わされるためにあると伺いましたので」
「…………」
カイル殿下が言葉に詰まった。
「少しでもふらついたら、すぐに俺に言え」
「善処いたしますわ」
「約束しろ」
「ふふっ。さあ、参りましょう!」
***
会議室では、大臣たちが責任の押しつけ合いを繰り広げていた。
「侍女長一人の仕業ですぞ!」
「いや、定期監査を担当していた財務部の怠慢だ!」
「そもそも、帳簿の管理体制そのものに問題が――!」
上座には、厳しい表情の皇帝陛下。その周囲を、大臣たちがずらりと取り囲んでいる。私とカイル殿下が入室すると、ざわめきが少しだけ弱まった。
「……本当に、妃殿下がお一人で見つけられたのか?」
侮るような囁きが耳に届く。
「政治にも財務にも関わったことのない小娘だぞ」
「侍女が見つけた異常を、自分の手柄として報告しただけでは?」
「あるいは――財務官の誰かに取り入って、知恵を借りたのではないか」
(はあ?)
(元経理部員をナメるんじゃないわよ!)
「静まれ」
皇帝陛下の一声で、会議室が水を打ったように静まり返った。
「ソフィア」
「はい、陛下」
「此度の横領を発見し、証拠を集め、侍女長を追及したのは――真にお前なのか?」
(ふん。わざわざ私を呼びつけたのは、本当に私の実力かどうか見極めるためってわけね)
「陛下」
カイル殿下が、私を庇うように口を開いた。
「ソフィアが自ら――」
「お構いなく、殿下」
「……ソフィア?」
私は彼を制し、優雅に前へ進み出た。
「陛下がお疑いになるのも無理はございません。政治経験もない。財務官でもない。おまけに世間では、贅沢三昧の悪女とまで呼ばれておりますものね?」
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大臣たちの何人かが、気まずそうに視線を逸らす。
「ならば――私に皇宮の財務を正す能力があるかどうか、今ここで証明してみせますわ」
「……よかろう」
皇帝陛下が腕を組み、鋭い眼差しを向けてくる。
「余の目で見極めさせてもらおう」
(上等じゃない!)
ツカツカとヒールを鳴らし、壁際の大きな黒板の前へ歩み寄る。白いチョークを握り――。カツン。中央へ一本の縦線を引いた。
「まず」
くるりと振り返る。
「責任を押しつけ合っている暇があるなら、二度と同じ横領が起きない仕組みを作りなさい!」
「…………!」
「これまでの帳簿は、使った金額を書いて終わり。これでは、子どもの『お小遣い帳』と大差ありませんわ」
「お、お小遣い帳だと……!?」
大臣たちがざわめく。私は構わず、黒板の左側へ【借方】、右側へ【貸方】と書いた。
「これからは、一つのお金の動きを――借方と貸方、両方に記録するのですわ」
「借方と、貸方……?」
「例えば、石鹸を100ルク分、現金で購入した場合」
借方へ【石鹸 100】、貸方へ【現金 100】と書き込む。
「一つの取引を、必ず両側へ同じ金額で記録する。借方と貸方の合計は、常に一致します」
「なるほど……」
「片側だけ数字を誤魔化せば、左右が合わなくなる。不正や記録ミスにも気づきやすい――これが『複式簿記』ですわ」
「おお……!」
大臣たちが、一斉にメモを取り始めた。
(……完全に新人向けの経理研修よね、これ)
「しかし!」
一人の大臣が立ち上がった。
「今回のように、受領証そのものを偽造されたらどうするのです!? 帳簿だけでは防げないでしょう!」
「ええ。防げませんわ」
「……え?」
あっさり認めると、大臣が拍子抜けしたように固まった。
「帳簿だけですべての不正を防げるわけではありませんもの」
私は黒板へ向き直った。
【申請 → 承認 → 受領 → 支払い】
「ですから、申請・承認・受領・支払い――この四つを、それぞれ別の担当に分けます」
「別の担当に……?」
「一人の人間だけで、発注から支払いまで完結できないようにするのですわ」
その下へ、さらに書き加える。
【独立監査】
「支払い前には書類を必ず照合。そして支払い部門とは別に、独立した監査部門を置きます」
チョークを置き、にっこり微笑んだ。
「横領し放題のガバガバな仕組みは――今日で終わりですわよ!」
「……そこまで考えていたのか」
「ただ不正を見つけただけではなかったのか……」
先ほどまで侮っていた大臣たちの視線が、明らかに変わっていく。けれど、一人の年配大臣が立ち上がった。
「し、しかし! これほど大規模な改革を、財務経験もない妃殿下に任せるなど前代未聞ですぞ!」
「何が問題だ」
「……で、殿下?」
カイル殿下が立ち上がった。
「お前たちが見抜けなかった1000万ルクの横領を――ソフィアは短期間で見抜いた。工房を調べ、受領証の偽造を暴き、神殿へ自ら赴いて証拠まで押さえた」
鋭い眼差しが、大臣たちを射抜く。
「ソフィア以上に、解決策を示せる者がここにいるなら――」
会議室を見渡す。
「今すぐ名乗り出ろ」
誰も、手を挙げなかった。
(……あら)
私はカイル殿下の横顔を見上げる。
(こういう時は、頼もしいじゃないの)
「もうよい」
皇帝陛下が、口を開いた。
「ソフィア」
「はい、陛下」
「……余は、お前を見誤っていたようだ」
コメント
1件
**みぅ🤍🥀** ソフィア、会議室で完全に主役になってたね…!悪女って呼ばれてたのに、複式簿記と内部統制の仕組みをスラスラ説明するところ、本当にカッコよかった。カイル殿下が「他にできる者いるか?」って黙らせるシーンも痺れた。二人の信頼関係がちゃんと積み上がってるのが伝わってきて、胸が熱くなったよ。ひよりさん、ありがとうございます。