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松野准一……って……。


聞覚えがあった。

「松野春一はるいち元政調会長の一人息子で、元衆議院議員ですよ」

思い出した。

大規模な内閣改造による選挙で若くして初当選し、親子議員として有名になったが、飛行機事故かなにかで亡くなった。

「馨の祖父は松野春一と旧知の中で、准一に自分の地盤を譲る代わりに娘と結婚させたらしいです」

「ちょっと待ってください。准一の息子ということは、戸籍上は馨の兄弟ということですか?」

「いえ。亨は認知されていないんです。俗に言う私生児、ってやつです」

なかなかに複雑な事態になってきた。

馨が根っからのお嬢様であり、政治家と関りがあったことにも驚いた。

「その亨が桜の恋人……?」

「はい」

「けど、桜は松野准一の実の娘ではないんだから、亨と血の繋がりは————」

ハッとした。


桜は自分を松野准一の娘だと思っているはず……。


「そうです。事実はどうであれ、亨と桜は異母兄妹であると承知で付き合ってるんです」


それじゃ、近親相姦じゃないか——!


「……どうして教えないんです?」

「最初は、遺産の関係で伏せていたようです。准一は財産を妻と娘の二人に遺していました。桜が実子ではないとバレれば、遺産は受け取れなくなる恐れがあった。遺産を受け取ったら、准一の親兄弟から返金を求められないよう、隠し続けなければならなくなった」

「馨には何も遺らなかった?」

「そうです」

それは、馨が『家族』として認められていなかったという、誤魔化しようのない事実。

その時の馨の気持ちを考えると、怒りがこみあげてくる。

「准一が亡くなった時、桜はまだ小学生でしたよね?」

「はい。当時、亨の存在は桜どころか馨も知らなかったそうです。けれど、馨が家を出る頃に亨が二人を訪ねて来たそうです。母親が亡くなって、父親が誰かを知り、亡くなった父親の家族に会いに。その時、桜は十歳くらいで、亨は十五歳くらいのはずです。亨は親戚の家をたらい回しにされて、助けを求めてきたそうです」

「だが、勲に彼を助ける義理はない」

「そうです。勲は亨に数万円を渡し、二度と来るなと追い返したそうです。けれど、桜は兄である亨を見捨てられなかった。それから、二人は時々会うようになったそうです。そこからの経緯は知りませんが、二人は異母兄妹と知った上で付き合うようになった」

まったく予想していなかった展開に、息を呑んだ。

いつの間にか強く握りしめていたカップの中の黒い液体はすっかり冷えていた。

俺は風呂上がりにビールを飲む勢いで、コーヒーを飲み干した。

冷静さを保つにはちょうどいい。

「馨は、黛は桜が処女ではなかったことを脅しのネタにしたと言っていたが、黛は桜の相手が亨だと知っているんですか?」

「もし知っていれば、とうに黛と桜は結婚していると……思います」

同感だ。

黛は俺にも『勲の不審死』で揺さぶりをかけてきた。俺と馨を別れさせたいのなら、とっくに桜と亨の関係を明かしていただろう。

「桜は亨に金を渡していた。それを勲に咎められて不仲になった。だから、馨は勲の転落死に桜が関わっているのではないかと不安になり……、あなたに現場の偽装を頼んだ。……そういうことですか」

高津は静かに頷いた。

「誕生日プレゼントに……願いことを三つ叶えると約束したんです」

「え?」

「……付き合っている時、馨は俺にワガママひとつ言ったことがなかったんです。仕事にかまけて、何日も連絡出来なくても、会えなくても。馨の誕生日も一緒に祝ってやれなかった。プレゼントも……気の利いたものが浮かばなくて」

「高価な物より、喜んだんじゃないんですか?」

「そうですね。俺は、馨から『会いたい』とか言われることを期待していたんです。逆プロポーズあるんじゃないか、なんて。……だけど、あいつは一か月経っても半年経っても、願いを言わなかった。だから、痺れをきらしてプロポーズしたんです」

俺以外の男のプロポーズを喜ぶ馨の姿など、想像するだけで脳内が怒りで染まる。

「結婚の報告に実家に行き、勲の死に遭遇し、馨は初めて願いを口にしたんですよ」

高津が目を閉じ、眉間に皺を寄せた。

「桜を助けて——、って」

馨からの甘い願いを期待していた高津の心情を思うと、恋敵《ライバル》ながら不憫だ。

「二つ目の願いは何だったんです?」

「何だったと思います?」


『私と別れて——』


『願い』を盾にでもされない限り、高津は馨と別れたりしなかったろう。

それなのに、別れたということは、そういうことだ。

「三つ目の願いは……?」

「まだ、です」

「そう……ですか」

そんなものがあるから、馨は高津と縁を切れないのではないか。

それならば、さっさと『願い』を言ってしまえばいい。

別れて三年もの間、馨と高津に俺の知らない絆があったと思うと、心臓が軋む気がする。

「馨はいつ……帰って来るんですか?」

「俺が、帰るように言ったら」

「怪我のせいで腕が上がらないと思ったら大間違いですよ」

「警察官だからと黙って殴られると思ったら大間違いですよ」

三度みたび、火花が散る。

形振り構わず、目の前の男に殴りかかったら、気が晴れるのだろうか。

『俺の女に近づくな』と叫べたら、気が晴れるのだろうか。

そうして、馨を取り戻せるのなら、迷いなどない。


今は、俺の感情より、馨の安全が最優先だ——。


「馨の代わりに、俺の願いを聞いてもらえませんか」

俺は、この世で最も嫌いな男に手を差し出した。

共犯者〜報酬はお前〜

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