「俺、本当にこの店が好きなんだよ。それがここで本を注文する理由かな。できるだけ長く店を続けてほしいから。俺ひとりの売り上げじゃ、そう助けにもならないだろうけど」
そう言って微笑む彼につられて、わたしも頬を少し緩めた。
「玲伊さんがうちの店が好きって言ってたって、おばあちゃんに伝えておきますね。きっと大喜びしますよ、さすが玲伊ちゃん、いいこと言うって」
玲伊さんは、嬉しそうな顔で、軽く頷いた。
「じゃあな」
と行きかけて、「あ、そうだ」とふたたび足を止めた。
「あさっての水曜日、雑誌を配達してくれる日だよね」
わたしは卓上カレンダーを見て「あ、はい。そうですね」と答えた。
「できたら午後1時ごろ、来てほしいんだけど。大丈夫かな」
「1時なら大丈夫です。3時半ごろから用事があるけど。でも、なんでそんなピンポイントなんですか?」
玲伊さんはちょっと考えてから「秘密」とだけ言った。
「訳を話したら、速攻で断られそうだから」
「それなら、行きません」
すると彼はわざとらしく上目遣いになった。
「へえ、優ちゃん、|太客《ふときゃく》の頼みを断るんだ? ずいぶん強気な商売だな」
ホストクラブやキャバクラじゃないんだから、太客って言い方はどうかと思うけど、確かにご指摘の通りだ。
今日みたいな個人的な注文に限らず、玲伊さんは、毎月、店に置くための雑誌を大量に注文してくれる。
近隣の多くの美容室が、雑誌からタブレットに切り替えているなかで、本当に貴重でありがたいお客様だ。
「うー、わかりました。1時ですね」
そう答えると、彼は勝ち誇ったようににっこり笑った。
「うん、待ってるから」
そして、ようやく歩き出し、後ろ姿のまま手をあげて、その場をあとにした。
わざわざ時間を指定されるなんてはじめてのことで、なんだか嫌な予感がするけど。
それにしても、あー、どうしてあんなに素敵なんだろう。
でも、わたしはもう王子様とのロマンスを夢見るような歳じゃない。
ありえない仮定だけど、もし玲伊さんとわたしが付き合ったとしても、その物語の結末はハッピーエンドではなくバッドエンドに決まっている。
独身で、男盛りでイケメン。
三拍子そろった彼は、スキャンダル好きな世間の人たちの恰好の餌食で、顧客のモデルさんや女優さんとの噂は引きもきらない。
さっき、兄が「女たらし」と言っていたのも、まったく根拠がない話、という訳でもない。
まあ、それがただの根も葉もない噂だとしても、御曹司でもある彼に似合うのは、家柄の良い深窓のご令嬢。
もしくは、彼の仕事をサポートできる、有能な女性。
どちらにしろ、自分にはそんな資格、まったくない。
あーあ、子供のころはよかったなぁ。
家柄とかそんなこと、まったく考える必要がなかったから。
玲伊さんが好き。
ただ、それだけでよかったのに。
わたしはふーっと大きく息を吐き、椅子に座り直した。
そして気を取り直して、お客さんに頼まれていた本の注文をするため、ノートパソコンを立ち上げた。
もう、玲伊さん。
どこまでわたしを惑わせれば気が済むのかな。
さっきみたいなやり取りをしていると、つい彼を身近に感じてしまう。
ここで一緒に遊んでいた子供のころのように……
いやいやいや。
間違ってはいけない。