コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ミッシェリーナの血族は
代々女のみによって継がれてきた。
その血脈は始祖の時代より一貫して
〝女〟にしか宿らず
数千年を超えてなお
例外という言葉を知らなかった。
それは偶然などではない。
宿命であり、天命であり、祝福であり──
そして、時として
逃れられぬ〝呪い〟でもあった。
光の神、不死鳥。
それは、女の身にしか宿らぬ神である。
故に、ミッシェリーナの女皇帝は
常に〝娘〟へと力を継承し続けてきた。
母から娘へ。
肉体の奥深く、命と共に神を繋ぐ血の鎖は
時に愛の名を持ち
また時に悲しみの名をもって紡がれた。
その鎖は決して切れてはならぬ。
それを知る者たちの前で
アリア・ミッシェリーナは
戴冠式を迎えていた。
儀式の後半、玉座の間に再び沈黙が落ちる。
長らく続いた祝辞が終わり
今度は〝告知〟の刻が訪れた。
列席した魔女一族の中から
老いた声が厳かに響く。
「次の女皇帝の伴侶となるべき者は──
植物を身に宿す、緑の一族より現れん⋯⋯
その時は五百年の節目。
女皇帝の傍らに立ち
不死鳥の産まれ直しに、再び世を繋ぐ」
アリアのまなざしは、一瞬だけ揺れた。
その声に
会場が再び粛然とした空気に包まれる。
女皇帝の伴侶──
それは、五百年ごとに転生してくる
他の魔女一族の
長たる者たちの中から選ばれる。
不死鳥を禊ぐ〝産まれ直し〟の儀は
ただ討たれるだけでは成立しない。
次代へと継がせる為
宿主となる女皇帝は、必ず〝伴侶〟を得て
子を──次なる宿主を、産まねばならない。
アリアは静かに視線を伏せた。
目元に、かすかな翳りが差す。
(どうせ⋯⋯不死鳥を継がせるため
子供を産むための⋯⋯
まだ産まれてもいない
顔も知らない〝殿方〟が相手……)
冷えた意識の内に、言葉が落ちていく。
それは自嘲でも、怒りでもなかった。
ただ、この一族に生まれ落ちた者だけが知る
諦観──それだけだった。
彼女の母、シルヴィアは
かつての女皇帝として
すでにそのすべてを経験している。
代々の女皇帝は、神を継がせた後でも
子を授かることができる。
それゆえ
長きにわたって
複数の子を成す者も珍しくなかった。
だが、シルヴィアは違った。
彼女は、娘──
アリアただ一人にすべてを注いだ。
不死鳥をアリアに継がせたのちも
再び子を産むことはなかった。
それは、 選べなかったのではない。
──選ばなかったのだ。
シルヴィアには、三人の妹がいた。
しかし、神を宿さぬ身である彼女たちは
皆、不老不死ではなかった。
外見も、精神も
何ひとつ衰えない自分を傍らに置いたまま
妹たちは次々に老い、皺を刻み
そして──逝った。
その孤独と喪失を
彼女は決して口にしなかったが
その寂しさを、誰よりも理解していたのが
母としてのシルヴィアだった。
だからこそ、娘アリアだけを産み
愛のすべてを、彼女一人に注ぎ続けた。
玉座の横、静かに微笑む老いた女の手が
アリアの手に触れる。
「お母様⋯⋯?」
その瞳は、すでに視えぬはずなのに
娘の瞳に浮かぶ陰りを
まるで見透かすかのようだった。
「⋯⋯あぁ。
あの人が生きていたら⋯⋯
今のあなたを見て
誰よりも喜んだことでしょうね」
柔らかく、切ない声だった。
アリアの父は、記憶を司る魔女一族──
いわば教皇的立場を担う
知と理性の一族の出身であった。
その穏やかで、静かな存在は
激情に燃える不死鳥を宿す
シルヴィアにとって
唯一無二の〝静〟であり
離れず寄り添う影であった。
けれど彼もまた、不老不死ではなかった。
光の神を宿さぬ限り
全ての魔女は〝人〟として老いていく。
彼は数年前、病に伏せ
そのまま静かにこの世を去った。
アリアの戴冠式を見ることは
叶わなかった。
「ええ⋯⋯
後で、お父様の肖像画にも
