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木蓮は当て所なく歩いていた。伊月に会うなど咄嗟の言い訳でしか無い。睡蓮と雅樹、それを囲む両親の幸せな団欒を見る事が辛かった。
(はぁ、ハンバーガーでも食べに行こうかな)
悲しいかなこんな時でも腹は減る。横断歩道が点滅し走り出した瞬間、低い車のクラクションが鳴った。タイミングが悪く通行車両の妨げになってしまったのかと振り向くと、そこには運転席の窓から手を振る伊月の姿があった。
「まさかここであんたと会うとはね」
「家、近いじゃないですか、今まで会わなかった方が不思議ですよ」
「………そうね」
「でしょう?」
木蓮は車内のエアコンやオーディオ機器を弄りながら革張りの助手席シートを撫で回した。
「まぁ…………それにしても外車とか、絵に描いた様な医者ね!」
「実際、医者ですから」
「だよねぇ」
突然黙り込んだ木蓮は車窓に流れるLEDライトの景色をぼんやりと眺めた。
「木蓮、どうしたの」
「………..あぁ、一家団欒から逃避行よ」
「一家団欒、ですか?」
「睡蓮が部屋から出て来たのよ」
「良かった、それにしてもどうしてまた突然」
気不味い間が空いてしまった。
「婚約者が見舞いに来たのよ」
「婚約者」
「和田医療事務機器の御曹司よ」
「あぁ……….成る程、そういう結婚ですか」
「まぁ……..そういう結婚よ」
伊月はルームミラーで不貞腐れた様な面持ちの木蓮を見遣った。
「睡蓮がその、名前は」
「和田雅樹」
「睡蓮が雅樹さんの事を好きなら木蓮も雅樹さんの事が好き」
「はぁー!?」
「違いますか?」
「ええええ、なに、あんた占い師かなんかなの」
「医者です」
木蓮は薄暗がりでも分かる程に顔を赤らめて伊月に噛み付いた。
「ちっ、違うから!好きじゃないから!」
「そうなんですか?」
「違うわよ!」
車は左折し横断歩道で一時停止、自転車が通り過ぎた。
「外来に向かう時、一度食堂に戻ったんですよ」
「だからなに!」
「泣いていましたね」
「見てたの!?声掛けなさいよ!」
信号機が赤に変わり伊月はブレーキペダルを緩やかに踏んだ。
「いつもと違う木蓮を見た気がしました」
「だからなに」
「………..私と付き合いませんか」
「…………ハンバーガー屋」
「違いますよ」
伊月は木蓮に向き直り驚きの発言をしその突拍子もない申し出に木蓮は目を白黒させた。
「木蓮、私と付き合いませんか」
「は、はーい?」
「清く正しい男女交際です」
歩行者信号が点滅し、信号機が赤から青へと変わった。
「ば、ばばばばばっかじゃないの!」
すると伊月はハンドルを握りながらブッと盛大に時速120kmの勢いで失笑した。
「本気にしたんですか」
「紛らわしい!そんな真剣な顔で言われたら誰でも本気にするわよ!」
「まぁ、あながち冗談でも無い……..かな?」
「なによ、その疑問形」
木蓮の眉間に皺が寄った。
「スニーカーに木工用ボンドでも、それはそれで楽しい人生ですね」
「ヤモリは勘弁だわ」
「1ctの婚約指輪を差し上げますよ」
「あ、そ」
「まぁこの話はおいおい」
「でも、あんた睡蓮の事が好きなんじゃないの」
「好きだからと言って結婚出来る訳じゃないんですよ」
「………….そうね」
今の木蓮にはその言葉が痛いほどよく分かった。
「木蓮が雅樹さんを諦めた頃にまたお話しましょう」
「あんたは睡蓮の事を諦めたの」
「睡蓮さんの幸せが私の幸せです」
「……….なに、あんた神さまかなんかなの」
「医者です」
「分かったわ、私も伊月の事は嫌いじゃないから考えておくわ」
「そうして下さい」
「そうするわ」
木蓮は右手で髪を掻き上げ、伊月はその仕草を横目で見た。