「貴方といい、未来といい。
いきなり現れますよね」
と部屋に入った蓮はすぐにクマを退け、ソファに座る渚に言った。
未来はいきなり目隠ししてきたと言うと、
「新婚夫婦か」
と吐き捨てられる。
蓮が笑い、
「未来は貴方と違って、気配を消せるけど。
あの細い指で未来だって、わかっちゃいますからね」
と言うと、
「指でわかるとか、いやらしいな」
と言ってくる。
「……貴方の発想がいやらしいだけですよ」
「単に嫉妬深いんだ」
新発見だ、と自分で言い、目の前を歩いていた蓮を捕獲すると、膝に抱えた。
「俺は、こうして、ぬいぐるみのクマを抱くみたいに、お前を可愛がってるだけなのに、いやらしいとか心外だ」
「貴方はいつもクマにどんなことをしてるんですか……」
そう言ったあとで、渚を見上げて言う。
「知ってたんですね、私の家のこと」
「お前の素性を調べるまでもない。
普通の人間にしては、金に対して緊張感がないし。
徳田に聞いたんだ。
あと、高坂さんも言ってた」
ああ、レストランで会ったんだったな、と思う。
徳田が気づいているのはわかっていた。
あのとき、
『お目覚めでございますか。
秋津蓮様』
そう彼女は言った。
あの頃、渚はまだ自分のことを『蓮子』だと思っていたようなのに。
だから、大事なお坊っちゃまの周りをウロウロしている虫が何者なのか、即行調べたのではないかと思っていたのだが。
その後も、渚の態度が変わることはなかったし、家のことについて、訊いてくることもなかったから。
徳田が渚に話さないとも思えないが、どうなってるんだろうな、と思っていたのだ。
そんな早くから知っていたのか、と溜息をついたが、蓮の後頭部に触れ、自分の方に引き寄せた渚が言ってくる。
「お前が金持ちでも、貧乏人でも借金抱えてても関係ない」
渚さん、と見上げると、
「お前が幼女でも、妹でも……」
と余計な付け足しが始まる。
ヤバイよ、この人、と思って膝の上で見ていると、
「なにが悪い。
お前一筋だって話だ」
と言う。
そんな渚の胸に頭を寄せて、蓮は言った。
「私は貴方とは、住む世界が似すぎてて駄目かと思ってました」
渚は蓮の頭に口づけ、言う。
「家のことは関係ないって言わなかったか?
お前はお前だ。
なにもかも全部捨てて来い」
ぎゅっと渚の腕をつかむ手に力を込めた。
渚の手が蓮の後ろ頭に回り、そのまま口づけてくる。
渚は何処まで知っているのだろうかな、と思う。
徳田は漏れなく、調べていそうだが。
じゃあ、私に、これと結婚せよ、と一族の間で取り決められた相手が居ることも知っているのだろうか……?
「渚さん、大好きです」
その瞳を間近に見据えて言う。
俺もだ……と言い終わらないうちに、渚はもう一度、唇を重ねてきた。
「蓮、空いてる日があったら、すぐ結婚しようと思うんだが」
突然そんなことを言い出した渚を蓮は振り返る。
「どうしたんですか? 急に」
「なんか嫌な予感がするからだ」
……さすが、野生に近い人はなにかが違うな。
すごい勘だ、と蓮は思った。
玄関からベッドのヘッドボードのところに持ってきて飾っていたティアラを手に取り、渚は蓮の頭にそれを乗せてみる。
「ちょっと間抜けだが、可愛いな」
と言うので、
「間抜けだと思うのなら、やめてくださいよ、もう~」
と外す。
「籍だけすぐに入れるという手もあるが、一応、周りに断らないと、あとで揉めそうだしな」
そう。
その周りが問題なんだよな、と思っていると、
「大丈夫か? お前。
戸籍を調べてみたら、勝手に結婚させられてたりとかしてしないか?」
と言ってくる。
「なんてありえそうな恐ろしいことを言ってくるんですか……」
そう言う渚に、やっぱり、和博さんのこと、知ってるのかな、と思った。
「週末、渚さんは忙しいですよね。
私、実家に戻って話をしてきます」
「待て。
お前が一人で行くのおかしいだろう。
俺も行ける日にしろ」
「そうですよね、すみません」
と言いながら、渚の胸に頭を寄せた。
「私ね、お隣さんみたいな穏やかな普通の家庭を作りたかったんですよ」
と言うと、
「自立するとか言って家を飛び出したくせに、結局、似たような境遇の男を選んで後悔してるのか?」
と渚は言ってくる。
お金や地位があるということは、余計な付き合いや縛りや、孤独もついてくると言うことだ。
とりあえず、あんまり親の顔も見たことなかったしな、と蓮は思う。
そこのところは、それぞれの家で違うことだろうが。
「私、普通の公立の小学校に通ってたんですよ。
近くにちょうどいい学校がなかったので。
家に帰ったら、お母さんがお帰りーってアイロンかけながら言ったりするお友達のおうちがすごくうらやましかった。
お母さん、いつも家に居なかったし、お父さんに至っては、あんまり見たこともなかったから」
「そりゃ、お前の親がそうだったってだけだろ。
まあ、俺も親の顔はあまり見たことがないが。
俺の学校の友達のとこでも、普通に家に居る親も居たぞ」
まあ、それはそうなのだろうが。
「だが、俺が父親になったら、お前の父親とたいして変わらない親になるかもな。
でもな、蓮。
離れていても、あんまり子供に会えなくても、俺は、お前も、お前が産むだろう俺の子供もちゃんと愛してるぞ」
まだ出来てもいない子供も含め、愛情を持って渚はそう語る。
「だから、お前の親も、普通にお前を愛してると思う。
お前の結婚相手を勝手に決めたのだって、きっと、それでお前が幸せになると信じたからだ」
やっぱり知っていたのか、と思った。
「……どんな男なんだ?」
渚にしては、奥歯に物が挟まったような訊き方をしてくる。
だから、笑ってしまった。
どんな風に話そうかと思っていたのに。
「まあ、いわゆる一般的なイケメンで、いい学校出てて、ちょっと間抜けで可愛いところもあるんですが。
少々陰険で、性根が悪いので、私の好みではないです」
「……よくわかってるんだな、その男のこと」
はは、と蓮は笑い、
「従兄弟なんですが、兄妹のように育ってきたので」
ていうかですね、と渚に向き直る。
「そうなんですよ、ずっと、兄だと思ってたんですよ。
ちょっと手のかかる、しょうもない兄のように思っていたのに、いきなり、それと結婚しろとか言われても。
なのに、向こうは別にそれでいいみたいなんですよ。
なんで、男の人ってのは、そこで、すぐに切り替えられるんですかね?