この姿をお見せしてきますわ。お母様」
アリアの声は
毅然としていたが、どこか優しかった。
肩に羽織った王衣が静かに揺れる。
血の鎖はまた、一つ輪を締め
新たな歴史へと
ゆるやかに、その歩みを始めていた。
⸻
それから──
アリア・ミッシェリーナが
戴冠の冠を戴いてより
すでに百年の歳月が流れていた。
だが、その美しさは
寸分たりとも衰えることなく
あの日
聖域の光を浴びながら不死鳥の翼を広げた
女皇帝の姿のまま
今もなお、光の神をその身に宿す者として
君臨し続けていた。
今宵、月は澄み渡り
森の梢は白銀の吐息に包まれていた。
奥深くにひっそりと佇む宮殿の広間では
燭台の灯が揺れ
壁一面に飾られた歴代女皇帝たちの肖像が
静かにその空間を見守っていた。
その中でもひときわ大きな
そして精緻な装飾が施された額縁の内──
そこには、老いた穏やかな笑みを湛えた
前代女皇帝シルヴィアの姿があった。
銀の髪に、灰を思わせる薄紅の瞳。
王衣を纏いながらも
どこか母としての温もりを宿したその姿は
かつての宮殿を導いた
威厳と慈愛の象徴でもあった。
アリアは
その肖像の前に静かに立ち尽くしていた。
白の長衣は空気を含むように柔らかく揺れ
背にある炎の両翼は
穏やかな燐光を灯していた。
彼女の指先が、ゆるやかに額の縁を撫でる。
「⋯⋯お母様。
今日もまた、新しい命が
この森に生まれました」
その声は、時間を超えた静謐を纏いながら
空間に溶けてゆく。
彼女の姿はまさに〝時の止まった〟美であり
その佇まいは神話の中の女王を思わせた。
アリアの周囲には
数多の者たちが集っていた。
それは歴代の女皇帝の
〝妹〟たちが紡いだ血族──
不死鳥を宿すことはなかったが
確かに〝光の一族〟として
生を繋いできた者たち。
老いた者もいれば、若き者もいた。
幾代にもわたる命の織り重なりが
静かにその場を満たしていた。
アリアは知っていた。
自身が、常に〝見送る側〟であることを。
どれだけ愛しくとも
どれだけ傍に在っても
時が巡るたび、別れは必ず訪れる。
あの日、戴冠式に居た者のすべてが
彼女を残し、すでに皆老いて逝った。
今、こうして共に生きる子孫たちも
やがて
記憶の中でのみ語られる存在となることを
彼女は知っていた。
──けれど、それでもなお。
それだけではないのだと
アリアは理解していた。
見送ることだけが
永遠の者の宿命ではない。
見守り、支え、そして受け継がせるという〝光〟の役目があるのだと。
その瞬間、広間の扉が静かに開かれた。
月の光を背に
一人の若い女が赤子を抱えて歩み寄ってくる
その顔は緊張に強ばっていたが
腕に抱く小さな命の温もりに満ちていた。
広間の空気が一段と清らかになる。
アリアは微笑んで、彼女のもとへと近付く。
赤子は
生まれて間もないとは思えぬほどに
しっかりと目を開き
その澄んだ瞳で
炎の女皇帝をまっすぐに見上げていた。
アリアは、その額にそっと指を当てる。
「⋯⋯ようこそ。
ミッシェリーナの血を継ぐ、祝福の子よ」
その声と共に
指先からほんのわずかに燐光が灯る。
祝福の証。
不死鳥を宿す者だけが許された
命への聖なる接吻。
赤子はそれを恐れることなく
まるで応えるかのように
小さく声をあげた。
それは、柔らかく
この広間の静けさを照らすような産声だった
アリアの微笑は、ゆるやかに深くなる。
彼女はこの子が
やがて誰かに愛され、誰かを愛し
また新たな命を繋いでゆくことを信じていた
たとえ、その未来に自らの姿が残らずとも。
──それで、よいのだ。
彼女の背の炎が、ゆらりと揺れた。
それは暖炉の火のように
優しく、永久を照らす光。
アリア・ミッシェリーナは
今日もまた
女皇帝としての務めを果たしていた。
祝福を授け、未来を見守る者として──
百年の時を超えて
ただ一つの〝不動〟で在り続けていた。