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「蒼真」
「はい、お嬢様」
「夏祭りに行くわよ」
突然の宣言だった。
朝食の紅茶を飲みながら、藍琉は当然のように言う。
蒼真は一瞬だけ驚き――すぐに頷いた。
「かしこまりました」
「驚かないの?」
「お嬢様の命令ですので」
「……つまらない」
藍琉は頬をふくらませる。
本当はもっと反応してほしかったのだ。
(だって……)
(デートみたいじゃない)
その言葉はもちろん口には出せない。
―――――
夕方。
「……どう?」
屋敷の廊下に現れた藍琉は、いつもとまったく違っていた。
淡い水色の浴衣。
髪はゆるく結い上げられ、小さな花飾り。
普段のお嬢様のドレス姿よりも――ずっと年相応で可愛い。
蒼真は一瞬、言葉を失う。
「……お嬢様」
「なによ」
「大変お綺麗です」
藍琉の顔が一瞬で真っ赤になる。
「なっ……!!」
「当然でございますが」
「うるさい!!」
でも嬉しい。
隠しきれないくらい。
―――――
夏祭り会場。
屋台の灯り、浴衣の人混み、遠くの太鼓の音。
藍琉は目を輝かせていた。
「すごい……」
「お気に召しましたか?」
「ええ!」
完全に子どもみたいだった。
「わたあめ食べたい」
「かしこまりました」
「金魚すくいも」
「はい」
「あとあれも」
「はい」
蒼真は全部付き合う。
どんな命令でも嬉しそうに。
―――――
しかし。
人混みの中。
ドン。
誰かとぶつかる。
「きゃっ」
藍琉の体がぐらつく。
次の瞬間。
腕を引かれ、胸に抱き寄せられていた。
「お怪我は」
蒼真だった。
距離が近い。
近すぎる。
心臓の音が聞こえそうなくらい。
「……だ、大丈夫」
顔が熱い。
「失礼いたしました」
でも手は離れない。
「人が多いので」
蒼真は自然に言う。
「はぐれないように」
手を握る。
指と指が絡む。
藍琉の思考が止まる。
(手……)
(手……握ってる……)
でも。
嫌じゃない。
むしろ――。
(安心する)
そのまま二人は歩く。
誰も入れない空気。
―――――
花火の時間。
夜空に大きな光が広がる。
ドン、と音が響く。
「綺麗……」
藍琉は見上げる。
その横で。
蒼真は花火ではなく――彼女を見ていた。
「お嬢様」
「なに?」
「本日はお誘いいただき、ありがとうございました」
「……別に」
少し沈黙。
花火がまた上がる。
その光の中で。
藍琉は小さく言う。
「……楽しかった?」
「ええ」
「……私も」
蒼真の手を少し強く握る。
「また来てもいいわよ」
「光栄です」
藍琉は胸がいっぱいだった。
ドキドキして。
苦しくて。
でも幸せで。
そして――ついに気づき始める。
(私……)
(蒼真のこと……)
花火が夜空いっぱいに咲いた瞬間。
藍琉の頬が赤く染まった。
恋は、もうすぐ名前を持つ。