財産目当てですか?」
とまるで、和博本人に向かって言ってるように訊いてしまう。
「いや、お前……、それは単に、お前にとって、そいつが兄のようだったってだけで、向こうは最初からそう思ってなかったってことだろ?
その男が、自分からお前と結婚したいと進言したんじゃないのか?」
「知りませんよ~。
ともかく、あっさり話を進めようとした親にも呆れたし。
友江さん、……未来の叔母さんも、まあ、よろしいんじゃないですか、とか言い出すし。
なんかこう、みんなに裏切られた気がして家を飛び出して、今に至ってるわけなんですが」
「で、裏切られた気がしたのに、その未来のおばさんの作った飯を食ってるわけだ」
「……そんなもんですよ。
ほら、家出して飛び出しても、お母さんが、ご飯よーっ、て言ったら子供って帰るじゃないですか。
私にとっては、友江さんが実質、お母さんでしたから」
まあ、そうかもな、と言ったあとで、渚は、
「ところで、お前、飛び出したのは、いつなんだ?」
と訊いてくる。
「え?」
「学生時代とかに飛び出して、就職して、自立してこのマンションを借りたのかと思ってたんだが。
その男と結婚って話になって、飛び出したのか?
学生時代に結婚って話になるか?
なんで、その男は急にそんな話を進めてきたんだ?」
うっ、それは追求されたくないところだった、と蓮は身構える。
「……飛び出したのは、就職して、一年経ってからです。
和博さんと結婚しろと言われたので」
「ちょっといいか?」
はい、と俯く。
「つまりお前は、親の威光もあって、一流企業に就職し、自宅から、悠々通っていたわけだ」
そこを突かれたくなかったな~と思う。
コネを使ったわけではないが、履歴書も書いてるし、あの親の子供だと知らなかったはずはない。
実際、社内で、専務に、お父さんはお元気ですかとか言われたこともあるし。
「何処が自立してんだ?」
……ですよね。
しゅん、とすると、渚は、軽く蓮の後ろ頭を叩いたあとで、
「ま、俺が言えた義理じゃないが」
と言い出した。
「えっ?
渚さんは自立してますよ。
渚さんのお爺様は、可愛い孫でも、実力もないのに、社長に据えたりしない方だと伺ってますし」
と言うと、少し照れたような顔をしながらも、
「まあ、それはお前も同じだろう」
と言う。
「派遣会社の人間が言っていたぞ。
トラブルを起こしてやめたけど、前の会社では、かなり優秀だったと。
なんで、揉め事起こしたんだ」
と問われ、
「そこは追求しないでください~」
と布団に潜る。
本当に今、思い出したくないから、と思っていた。
布団を引っぺがすことなく、渚はぼそりと言った。
「俺はお前の爺さんも同じだと思うな」
「え? なにがですか?」
と自ら顔を出すと、その顔を両手でつかまれ、ホールドされる。
勝手に上に乗ってきた渚が言い切る。
「蓮、お前はこれから自立するんだ」
「は?」
力強い渚の言葉と瞳に、視線も外せない。
怪しい宗教かなにかのように、私を洗脳しようとしているっ、と身構えたが、やはり、渚から目がそらせない。
「お前は、自力で俺という素晴らしい夫を捕まえて、実家から自立するんだ。
金銭的にも、精神的にも。
今度から、実家の威光じゃなくて、俺の威光を笠に着ろ」
いやあの……なにも着る気はありませんし。
それ、私にとって、自立になるんですかね? と思っていると、
「お前は親に押し付けられたんじゃなく。
自分で俺という立派な夫を捕まえたんだ。
誇っていいぞ」
と言ってくる。
「あの……その、ちょいちょい自分を持ち上げてくるのはなんなんですか」
だが、渚は相変わらず、人の話を聞いていない。
「だいたい、お隣みたいな家庭が作りたいって。
お隣が穏やかで普通だってなんでわかる?」
家の中まで入ってみないと、内情はわからないぞ、と言う。
まあ、それはそうかもしれない。
うちだって、外からみたら、理想の家庭だったろう。
お金と安定した地位があって、娘の口から言うのもなんだが、ダンディで人前に出しても恥ずかしくない父親。
家柄が良く、如何にもな、やり手の美しい母親。
……どっちもあんまり見かけないので、顔を見るたび、新鮮だが。
「わかりました。
確かにそうですよね。
人の正体なんて、なかなかわからないし。
お隣さんだって、実は平穏な家庭を演じている、何処かの国のスパイかもしれないですもんねっ」
と笑顔で結論づけてみたが、そこはさすがに、
「なんでそうなる……?」
と突っ込まれてしまった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!