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おまる
「高瀬くん、この前のプロジェクトの件なんだけど───」
オフィスの給湯室近くで、他部署の女性社員が高瀬くんに親しげに話しかけているのが見えた。
彼はいつものように、爽やかで非の打ち所がない笑顔で応じている。
私に向ける熱を帯びた瞳とは違う、万人に向けられた「営業用」の輝き。
(……分かってる。あれが彼の仕事だし、彼が優秀な証拠だってことは)
私は資料を抱えたまま、足早にその横を通り過ぎた。
でも、彼女が高瀬くんの腕に軽く触れ
彼がそれを拒むことなく楽しそうに笑った瞬間、胸の奥でドロリとした黒い感情が渦巻いた。
私だけが知っているはずの、彼の脆さ。
私にしか見せないはずの、あの甘えた声。
それらが、あの笑顔の裏に隠されていると思うと
誰彼構わず彼に近づく人間に「彼は私のもの」と叫びたくなってしまう。
「───佐藤課長、お疲れ様です。…どうかしましたか?怖い顔して」
背後から声をかけられ、心臓が跳ねた。
振り返ると、そこには先ほどの女性社員と別れたばかりの高瀬くんが立っていた。
周囲にはまだ人がいる。
彼はあくまで「有能な部下」の距離感を保っている。
「……なんでもないわ。午後の会議の資料、最終チェックしておいて」
「了解しました。……でも課長、少しお疲れのようですし、糖分補給した方がいいですよ」
彼はそう言って
周囲に悟られないような素早い動きで、私の手のひらに小さなキャラメルを握らせた。
一瞬だけ触れた、彼の指先の熱。
「……余計なお世話よ」
私は突き放すように言って自席に戻った。
でも、彼から貰ったキャラメルをデスクの中で握りしめていると
先ほどの嫉妬心が嘘のように溶けていく。
(……ごめん、高瀬くん)
会社では「みんなの高瀬くん」で、私には「厳しい上司」であることを求める。
なのに、ふとした瞬間にこうして「俺はあなたの味方ですよ」というサインを送ってくる。
その日の夜、私の部屋にやってきた高瀬くんは、玄関に入るなり私を壁に押し込んだ。
「凛さん、今日ずっと機嫌悪かったでしょ。……あの給湯室の時、俺のこと睨んでましたよね?」
「睨んでないわよ。…ただ、あなたが誰にでもあんな風に笑うのが、少し……鼻についただけ」
「……それ、嫉妬って言うんですよ」
彼は嬉しそうに目を細めると、私の首筋に鼻先を寄せた。
昼間の「爽やかな部下」の影はどこにもない。
独占欲に満ちた、熱い吐息。
「もっと焼いてくださいよ。……俺、凛さんに嫉妬されるぐらい、気になる男になれてるって解釈していいんすよね?」
仕事中の完璧なギャップ
そして夜の、この狂おしいほどの熱。
私はもう、彼が仕掛けたこの甘い檻から、一生出られそうになかった。
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