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コンコンコン
木蓮はベッドの上で膝を抱えて耳を塞ぎながらその気配を感じていた。睡蓮の部屋の扉をノックする音が指の隙間から漏れ聞こえて来る。和田雅樹が部屋に閉じ籠ったままの婚約者を見舞いに来たのだ。
コンコンコン
「睡蓮、睡蓮、雅樹さんが来て下さったわよ」
「睡蓮さん大丈夫ですか」
愛おしい人の声が姉の名前を呼ぶ。
(婚約破棄なんて無理よ)
睡蓮と雅樹が結婚すればこんな場面を何度も目の当たりにする。いっその事、雅樹の事を嫌いになれたら良いのに忘れてしまえれば良いのにと、木蓮はティディベアの一件があってから強く思うようになった。
ガチャ
頑く閉ざされていた睡蓮の部屋の扉が開いた。これまで両親が何度声を掛けても応じなかった睡蓮が雅樹の呼びかけに反応した。
「睡蓮さん、どうしたんですか」
「雅樹さん」
「まぁ、ほら母さん。2人で話す事もあるだろうから」
「そうね。雅樹さんはどうぞお入りになって」
「…………はい」
雅樹は横目で木蓮の部屋の扉を見た。睡蓮がその目の動きを見逃す筈も無く、雅樹の腕を引き自室へと招き入れた。
バタン
閉まる扉、そこでどんな遣り取りが行われるのか。
「あら、木蓮どうしたの」
「ちょっと出掛けて来る」
「雅樹さんがいらしているからお寿司の出前でも取ろうかってお父さんと話していたんだけれど、木蓮もどう?」
「………..要らないわ」
「取り分けておく?」
振り返ると不安げな面立ちの母親が木蓮を見詰めていた。
「じゃあ、イクラと真鯛、カンパチ、あとホタルイカ」
「早く帰るのよ」
木蓮の笑顔は強張っていた。
「うん、伊月と会って来る」
「おお、伊月くんと会っているのか!」
ハンバーガー屋での見合いが不発に終わってしまったのではないかと肩を落としていた父親の目が輝いた。
(…………睡蓮の事でね)
睡蓮は自分が構って貰えないと嘆いているが、それこそ木蓮も自分の境遇に孤独を感じていた。
「睡蓮さん、部屋に閉じ籠るなんてどうしたんですか」
叶家から連絡があった時は単なるお嬢さまの我儘で部屋に籠っているのだろうと軽く考えていた和田雅樹も睡蓮のやつれ具合に驚きを隠せなかった。
(…………ここまで酷いとは思わなかった)
それは結納の晩からだと聞いた。
(まさか、木蓮と会っていた事に気付いたのか)
「睡蓮さん」
「雅樹さん、名前で呼んで」
「……….はい?」
「木蓮みたいに睡蓮って呼んで」
やはり原因は木蓮だった。
「それはちょっと」
「ちょっと、なに」
「恥ずかしくて」
「……………..木蓮は良くて私は駄目なの」
雅樹は大きなため息を吐いた。
「睡蓮さん、あなたはもくれ、木蓮さんとは違うんです」
「どういう意味なの」
「あなたは私の婚約者で、叶さんの大切なお嬢さんです」
「…………婚約者」
「はい」
睡蓮は雅樹の腕に縋すがり付いた。
「私は雅樹さんの婚約者なのね!?」
「……….そうです」
「結婚出来るのね!」
「婚約者ですから」
「…………木蓮とは違うのね!」
「木蓮さんは友だちの様なものです」
「そうなの!」
「だから気軽に呼び捨てに出来るんです」
「そうなの!」
睡蓮の表情はみるみる明るいものへと変化したが、雅樹の心の中には暗雲が立ち込め諦めに近い感情が広がって行った。
(………….出会い方が悪かったんだ)
和田医療事務機器株式会社は昨年度の決算が奮わず叶製薬株式会社から金銭的援助を受けたと手渡された報告書に記載されていた。これで叶家との縁談を白紙にする事は不可避となった。
(…………木蓮とは縁が無かったんだ)
「雅樹さん、睡蓮!」
「はい」
「お寿司が届いたわよ、下りてらっしゃいな」
「はーい」
睡蓮は雅樹の冷たい唇に口付けた。
「雅樹さん、お寿司食べて行って!」
「は、はい」
………….雅樹の笑顔は強張っていた。
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