テラーノベル
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35
千波
48
お豆腐メンタル
10
澪が溶けている。
もちろん、比喩的な意味でだ。
部室のテーブルに突っ伏して、ぐでーっとしている。
「また一段と溶けてますね」
俺が声をかけると、澪は顔を伏せたまま片手だけを上げた。
「もう無理。今日は何もしない」
「それはお疲れ様です」
「今日は映画部員として部活動に参加しているだけですー」
そう言って、澪はさらに机へと沈んでいく。
まあ、いつものことだ。
そもそも澪が映画部に入った理由の一つが、生徒会の仕事から逃げる場所が欲しかったからなのだから。
勉強もできて、仕事もできる。そんな美少女がぐでーっと溶けている姿を見られるのは、たぶんこの映画部くらいだ。
「副生徒会長がそれでいいんですか?」
「副生徒会長だから休息が必要なの」
「ものは言いようですね」
「聞こえなーい」
澪は顔を伏せたまま耳を塞いだ。
今日は撮影の予定もない。
細川先輩は部室の隅で映画雑誌を読んでいるし、るなはその隣で宿題をやっている。
俺も特にすることがないので、スマホを眺めていた。
こうして見ると、俺たちは本当に映画部なのだろうか。
そんなことを考えていると、
「先輩の髪って、ほんとすごい色してるよね」
ゆりかの声が聞こえた。
明里の後ろに立ったゆりかが、その赤い髪を一房持ち上げていた。
「そう?」
「うん。近くで見るともっとすごい。染めてもこんな綺麗な赤にならなくない?」
「ちょ、ゆりか。勝手に触らないでよー」
口ではそう言っているが、明里も別に嫌そうではない。
ゆりかは光に透かすようにして明里の髪を眺めている。
その様子を見ていたるなが、ふと俺の方を向いた。
「悠真先輩。明里先輩の髪って、地毛なんですか?」
「ん?」
俺はスマホから目を離した。
机の上には明里のバッグが置いてある。
それを引き寄せ、取っ手についている定期券入れを開いた。
「地毛だよ」
中に入っていた紙を広げて見せる。
「ほら」
「ちょっと悠真!」
明里が声を上げた。
「勝手に人のバッグ触らないでよ!」
「聞かれたから」
「聞かれたからじゃない!」
るなが俺の手元を覗き込む。
「地毛証明書……本当にあるんですね、こういうの」
「入学するときに学校に出したやつ。これは予備」
「なんで悠真先輩が入ってる場所まで知ってるんですか?」
「色んな人に聞かれるんだよ。あいつって染めてんの? って。そのたびに明里がこれ見せてるから、もう場所まで覚えた」
「だからって勝手に出していい理由にはならないからね?」
明里が証明書を取り返す。
ゆりかも横から覗き込んだ。
「へえ。本当に地毛なんだ」
「だからそう言ってるじゃん」
「いいなー」
「いい?」
「こんな綺麗な色なんだから、もっと色々やればいいのに」
ゆりかは再び明里の髪を手に取った。
「髪型とか」
「髪型?」
「そう。いつもおろしてるだけじゃん。例えば――」
ゆりかがドレッサーから髪ゴムを取り出し、明里の髪を器用に束ねていく。
「サイドテール。ほら、雰囲気変わるじゃん!」
ゆりかの目が輝く。
それを見ていたるなも興味を持ったらしい。宿題の手を止め、二人のところへ寄っていく。
「るなまで?」
「フォームチェンジみたい! 他にもできるの?」
「もちろん」
ゆりかは髪ゴムを外すと、今度はさっと別の髪型にしてみせる。
「いいなぁ。僕、髪短いから試せないんだよね」
「ちょっと二人とも、やめてよー」
なんて言っているが、本人も満更ではなさそうだ。
「ゆりかちゃん、三つ編みってどうやるの?」
るなが聞く。
俺もその言葉に反応した。
そういえば、女子の三つ編みってどうやって作ってるんだ?
