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東京の街に、日が沈むと現れるという噂の喫茶店がある。
その名は「月灯り(つきあかり)」。普段は地図にも載っていないし、昼間に探しても見つからない。けれど、夜に何か心がざわめくとき、ふと道の端にその扉が現れるという。
ある日の放課後。
部活練習の帰り道、あんずははぼんやりと川沿いの道を歩いていた。川崎くんのことを考えていたせいか、ふいにスマホを落としてしまった。
しゃがんで拾い上げると、目の前に見慣れない木製のドアがあった。
ランプに照らされて、真鍮のプレートには小さくこう書いてある。
「月灯り — 夜の記憶を温める喫茶店」
不思議と怖くなかった。むしろ、懐かしいような、誰かに呼ばれたような気がして、あんずは思わずドアを押していた。
カランカラン、と鈴が鳴る。
中はアンティークの家具に囲まれた、静かでやさしい空気に満ちていた。
棚には本がぎっしり並び、壁には月の満ち欠けを描いた大きな時計。
カウンターの奥には、銀髪で白いシャツを着た青年が一人、紅茶を淹れていた。
「ようこそ、あんずさん」
Yuzuは驚いて口を開いたまま立ち尽くした。
「……どうして、私の名前を?」
青年はにっこりと微笑む。
「ここは、心が揺れた人にしか見えない場所なんです。名前も、ちゃんとドアが教えてくれるから大丈夫」
あんずの胸が、少しだけ高鳴った。
月灯りの喫茶店での夜が、静かに始まった。