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船上の決闘
錚々たる船の数だ。その中に一種異様な船があった。六艇の櫂を舷側に横たえ、反り上がった舳へさきを持っている。見るからに早そうな船だ。
秀は迷わずその船に近づいて行った。
「源治さんはいるかい?」
秀が船内を掃除している若い水夫かこに聞いた。
水夫は黙って岸を指差した。
指の示す方角に目をやると、一軒の船宿が見える。
「ありがとよ」秀は若者に手を上げると、船宿に向けて歩き出した。
「今頃水夫達と酒でも飲んでいるに違ぇねぇ」秀が言うと、一刀斎が黙って頷いた。
和泉屋と書かれた腰高障子を開けると、上がり框の向こう側に水夫達がそれぞれに酒盛りをしているのが見えた。
秀はその中に目的の顔を見つけて声を掛ける。
「源治さん・・・」
源治と呼ばれた船頭は、顔を上げて秀を見るなり破顔した。
「おう、秀じゃねぇか、久し振りだなぁ!」
「源治さん頼みがある、時間がねぇんだ!」
「どうしたい、深刻な面つらして?」
「船を出してもらいてぇ、さっき出港した千石船を追ってもらいてぇんだ!」
源治は眉根を寄せた。
「なぜでぇ、話によっちゃ出さねぇでもねぇが・・・」
「俺の娘が拐かどわかされてその船に乗っている」一刀斎が横から言った。
この際、多少の嘘はしょうがない、まあ、当たらずとも遠からずだろう。
「誰でぇ?」源治が訊いた。
「同じ長屋の一刀斎さんだ、娘の志麻ちゃんは俺が妹のように可愛がってる子だ」
秀が一刀斎に調子を合わせて言った。嘘は後で詫びるとしよう。
「頼む、この通りだ」一刀斎が頭を下げた。
「お侍ぇに頭を下げられたんじゃしょうがねぇなぁ・・・」源治は仲間を見回した。
「みんな、どうする?」
話を聞いていた水夫達が一斉に頷いた。
「押送船が千石船に負けるわけにはいかねぇ!」
「そうだそうだ、あっという間に追いついてみせるぜ!」
酒の酔いも手伝ってか水夫達が威勢良く立ち上がる。
「みんな、恩に着る!」
秀が深々と頭を下げた。
*******
六艇櫂の押送船は白波をものともせず、水夫の掛け声と共に矢のように海面を滑って行った。
「湾内で追いつくぞ!」源治は声を張り上げた。外海に出てしまっては押送船では潮の流れに逆らえない。水夫達は全身に力を漲らせて櫂を漕ぐ。
千石船の後ろ姿がグングン近付いて来る。
大船の描く航跡で押送船の船体が上下に揺れ始めた。
「親方、もうすぐ外海だ、早くしねぇと潮に流されて帰れなくなるぜ!」
櫂を漕ぎながら水夫の一人が声を上げた。
「分かってる!」
源治は苛立たしそうに言って一刀斎に訊いた。
「お侍ぇ、追いついたはいいがどうやって船に乗る気だ?」
「縄梯子で・・・」一刀斎は船尾を睨んだまま答えた。
「そうじゃねぇ、いきなり行っても乗せてくれねぇんじゃねぇのか?」
「俺に考ぇがある、あんたた達は俺が船に乗り込んだら引き返してくれろ」
「大ぇ丈夫なのか?」
「ありがとう、この礼は必ずする」
「そんなもんは要らねぇ、だが娘っこを奪い返した後はどうする?」
「この船が行く所までまで行くさ・・・」
船は三河まで行く筈だ。上手く目的が果たせたら、このまま志麻とお紺に会いに行こうと一刀斎は決めた。
千石船の船尾から水夫が訝しげにこちらを見ている。不審な船が追って来たと思っているのだろう。
「おい、この船に大和屋さんの客人は乗ってるか!」
一刀斎が大声で叫ぶと、水夫が返事を寄越した。
「乗ってるが、それがどうした!」
「大和屋さんから書状を預かって来たんだ!」
「だったら綱を投げるからそれに結んでくれ、俺が渡してやる!」
「いや、大事な書状だから直接渡してぇ、縄梯子なわばしごを下ろしてくれ!」
「俺の一存じゃそれは出来ねぇ、船頭かしらに聞いてくるから待っててくれ!」
