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「春凪、もう一仕事してもらったらタクシーで家まで送ります。貴女の車も僕が責任を持ってアパートまで届けましょう。――頑張れますか?」
聞かれて、私はわけが分からなくてキョトンとして。
「どう、いう……意味ですか?」
恐る恐る聞いたら、
「実はね、ここに向かう前、母から後でマンションに寄るとメッセージが入っていたんです」
そこで手にしたスマホを私に意識させるようにこねくり回して。
「母は僕と春凪の関係を疑ってるみたいだってお話ししましたよね?」
ずいっと私の方に身を乗り出すと、顔をじっと見つめてくる。
ち、近いです、宗親さんっ。
急に削られた距離にドギマギしながら思わず身を引こうとした私に、まるで追い討ちをかけるみたいに、
「――で、あんなことがあった後、僕が面倒がらずにキミと一緒にいるか確認したいんだと思いますよ?」
こともなげにサラリと言ってから、「だったら仲がいいところを見せつけてやろうじゃありませんか」と不敵に微笑むの。
そういえばお店の駐車場で、宗親さんがスマホを見て眉間に皺を寄せていらしたのを思い出す。
息子である宗親さんの性格を熟知しておられる葉月さんは、宗親さんが利害関係だけで繋がっている相手に対して、かなりドライだと言うのをご存知らしい。
だからこそ、宗親さんはそれを逆手に取るためにも、私を簡単に帰すわけにはいかなかったんだ。
今更のようにそう思い至った私は、だからって、とムスッとしてしまう。
簡単には帰らせないためみたいにお酒を盛られたのは、何だか信頼されてないみたいで心外だった。
言ってくだされば、素面でだって、ちゃんとお役目は果たしたのに。
それで非難がましい気持ちを込めて、
「あ、あのっ、私、お酒……っ」
そこまで言ったところで宗親さんと視線が合ってしまって、「貴方に飲まされてますよ!?」という、1番訴えたかったところが尻すぼまりになってしまった。
〝昼間っからお酒を飲むような女の子を、気に入る親御さんがいらっしゃるとは思えないのですが?〟
ってところに繋げたかったのに……私のバカっ。
ソファ前のローテーブルにそのままになっているグラスなどを見ながら話術を失敗したことを悔やんでソワソワする私に、「春凪、キミは今、酔っ払ってますか?」と問いかけてくる宗親さんは至極落ち着いていらして。
それも、何となく悔しい。
「いえ……」
一時的にはふわふわしていたけれど、今は割と何ともない……と思う。
「でしたら問題ありません。――計画通りです」
宗親さんの言葉の真意を測りかねて「え?」とつぶやいたら、「車で来た貴女と一緒に僕も酒を飲んでいるっていうのが大事なんです」と、ニヤリと笑うの。
「僕が送っていけない。貴女も自力では帰れない。そういう状況の恋人同士が、どちらかの家にいる。しかも明日は休日です。――普通ならどうなりますか?」
言われて、下で宗親さんがコンシェルジュの女性に私の車の駐車時間を泊まりのように告げたことを思い出した私は、息を飲んだ。
「もしかして……駐車時間を長く指定したのも、お母様の訪問への対策だったのですか?」
恐る恐る問いかけたら、何でもないことみたいに「その通りです」って認められた。
この人、本当計算高くて怖いですっ!