「俺も興味あるな。どうやるんだ?」
椅子から立ち上がり、明里の後ろへ向かう。
「悠真まで!? 分かった、分かったから! 強く引っ張らないでね! 抜けちゃうから!」
そんな俺たちを、細川先輩が映画雑誌の向こうから眺めて笑っていた。
澪はというと、一度だけこちらを見たあと、再び机に沈んだ。
ゆりかがお手本を見せてくれる。
髪を三つに分け、それを順番に交差させていく。
「ほら、こう」
「なるほど」
簡単そうだ。
それに倣って、俺とるなも見よう見まねで編み込んでいく。
…………。
難しい。
見るのとやるのでは大違いだった。
「悠真、引っ張ってる! 痛い痛い!」
「悪い!」
「だから強く引っ張らないでって言ったじゃん!」
「これ力加減が難しいんだよ!」
横ではるなが器用に編み込んでいる。
なぜだ。
「悠真先輩、ここをこうするとやりやすいですよ」
「なんで初めてなのに俺より上手いんだよ」
「さあ?」
解せない。
しばらく明里を着せ替え人形ならぬ髪型人形にして遊んだところで、ようやく解放してやることになった。
明里は乱れた髪を手櫛で直している。
「もう、髪抜けてないよね?」
「大丈夫、大丈夫」
「ゆりかが言っても信用できないんだけど」
そんなことをしているうちに、ふと細川先輩が部屋の隅に置かれたビデオカメラを見た。
「そういえば……花子さんの映像、どうしようか」
「あ」
明里が声を上げる。
すっかり忘れていた。
少し前、俺たちは旧校舎の女子トイレで花子さんの撮影に挑戦した。
結果から言えば、撮影には成功した。
たぶん。
「もう一回見てみる?」
細川先輩の提案で、全員で映像を確認することになった。
机の上にノートパソコンを置き、撮影した映像を再生する。
澪もようやく体を起こした。
画面には、旧校舎三階の女子トイレが映っている。
『花子さん、花子さん、いらっしゃいますか?』
映像の中から声が聞こえる。
しばらく何も起こらない。
そして――。
『……はい』
小さな声。
そこで映像は終わった。
「…………」
誰も何も言わない。
撮影したときは大騒ぎだった。
本当に返事があった。
花子さんがいた。
撮れた。
興奮しながら部室に戻ったのを覚えている。
しかし、改めて冷静に見てみると。
「……地味だね」
ゆりかが言った。
「言っちゃった」
明里が苦笑する。
「だって、扉映してたら声が聞こえただけじゃん」
「その場にいたときは、本当に怖かったんですけどね」
るなも困ったように笑う。
「実際に体験するのと、映像で見るのは違うんだな」
俺も正直、同じ感想だった。
細川先輩が画面を見ながら考え込む。
「映画として見せるなら、これだけだと少し弱いかも……」
「やっぱり何か起きないと面白くないんですかね」
俺が言うと、
「別にそうでもなくない?」
ゆりかがすぐに返した。
「そうなのか?」
「何も起きない映画だってあるじゃん」
「じゃあ、どういうのが面白い映画なんだよ」
「そんなの決まってるでしょ」
ゆりかは大したことでもないように言った。
「自分が見て面白かったかどうかが一番でしょ」
「それだけ?」
「それだけ」
ずいぶん単純だ。
「名作とかあるだろ。有名な監督とか、賞取った映画とか」
「それが何?」
「何って……」
「みんなが百点って言ってても、私がつまんなかったら、私にとってはつまんない映画じゃん」
ゆりかは続ける。
「逆に、みんながつまんないって言ってても、私が面白かったら面白い映画」
「極端だな」
「そう?」
ゆりかは首を傾げた。
「映画って楽しむために観るものでしょ。だったら自分がどう思ったかが一番大事じゃない?」
細川先輩が少しだけ考えてから頷いた。
「そういう見方も、いいと思う」
「でしょ?」
ゆりかは満足そうだ。
先輩のように映画について詳しいわけではない。
難しいことを考えているわけでもない。
ただ、自分が好きか嫌いか。
面白いか、面白くないか。
それを他人の評価に任せない。
なんというか、ゆりからしい。
「あ、じゃあさ」
何かを思いついたらしく、ゆりかが手を叩いた。
「これだけはみんなに見てほしいって映画、見せ合わない?」
「面白そう!」
明里が真っ先に食いつく。
「一人一本?」
「そう。一人一本持ってきて、みんなで観るの」
「あの……」
小さく手が上がった。
細川先輩だった。
「一本だけじゃないと駄目ですか?」
「え?」
「おすすめしたい映画なら、何本かあって……」
先輩が指を折り始める。
「まず、ホラーなら――」
「待って待って」
ゆりかが止めた。
「先輩、何本あるの?」
「……今のところ七本」
「多いよ!」
「でも、ジャンルごとに選ぶとどうしても……。脚本で選ぶならこれで、映像なら別の作品があって、それから――」
「一人一本!」
「そんな……」
細川先輩が目に見えて落ち込んだ。
「理恵先輩がすごく悲しそうです」
るなが困ったように言う。
「じゃ、じゃあ二本まで!」
「本当?」
先輩が顔を上げた。
「食いつきすごいな」
思わず口に出る。
細川先輩は少し恥ずかしそうに眼鏡を直した。
「……映画部なので」
「今までで一番映画部員らしい発言かもしれない」
「映画部なんだから映画観ようって言ったの私なんだけど!」
ゆりかが抗議する。
明里が笑い、るなもつられて笑う。
澪はようやく復活したらしく、
「私は何にしようかなあ」
とスマホで映画を探し始めていた。
なんだかんだで乗り気らしい。
俺も何か考えておくか。
全員のおすすめを順番に観るとなると、しばらくかかりそうだ。
まあ、それも悪くない。
パソコンを片づけようとして、ふと停止したままの画面が目に入った。
薄暗い女子トイレ。
結局、映っているのはただの扉だけだ。
「なあ、ゆりか」
「何?」
「じゃあこれは?」
俺は画面を指差した。
「花子さん」
「うん」
「地味なんだろ?」
「地味だよ」
即答だった。
「じゃあ面白くないってことか?」
ゆりかは少しだけ考えた。
「いや、私は面白かったよ」
「地味って言ってただろ」
「地味なのと面白くないのは別でしょ」
「……そういうもんか?」
「そういうもん」
よく分からない。
でも本人がそう言うのだから、そういうものなのだろう。
少なくとも、それが伊藤ゆりかの映画論らしい。
コメント
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ああ、読み終えました。第8話、すごくよかったです。 ゆりかちゃんの「自分が面白いと思ったかどうかが一番大事」って言葉、すごく心に残りました。映画に限らず、何かを楽しむ時の純粋な姿勢って、大人になるほど忘れがちですよね。それでいて「地味だけど面白かった」と花子さんの映像を肯定するところも、彼女らしい誠実さが出ていて好きです。 それにしても、明里さんの髪をみんなで弄るシーン、微笑ましかったです。部室の空気感がふわっと伝わってきて、読んでいるこちらまで温かい気持ちになりました。