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「マエストロ、おはようございます。今夜もよろしくお願いいたします」
大河の運転でホールまで送ってもらうと、瞳子はすぐに挨拶回りをする。
足の痛みもそれほどではなく、これなら本番も大丈夫だろうとホッとした。
「おっ!まみちゃん。今夜は更に美しいねえ。クリスマスイブに、愛の名曲の数々を君に捧げるよ」
「あ…、ありがとうございます」
あはは…と愛想笑いでやり過ごし、瞳子は次にステージマネージャーの川上のもとへ行く。
「川上さん、おはようございます。昨日はありがとうございました」
「間宮さん!足はもう大丈夫なの?」
「はい。川上さんの手当てのおかげで、すっかり良くなりました」
「そう、それなら良かった。あ、ゲネプロは予定通り14時半からだから、あとでホールに来てね」
「かしこまりました」
川上と別れて一度控え室に戻り、台本とボールペンを持ってステージに向かう。
既に楽団員達が顔を揃え、曲をさらったり、リラックスして雑談したりしていた。
瞳子が挨拶を終えると、ゲネプロが始まった。
「よし!じゃあ1曲目の頭から」
マエストロがタクトを構え、皆も一斉に楽器を構える。
その場の空気がピリッと変わり、瞳子はコンサートの冒頭をイメージしながら耳を傾けた。
次の瞬間…
え?!と驚いて瞳子は顔を上げる。
聴こえてきたのは、全く別の曲。
(これは…メンデルスゾーンの結婚行進曲?)
どうして?と、急いでプログラムを確かめるが、どこにもその曲名は見当たらない。
事態を飲み込めないでいると、冒頭のさわりの部分だけで演奏は終わった。
「まみちゃん、結婚おめでとう!」
マエストロが笑顔で拍手し、次々に、間宮さん、おめでとう!と楽団員達もあとに続く。
「は?あの…」
瞳子は呆然としながら目をしばたかせる。
「間宮さん、結婚おめでとう!これは我々スタッフから」
そう言って川上が、綺麗な花束を瞳子に差し出した。
「えっと、あの?これは一体…」
「サプライズってやつだよ。まみちゃんの結婚を、みんなでお祝いしたくてな」
マエストロの言葉に、瞳子は信じられないとばかりに皆を見渡した。
誰もが笑顔で拍手してくれている。
「皆様、ありがとうございます。本当に驚いてしまって。とても嬉しいです。ありがとうございました」
頭を下げると、感極まって涙が込み上げてきた。
「おやおや、こんな美女を泣かせちゃったよ。俺って罪な男だなあ。あはは!」
マエストロがそう言うと皆も笑い出す。
「さっ!じゃあゲネプロやるぞ。まみちゃんを更に感動させてやろうじゃないの」
「はい!」
マエストロが表情を変えてタクトを構え、スッと振り始めると、圧倒されるような見事な演奏が始まった。
「はあ、びっくりしたなあ」
ゲネプロが終わり、控え室に戻った瞳子は、花束をテーブルに置いて、ふうと息をつく。
「でも皆さんのお気持ちが何より嬉しい!私の為に演奏してくれたなんて」
思わず笑みがこぼれた時、スマートフォンにメッセージが届いた。
「あ、大河さんだ」
開いてみると「リセールチケット、ゲット出来た!」とあった。
「ええ?!すごい!やったー!」
と喜んでから、瞳子は真顔に戻る。
「え、でも待って。大河さんに私の司会ぶり、見られちゃうじゃない。やだ!恥ずかしい」
じっと大河に見つめられながら司会するなんて…、と、瞳子は両手で頬を押さえる。
「仕方ない。お仕事だもんね、ちゃんと割り切ってやらないと」
うん、と己に頷いて、瞳子は再び台本を開いた。
「間宮さん、開演30分前です。15分後に移動お願いします」
「はい、承知しました」
顔を覗かせた川上に返事をして、瞳子は持ち物を確認する。
部屋を出て通路のモニターで、開場したホール内をチェックすると、たくさんのカップルが笑顔で席に着いていた。
(わあ、クリスマスイブだもんね。ロマンチックな雰囲気だな。女の子達、着飾ってて可愛い)
思わず目を細めてから、瞳子はふと思い立ち、もう一度控え室に戻った。
スマートフォンで、クリスマスメニューをアートプラネッツのオフィスに届くように手配する。
(これでよしっと。吾郎さん、メリークリスマス!)
瞳子はふふっと微笑んでから、スマートフォンをバッグにしまって控え室を出た。
「皆様、メリークリスマス!」
アンダーソンの『そりすべり』で幕を開けたコンサート。
曲が終わって拍手が鳴り止むと、瞳子はステージの下手から現れて笑顔で挨拶する。
メリークリスマス!と客席からも返事が返ってきた。
「本日はウィンターコンサートにようこそお越しくださいました。わたくしは司会の間宮 瞳子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
お辞儀をしてからゆっくり顔を上げると、1階席中央に座っている大河とバチッと目が合った。
(やだ!大河さん、そんな正面の席に?)
