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2日後、約束の時間に〈リインカネーション〉に向かった。
うちの店から徒歩3分。
大通りに出て、道路を渡った向かい側にあるビルだ。
いつものように裏手にある従業員口の受付で本の受け渡しをしていると「加藤さんですか?」と声をかけられた。
「はい、そうですけれど」
「香坂オーナーにご案内するように言われています。どうぞこちらへ」
アシスタントらしき男性はそれだけ言うと、さっさと先を歩いていってしまう。
そりゃ、一昨日の話ぶりから、ただで帰れるとは思ってなかったけど。
不審を抱きながらも、わたしは彼の背中を追って、ビル脇にある石畳が敷かれた通路を通り、正面に回った。
大通りに面したこのビルのファサードは、夜になるとダイアモンドのように白銀色にライトアップされる。
神々しく輝くさまは、まるで香坂玲伊という美しき王が君臨する現代の城のように思える。
そういえば、正面から入るのは、今日がはじめて。
これまで従業員口しか使ったことがなかったから。
ビル内に入ると、森林を思わせるさわやかな香りが迎えてくれた。
黒服の彼はエレベーターの前で足をとめ、ボタンを押した。
到着を待つ間がちょっと気まずかったので、わたしは店内案内のパネルに目を向けた。
えーと、1階がメインのビューティー・サロンと薬膳カフェ。
2階はフレンチレストラン〈ルメイユール・プラ〉
3階にネイルスタジオ、ドレスレンタルショップ。
4階にジムとエステ、フィニッシングスクール。
5階から7階は事務所。
そして8階はVIP専用サロンと書かれている。
1階から4階の店舗部分は吹き抜けになっていて、大きな窓から差し込む光で室内なのに、とても明るい。
木材が多用されていて、観葉植物も多く、まるで公園に来たかのようなナチュラルな雰囲気だ。
ピカピカの金属製エレベーター扉に映る自分の姿を見て、思わずため息が漏れる。
今日もいつもの、ザ・普段着。
さすがにエプロンは外していたけど。
このビルにいる人はみんな、お客さんも従業員も洗練されたおしゃれな人ばかり。
なんの変哲もない普段着なのは自分だけだ。
この格好でここに立っているのはかなり恥ずかしい。
うちの店と通り一本隔てただけなのに、本当にまるっきりの別世界だ、ここは。
でも、こうして店に入ってみると、玲伊さんはすごい人だ、と改めて思う。
ビル自体は香坂家所有のものだとはいえ、二十九歳という若さでこれだけの店舗を自力で開業して、大成功を収めているのだから。
よほどの才覚と実力がなければ、そんなこと、不可能だ。
エレベーターが到着した。
「5階の会議室でオーナーがお待ちですので。下りればお分かりになると思います」
そう言って、胸に手を当てて、エレベーターに乗ったわたしに深々と頭を下げる彼。
わたしも慌てて頭を下げた。
上ってゆくエレベーターとは正反対に、わたしの心はずんずんと重くなってゆく。
緊張で胃がきゅうっと縮んでくるのがわかる。
チンと音がしてエレベーターの扉が開くと、玲伊さんが待っていてくれた。
「やあ、いらっしゃい」
思わず、目を奪われる。
玲伊さん、うちの店にいるときとはまるで別人。
完全にオンの表情。
自信に満ち溢れた青年実業家の顔をしている。
美しさに精悍さと男らしさも加わって……
なんて言うか、もう眩しすぎる。
ただただポーっと見とれてしまいそうになる自分に、「しっかりしてよ」と心のなかで叱咤した。
「玲伊さん、なんでわたしが会議室に呼ばれるんですか」
降りるなり、困惑顔で問いかけるわたしを、玲伊さんはまあまあとなだめて「とにかくこっちに来てくれる」と先に立って歩いていった。
会議室と言っても、もちろん事務用の机や椅子が置いてあるだけの、無味乾燥な部屋ではない。
まるで温室のようにさまざまな種類の大型観葉植物が置かれており、ナチュラルカラーのフローリングの上にはカラフルな幾何学模様のラグが敷かれている。
そしてテーブルも椅子も、カフェに置かれていてもおかしくないような、素敵なデザインだ。
玲伊さんのあとに続いておそるおそるその部屋に入ると、女性がふたり、先に席についていた。
ひとりはわたしも知っている人。
〈リインカネーション〉の統括マネージャーの笹岡隆美さん。
ハーバード大学で経済学を修めた才色兼備のすごい女性。
開業以来、玲伊さんを陰でしっかりと支えている実務のトップだ。