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話し終えた彼はわたしの背に手をあて、隣の椅子を引き、座るように促した。
彼に微笑みかけながら、わたしはゆっくり席についた。
乃愛一行の席は、隣だった。
会場はとても和やかな空気に包まれていたけれど、隣の席だけは、とても気まずい空気が流れていた。
桜庭乃愛はまだ、わたしに鋭い視線を送ってくるけれど、こちらも強い視線で受け止めた。
そのうち、取り巻きの一人が冷笑混じりに呟いた。
「ふーん。今まで散々、香坂さんが自分に好意を持っているようなこと言ってたけど、完全な独りよがりだったわけか、乃愛の」
その言葉を耳にした彼女は、顔を真っ赤にして、もう一度立ち上がり、そのまま、会場を後にした。
***
パーティーはそれから小一時間ほどで終了となった。
ドアの前で見送りに並ぶわたしたちに、皆がお祝いを述べてくれた。
「おめでとう。本当に素敵なカップルですこと」
光島さんがわたしの手を握って、祝意を示してくれた。
とても温かな手だった。
「ありがとうございます」
多くの方たちにこれほど祝福されるなんて、思ってもみなかった。
本当に律さんの言ったとおりになったな、と思っていたとき……
「加藤さ、あ、香坂さんよね。今は」と声をかけられ、わたしは表情を引き締め、顔から笑みを消した。
桜庭乃愛の取り巻きのうちのふたりだ。
「加藤でかまいませんよ」
声をかけてきたのは、たしか、わたしより1年先輩の山守さんという人。
「ご結婚、本当におめでとう」
「ありがとうございます」
堅い表情のまま、わたしは礼を口にした。
「実はね、わたしたち……」
少し言いにくそうに、彼女は口ごもった。
すると、もうひとり、同期だった井口さんが続けた。
「ずっと、加藤さんに申し訳ないと思っていて。会社を辞めるなんて考えもしなかったから」
それには答えず、わたしは彼女たちを見つめていた。
「うちの父の上司が桜庭さんのお父上ってこともあって、彼女に頭が上がらなくて……いえ、彼女のせいにしてはいけないわね」と、山守さんが続けた。
「本当にとても心配だった。あなたを不幸にしてしまったんじゃないかと。だからあなたの幸せな姿が見られてとても嬉しかった。それだけ、どうしてもお伝えしたくて」
どう答えようか、わたしは少しの間、思案した。
それから、あらためて彼女たちに視線を向けた。
「……『もう、そんなこと、気にしないでください』とは、とても言えないです。それぐらい傷ついたことは確かなので。言いたいことはいろいろあるけれど、もう済んだこと。言わずにこの胸にとどめておきます。ただ、ひとつだけ……」
その言葉に、彼女たちは表情を引き締めてわたしを見た。
「どうか、もう桜庭さんの言いなりにならないでください。もう二度と、第二のわたしを生み出さないでほしいです」
ふたりは、もう何も言わずに深く頭を下げると、その場を後にした。
わたしはしばらく、彼女たちの背中を目で追っていた。
隣にいた玲伊さんが、無言でわたしの頭に軽く触れた。
そのあたたかな感触が、「今ので良かったんだよ」と伝えてくれているように、わたしには思えた。
***
パーティーが引けた後、一階のヘアサロンにスタッフが集まり、簡単な打ち上げが行われた。
テーブルに数種類のドリンクと簡単なつまみが用意されると、玲伊さんが乾杯の音頭をとることになった。
「今日は長い一日だったな、お疲れ。明日はゆっくり休息を取るように。ではちょっと1周年の挨拶を、といきたいところだけど、どうも話が長いみたいだからね、俺は」
スタッフがうんうんと頷いている。
その様子に、玲伊さんはちょっと片頬を上げ、それから続けた。
「煙たがられるのはごめんだから簡単に済ませるよ。みんな、この一年、本当にお疲れ様、そして今日はどうもありがとう。じゃあ、乾杯!」
全員が「カンパーイ」と大声で続き、各々が手にしているカップを高く掲げた。
やはりこの席でも、わたしたちは多くの祝福を受けた。
玲伊さんは、なんと、頭からビールをかけられている。
「おい、どうしてくれるんだよ、これ燕尾服なんだけど」と文句を言いながらも、嬉しそうに笑っている。
「でも……大丈夫かな」と、岩崎さんが少し心配そうな声を出した。
「ん、どうした? 岩崎」
頭にタオルをかぶったまま、玲伊さんは岩崎さんの顔をちょっと覗き込んだ。
「いえ、あの、桜庭乃愛が大人しくしてるかなと思って。何か仕返しをしてくるんじゃないかなとちょっと心配で」
玲伊さんは律さんの肩をぽんぽんと優しく叩いた。
「たぶん、大丈夫。彼女の家、それどころじゃなくなるから」
「どういうこと?」
わたしが訊くと、玲伊さんが答えた。
「いや、明日の週刊シュウブンに、彼女の祖父に関する記事が出るはずだから」
玲伊さんはある伝手から、桜庭茂三郎が国有地を破格値で手に入れたことを知り、週刊誌の記者の友人に情報提供していた。
「その裏が取れたと、連絡をもらったんでね」
どうも、ある大物政治家に賄賂を贈った見返りの便宜ということらしい。
「政界と財界の関わる大スキャンダル。久々の特大スクープになりそうだと、興奮気味だったよ。そいつ」と彼は満足気に頷いた。
「でも、それはあくまで彼女の祖父のことでしょう」と笹岡さん。
「ああ、もう一つ、手は打ってある。笹岡、秀ちゃんって知ってるっけ?」