「待てねぇ!もうすぐ外海に出るんだ、そしたらもう着いていけなくなる!」
「どうしよう・・・」水夫が困った顔をしている。
「大和屋さんが必ず渡せと言ったんだ、渡せなかったらお前ぇのせいだ、後で大目玉を食らっても知らねぇぜ!」
一刀斎が脅すように言うと、水夫は漸く頷いた。
「分かった、今下すから真下まで来てくれ!」
源治が顔色を変えた。
「お侍ぇ無理だ、この揺れじゃ梯子に届くところまで近づけねぇ!」
「無理は承知だ!なるだけ船を寄せてくれ、後は俺が飛び移る!」
一刀斎の必死の頼みに源治が言った。
「おいみんな、出来る限り船を寄せろ!」
船が近付くと縄梯子が降ろされた。
しかし、これ以上は危なくて近付けない。千石船にぶつかれば押送船など木っ端微塵に砕け散ってしまう。
縄梯子の先端が三間先の海の上で漂っている。
一刀斎は船縁ふなべりに足をかけた。
「行くのか、お侍ぇ?」源治が訊いた。
一刀斎は船の揺れを計算していた。
船は一度沈んで、波に持ち上げられるように船体が跳ねる。その時に飛べばなんとか縄梯子まで飛べるかも知れない。もし届かなくてもあそこまで泳げれば・・・
「世話んなった!」
一刀斎は身を躍らせて宙に舞った。
*******
「海音寺の旦那、なんだか甲板が騒がしいようだぜ」
船倉せんそうの畳敷きの間に、肘枕で横になっている海音寺松千代に、小猿が耳打ちをした。
小猿は猿太夫の子飼いの手下で、河豚毒、蛇毒、鳥兜とりかぶとの毒などを調合して、即効性の毒や遅効性の毒を自由に操る事の出来る薬師くすしである。
「小猿、様子を見て来い」松千代が命じた。
小猿が嫌な顔をした。
「俺はあんたの手下じゃねぇ、頭の命で仕方なくあんたに着いて来てやってるんだ。俺に命令するのはやめてもらおう」
「なに・・・?」
松千代が上体を起こし、側にあった刀に手を伸ばす。
小猿はサッと身を引いた。
「おっと、あんたの腕は分かってるよ。だが、俺にだって薬師としての矜持がある、頭以外に命令されるのは好かねぇ」
「ふん、勝手にしろ・・・」
松千代はまたゴロリと横になった。
小猿は横目で松千代を睨んでから立ち上がった。
「ちょっと見て来る」
そう言って、甲板に至る梯子を上って行った。
*******
船縁ふなべりを蹴った勢いで、なんとか縄梯子に取り付いた一刀斎は、濡れて滑りやすくなった横桟を伝って甲板まで辿り着いた。
「大和屋の客人は何処にいる?」一刀斎が水夫に訊いた。
「待ってくれ、まずあんたの名前ぇを訊きてぇ?」
水夫は己の独断が間違っていたのではないかと疑い始めた。
「一刀斎だ」
「一刀斎・・・苗字は?」
「ねぇよ」
「な、何だって、じゃあ書状は!」
「それもねぇ」
「手前ぇ俺を騙したのか!」
「すまねぇな、こうでもしなけりゃ乗せてくんねぇだろ?」
「当たりめぇだ、人をコケにしやがって!」
水夫が大変な剣幕で捲し立てた。
「どうしたんだ!」
声を聞きつけて水夫達が大勢やって来た。
「こいつが無断で船に乗り込んで来たんだ!」
「無断じゃねぇ、お前ぇが縄梯子を下ろしてくれたんじゃねぇか」
「そ、そりゃそうだが・・・」
「なんだ辰、お前ぇそんな事したのか!」
「だ、だって、大和屋さんの使いだって言うから・・・」
辰と呼ばれた水夫の歯切れが悪くなった。
「騙したのは悪かった、だが、この船に俺の知り合いの命を狙う悪党が乗っているんだ。俺はそいつを討ちに来た」
「そんな事、信じられっかよ!」
水夫達がそれぞれに得物を持って一刀斎を取り囲む。
「お前ぇさん達に怪我はさせたくねぇ、俺を大和屋の客に会わせてくれれば分かる」
「出来ねぇ!・・・おい、みんな、やっちまえ!」
辰が勢いを取り戻して叫んだ。
「待ちねぇ!」