一瞬、素に戻ってしまったが、慌てて笑顔でマイクを握り直す。
「3夜連続でお贈りしてきたこのウィンターコンサートも、いよいよ今夜が最後。クリスマスイブの本日は、聖夜にふさわしい名曲の数々をご用意いたしました。大切な方とご一緒に、どうぞ最後までじっくりとお楽しみください」
第一部はクリスマスにちなんだ聴きやすくロマンチックな曲を集め、休憩を挟んだ第二部は、瞳子の語りを交えたチャイコフスキーのバレエ組曲『くるみ割り人形』の演奏だった。
耳馴染みのある名曲の合間に、瞳子の優しい声で、主人公クララのお話が語られる。
ドレスをまとった美しい瞳子の姿に誰もが魅了され、うっとりと夢見心地になっていた。
ラストは素晴らしい演奏で華やかに締めくくられ、観客席から大きな拍手が起こった。
マエストロが瞳子の手を取ってエスコートし、前に歩み出た瞳子が深々とお辞儀をする。
観客はより一層の拍手を、惜しみなく瞳子に送っていた。
「大河さん、お待たせしました」
終演後。
観客がホールを出た後、ガランとしたロビーで大河が待っていると、後ろから瞳子の声がした。
大きな花束を抱えて笑顔で駆け寄って来る瞳子に、大河は目を細める。
先程まで、まるで自分の手の届かない所に行ってしまったような気持ちで、ステージ上の瞳子を見つめていた。
美しくて、清らかで、高貴で…
手を触れてはいけないような、それでいてどうしようもなく抱きしめたくなるような…
コンサートの間、ずっと大河は瞳子に恋焦がれていた。
その瞳子が、今自分のもとに微笑みながら駆け寄って来てくれる。
それだけで大河は胸がいっぱいになった。
手を伸ばして歩み寄ると、瞳子をギュッと抱きしめる。
「え、あの、大河さん?」
いきなり抱きしめられて、瞳子は戸惑ったように大河を見上げた。
「どうしたの?大河さん」
「瞳子が好きだ」
え…、と瞳子は言葉に詰まる。
「瞳子のことが、好きで好きで堪らない。どうしようもないくらい、瞳子が愛おしい」
瞳子はじっと身を固くしていたかと思うと、おずおずと視線を上げて大河を見つめた。
「私も。大河さんのことが大好きなの」
恥ずかしそうに、はにかみながら小声で呟く瞳子に、大河はまた切なさを募らせる。
「瞳子…」
大河は身を屈めると、大きな花束に隠れるようにして、優しく瞳子にキスをした。
「もう、本当に大丈夫だったら」
「いーや。ずっとステージに立ってたし、さっきも俺の所まで走り寄って来ただろ?悪化したらどうする」
ようやくいつもの調子に戻ると、またしても大河は瞳子を抱き上げて、車に乗せた。
運転席に回ってエンジンをかけると、大河は瞳子の服装を見て残念そうにする。
瞳子は控え室で、ジーンズとニットに着替え直していた。
「せっかく綺麗なドレスだったのに。なんで着替えたんだ?」
「ええ?!最初は大河さん、誰にも見せたくないって言ってなかった?」
「俺以外の男にはね。でも俺には見せて欲しい」
「そ、そんな…」
真剣な表情で言われ、瞳子は顔を赤くする。
「せっかくのクリスマスイブだし、雰囲気のいいレストランでディナーを楽しみたかったのに」
「でも、今夜はどこも混んでますよ?」
「そうか、そうだな。それに瞳子の足も心配だ。今夜はうちでゆっくりしようか」
「はい!そうしたいです」
にっこり笑う瞳子に、大河は思わずふっと笑みをもらす。
「可愛いな、瞳子。うちなら人目を気にせず、ずっとイチャイチャ出来る。覚悟しとけよ?」
うっ…と、瞳子が身をすくめた時、スマートフォンにメッセージが届いた。
「あっ、吾郎さんだ。無事に届いたのかなー?」
ふふっと微笑みながら、瞳子はメッセージを読む。
『瞳子ちゃーん!チキンにワインにケーキ、ありがとー!うっうっ、クリぼっちの心に、瞳子ちゃんの優しさが染み渡ったよー。メリークリスマース!ありがとうございマース!』
あはは!と声を上げて笑うと、大河は怪訝そうに眉を寄せた。
「吾郎がどうかした?」
「ふふっ、ちょっとね」
「なにー?!俺には言えない、吾郎と内緒の話?」
「もう、大河さんったら。違うってば。ほら、早く帰っておうちでクリスマスパーティーしよう?」
「ああ、うん。そうだな。早くイチャイチャしよう」
「ええ?クリスマスパーティーでしょ?」
「うん、そう。イチャイチャパーティー」
大河さん!と横目で睨む瞳子に、あはは!と笑って、ようやく大河は車を発進させた。