最近また死神がよく来るようになった。
「ねぇ、いい加減ヤりなよ。」
「うるさい、わかってる。」
そう言いながら私の手はまた動かない。
私の家庭教師の先生である、まなみ先生が辞めた。いや、母に辞めさせられた。まなみ先生とは非常に話が合った。合いすぎた。勉強そっちのけで話してしまいうことが増え、それを見かねた母がまなみ先生を辞めさせた。先生は私の愚痴を聞いてくれた。今にも壊れそうな心をなんとか繋いでくれているうちの一人だった。そんな人がいなくなって私の愚痴を聞いてくれる人はいなくなった。嫌なことが心に溜まるだけの日々。溜まっていく嫌なことを吐き出すことができない日々。たまに、母は本気で私のことが嫌いなのではないかと思うようになった。
私が子供の頃母はほとんど家にいなかった。美容師の試験を取るために、3歳から5歳の私そっちのけで仕事をし、その後専門学校に通っていた。幼稚園の学童保育では私の迎えはいつも最後。日曜日や幼稚園が休みの日も母と遊んだ記憶はない。後から聞いた話だと、母はいざ私を連れて私と母二人きりで生きていかなければならないとなった時不便だから、国家資格である美容師免許をとったそうだ。ありがたい理由だ。ただ、当時3歳から5歳の私にそんな理由わかるわけなく、ひたすらに母は私のことが嫌いなんだと思っていた。いや、嫌いじゃないにしても私のことをだいぶ下に見ていたのかもしれない。珍しく母が休みの日があり遊びに行くと幼い頃の私と約束した。前日、元々酒好きな母は浴びるほど酒を飲み二日酔いになったそうだ。しかし、母は約束を守り私と一日遊んだそうだ。これを母は自慢げに語る。まるで勝手に酒を飲み、勝手に二日酔いになった母が、約束を守ったことが偉いとでもいうように。そして現在、母は浮気をしている。これを知ったのは小学五年生の時。夜、携帯の通知がうるさくなんとなく母の携帯を見ると、愛してよ、と送られていた。そのメールの通知を開き、内容を見て確信した。その時は、ショックですぐ父に報告した。その後家族会議になった。それから中学一年の時にニ回、ニ年生の時に一回見た。ただ、もう、どうでも良くなっていたから黙っていた。そのことが今になって悲しく、辛いものになっていった。そんな、胸に常に黒いモヤを抱えながら過ごす日々がしばらく続いた。限界だった。
一月六日。
私の誕生日。この日にけりをつける。
真夜中、両親の目を盗み持ってきた包丁。
「誕生日の今日に、けりを付けるんだね。」
あの声が聞こえた。
「うん。」
もう私は、梅野あやねの人生に悔いはないと思っていた。でも、一つだけ気になることがあった。
「ねぇ、あなたの姿を見せて。最後の、お願い。」
「…」
やっぱだめかな…。
「後ろ、向いて。」
姿を見せてくれるのだろうか。ゆっくりと後ろを向く。
「…!?」
そこにいたのは見たことがある、私があったことがあると言えばある。ないと言えばない、そんな人だった。
「あなたが、死神」
「うん。」
「小さい頃の、私…」
そこにいたのは、幼い頃の私。写真で見たことのある、少し記憶にも残っている私。
「楽しかった。頃の私。」
母との思い出はなくてもなんだかんだ言って楽しかった頃。
〈楽〉しかったころ。そして、死神はいや、幼い頃の私は、今の私を〈楽〉にしてくれようとしていた。
「わたしはね、私の楽になりたい、楽しみたい心。」
「私の、楽になりたい、楽しみたい、心?」
「うん。」
あぁ、私は疲れていたんだな。わかっていた。でも、今更実感した。感情は理解するのと、実感するのとは違うんだなぁ、とまるで他人事のように思った。
「なんで、辛いことから逃げないの?」
「逃げる…」
そんなことしたら、見捨てられそうで怖い。
「怖い…?」
あぁ、私の心が気持ちが、わかるのか。
「うん。」
そりゃそうか。私だもんね。
「うん。」
心が、悲鳴をあげている。
「来て。」
わたしが手を引いて、私をどこかに連れて行く。
「あやね?どうしたの?」
そこは、リビングで母がいた。母は、私が寝たと思っていたのだろう。驚いた顔をしていた。
「あのね、ママ、言いたいことがあるの。」
それから、私は今までの気持ちを吐き出した。全て。泣いて話したのか。無表情で話したのか。苦しみながら話したのか。それとも、原稿を読んでいるように話したのか、覚えていない。ただ、全てを吐き出し、全てを打ち明けたのは覚えている。何度もカッターを持ったこと。そして、ついさっきまで部屋で持っていた包丁を持ってきて、とにかく、全てを吐き出した。
気がついたら、死神は、いや、わたしは、いなくなっていた。
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