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雨の匂いが、病院の白い廊下まで入り込んでいた。
消毒液の匂いと混ざるその空気が、こさめはあまり好きじゃない。
🦈「えーっと、これで全部……?」
受付で渡された紙を両手いっぱいに抱えながら、
こさめは困ったように眉を下げた。
突然、母親が階段から落ちた。
命に別状はないらしい。でも骨折でしばらく入院。
父親は仕事で県外、親戚もすぐには来られない。
だから今、こさめがひとりで手続きをしている。
🦈「保証人欄……? え、なにこれ、むず……」
ペンを持ったまま固まる。
説明を聞いてもよく分からなくて、愛想笑いだけが増えていく。
こういう時、自分は案外何もできないのだと思い知る。
「……大丈夫ですか?」
ふわりとした声だった。
顔を上げる。
そこにいたのは、淡い色のカーディガンを羽織った青年だった。
柔らかそうな髪。
眠たげに細められた目。
病院の白い光が似合うくらい、静かな人。
「すごい困ってる顔してて」
くす、とその人は笑った。
🦈「うぇ!? そんな顔してた!?」
「してた。今にも『たすけて〜』って泣きそうだった」
🦈「えぇ〜!? 泣いてないし!」
慌てて言い返すと、その人はまた穏やかに笑う。
怒るでもなく、からかうでもなく、
ただ空気を和らげるみたいな笑い方だった。
「よかったら、見る?」
🦈「え」
「俺、こういう書類慣れてるから」
そう言って差し出された手は、驚くほど白かった。
細くて、力がなさそうで。
でもどこか、触れたら壊れてしまいそうな危うさがある。
こさめは少し迷ってから、紙を渡した。
🦈「……じゃあ、おにーさんに任せる!」
「おにーさん」
その言葉が面白かったのか、彼は肩を揺らす。
🍵「俺、すち」
🦈「すち?」
🍵「うん。君は?」
🦈「こさめ!」
名前を言うと、
すちはゆっくり目を細めた。
🍵「かわいい名前」
🦈「へへ、でしょ〜?」
いつもの調子で笑った、その時。
ゴホッ、と。
小さな咳が聞こえた。
すちの肩がかすかに揺れる。
その一瞬だけ、
彼の顔から色が抜けた気がした。
🦈「……だいじょぶ?」
🍵「ん、大丈夫」
でも返事のあと、
すちはほんの少し息を整えるみたいに目を伏せた。
その横顔を見て、
こさめはなんとなく思う。
この人、
ちゃんと笑えてるのに。
なんでこんなに、
消えてしまいそうなんだろうって。
新作「君に生きてほしいから」
主人公 雨乃こさめ(あめの こさめ)
お相手 青翠すち(せいすい すち)