***
どうやらコーヒーを飲んだ後、開き直った私とふたり、お取り寄せのおつまみを肴にビールを飲んだというのは秘密事項みたい。
その辺りの証拠――ビールの空き缶や牛タンいぶりスモークが入っていた容器や空き箱――は、今や宗親さんによって、綺麗さっぱりこの部屋の中から証拠隠滅されているの。
というのも、ここのマンションには、24時間ゴミ出し可能なゴミステーションがあって。
宗親さんは葉月さんがいらっしゃる前に、それらをそこへ捨てに行かれたから。
私はその間に宅飲みで使った食器類を手洗いして、食器棚の中、宗親さんから指示された通りの場所に仕舞い込んだ。
このキッチンにはもちろんビルトインタイプの食洗機もあるのだけれど、「それで洗うと時間が掛かるから手洗いでお願いします」とおっしゃった時には、本当宗親さんには隙がないなと感心したの。
そう言えばビールグラスやおつまみが載せられていたお皿を洗う際、一緒に流しに置かれていた「コーヒーカップなども洗っておきましょうか?」と提案したのだけれど。
「それは後で使うのでそのままで」
と意味深に微笑まれてしまった。
そうして、ふと思いついた様にポンと手を打たれた宗親さんは、ついでのようにちゃんと仕舞われていたブランデーのボトルでさえもキッチンの天板に出し直して。
私は何故そんなことをするのか訳が分からずキョトンとする。
「コレも後で、ね」
ウインクしながら告げられた、彼の言動の真意を私が知るのは、このあと葉月さんがここを訪れて、宗親さんとの間で交わされる様々なやり取りを聞いた後のことになる。
***
程なくしてインターフォンが鳴って、葉月さんが部屋にいらして。
私は宗親さんに言われた通り――。
***
「ねぇ宗親さん。春凪さん、大丈夫なの?」
ベッドに横たわって狸寝入りをしている私を寝室入り口からそっと覗き見て、葉月さんが心配そうに宗親さんに問い質している。
扉が開けられた際、リビングからの光が遮光カーテンを引かれた薄暗い部屋に一条差し込んできたのが分かって、私は布団の中でひとり、緊張のあまり手に汗をかいた。
入り口は足元側で、近付いて来られない限り布団に隠れた顔は見られないと思う。
それでも空寝がバレませんようにと願いながら、湿った拳をギュッと握りしめる。
扉が閉ざされる音とともに、部屋が薄暗がりに包まれてホッとしたと同時、今度は耳が痛いほどに研ぎ澄まされて。
「何だか親御さんとの間で手違いがあったみたいで、住む所を失いそうなんだそうです。言ってくれれば僕がすぐにでも解決出来たのに。彼女、遠慮してなかなか話してくれなかったから――」
そこでアイランドキッチンの天板上にあえて取り出してあったブランデーのボトルを元の棚に戻す音がして。
次いで流しにわざと残したままにしていたコーヒーカップを食洗機の中に入れているんだろうなという、カチャカチャという音が聞こえてくる。
そんな音に、「僕が少し小細工をしました」とおっしゃる声が重なって。
「まさか宗親さん。春凪さんの同意も得ずにコーヒーにお酒を入れたの?」
あなたって子は!と、溜め息混じりに愛息子を咎める声が聞こえてくる。
「入れたと言っても大匙に軽く一杯ですよ、母さん。……春凪、物凄く取り乱しているようだったので、少しアルコールが入れば気持ちが落ち着いて話せるようになるかな?と思っただけです。もちろん彼女だけにというのはフェアじゃないので、僕のにも入れました」
付け足すように自分も飲酒をしているのだとさらりと含ませてから、「週末ですし、元々彼女にはいつも通り泊まってもらう予定でしたので問題ないですしね」とか。
何ですかっ。その、〝めちゃくちゃ関係が進んでいる2人〟みたいな設定の言い回し!
私、ここにお邪魔したのなんて今日が初めてですし、当然この後もお泊まりなんてする気は微塵もありませんからっ!
布団の中で唇をギュッと噛み締めて、言いたいあれこれを必死に堪える。
「でもそのお陰で、春凪、泣くほど悩んでいた問題、ちゃんと洗いざらい僕に話してくれました。――住むところがなくなることを気にしているようでしたので、だったらすぐにでも一緒に住みましょうって提案したところです」
にこやかに続けられた、宗親さんの、いつもとはどこか違う、後ろ暗くて爽やかな低音ボイスを聴いていた私は、その衝撃の内容に思わず瞳を見開いた。
「――っ!」
ちょっ、ちょっと待って! 宗親さん、いま何て仰いました!?
漏れそうになった声を、必死に布団で押さえ込んだけれど、受けた衝撃はそのぐらいじゃ一向に和らがないの。
偽装結婚は確かに持ちかけられました。
婚姻届も見せられ(書かされ)ました。
一緒に住むような話も出ました。
でも……私のアパート問題に託けたような、性急で具体的な同居云々は、まだお話を煮詰めていなかったはずなのですがっ!?
何故現時点でお母様に話したりなさるのですかぁーっ!
自分に残された、アパートの退去日までの猶予は2週間。
そのことを考えたら、宗親さんから政略結婚を持ちかけられたとき話に出た、同居までのカウントダウンもそれ以内ということだよね?――何ならギリギリでいいかな?――と思っていたのに。
今の口ぶりだとそれより早い段階で、とおっしゃっているようにしか聞こえないのですが!?
しかもお母様に話したりなさったら、後戻り出来ないじゃないですかぁ〜。
私の方に何らかの臨時収入があって(ないのは分かってますが!)、宗親さんのお世話にならなくても良くなるかも?とか思わないの、さすがですっ!(もちろん褒めてません!)
「――えっ? 宗親さん、今なんて!?」
そうして葉月さんにとっても、可愛い息子から突然告げられたその言葉はかなり衝撃的だったみたい。
1オクターブくらい上がった葉月さんの声音に、彼女の動揺を垣間見た私は、その反応に少なからずホッとさせられる。