水夫達の後ろから、身なりの良い商人風の男が現れた。髪に白いものが半分以上混じっている所から察するに、五十代の半ばかと思われるが、肌の色艶の良さから十ほど若く見える。
「あっ、船主様!」
水夫達が一斉に道を開けた。
「お侍さま、私はこの船の船主、廻船問屋の山形屋伊兵衛と申します。聞けば悪党をお探しとの事、その証拠は御座いますか?」
伊兵衛が一刀斎の前に進み出た。よほどの胆力の持ち主であろう、一向に動じる気配がない。
一刀斎は懐に手を入れ、大和屋が持っていたS&Wを取り出した。
「これで、大和屋が俺の仲間を撃った」
「ほう・・・」
山形屋は一刀斎から拳銃を受け取ると、矯ためつ眇すがめつ念入りに確かめた。そして一刀斎にそれを返すと言った。
「確かにこれは大和屋さんのもの、一度商人仲間の集まりで自慢げに見せられた事があります。と、言う事は・・・」
一刀斎は銃を懐に入れながら、その仲間が大和屋を討ち取った、と説明した。
「では、大和屋さんは死んだ・・・と?」
「そうだ、やつは裏家業で殺しを請け負っていた。この船の客も俺の仲間に向けられた刺客だ」
「そうですか・・・その噂はなんとなく聞いておりましたが」
「どうでぇ、俺をそいつに会わせてはくれめぇか?」
山形屋は大きく頷いた。
「いいでしょう・・・」
その時、帆柱の影から人影が現れて船倉に降りて行ったのを気付いた者は無かった。
山形屋は水夫達を持ち場に戻らせると、自身で一刀斎を案内するために船倉の入り口に向かった。
「その必要は無いぞ・・・山形屋」
身を屈めて入り口を潜ると、海音寺松千代は山形屋に向かって駆け出した。
「危ねぇ!」
一刀斎が山形屋の後襟を掴んで引き倒す。
その山形屋の頭上を光芒が横一文字に斬り裂いた。
「チッ!」
空を斬った刀を真上に返すと、今度は一刀斎めがけて振り下ろす。
ガキッ!
抜き付けに一刀斎の刀がそれを止めた。
そのまま松千代が力押しに押して来る。
一刀斎が踏ん張るとフッと上からの圧力が消え、松千代の躰が沈んだ。
次の瞬間、腹に衝撃を感じ大きく飛び退って間合いを切った。
見ると着物の前が斬れて大きくはだけている。
松千代が信じられないと言った顔で一刀斎を見た。
一刀斎はゆっくりと懐から銃を取り出した。
「こんなもんに助けられるようじゃ、俺もお終ぇだな」肩越しにポイと放ると、銃は船縁ふなべりを越えて海に落ちて行った。
「さて、本番と行こうか」
一刀斎は左足を前に出し、剣を寝かせて相手の目に付けた。
松千代は右足を引いて上段に構えを取る。
「足を引いたのが命取りだ」一刀斎が不敵に笑う。
「ハッタリは効かぬぞ!」松千代の顔に動揺が疾った。
「試してみるかい?」
一刀斎は切先を徐々に下げて行く。それに連れ躰も前に傾いて行った。
自然、前足に重心が掛かる。
「それでは動けまい?」松千代の顔に余裕が戻る。
「どうだかな?」
剣尖が松千代の喉を通り過ぎ、鳩尾みぞおちから臍の位置まで下りて来た。
腹部を過ぎ金的を過ぎたその瞬間・・・
「くらえ!!!」
引いた右足を大きく前に踏み出しながら松千代は剣を打ち下ろした。
「もらった!」
重心のかかった前足の膝の力を、一刀斎は一気に抜いた。
重力に従って落下する躰と裏腹に、剣がバネ仕掛けのように跳ね上がる。
松千代の剣が一刀斎の頭上に達する前に、一刀斎の剣が松千代の股から顎までを斬り上げていた。
落ちてきた松千代の剣は、一刀斎が斬り上げた剣に阻まれ最後まで落ちきる事は叶わなかったのだ。
「足を踏み出した分だけ斬撃が遅れたな・・・」
一刀斎が呟いた時、松千代の躰は船の甲板に仰向けに倒れていった。
「ふう・・・」一刀斎が息を吐いたその時・・・
右の太腿に激痛が疾った。
見ると袴の上から円錐形をした針が刺さっている。
帆柱の影に吹き矢を咥えた小猿がいた。
「そいつを捕まえろ!」
山形屋が水夫達に命じた。
ふと見ると一刀斎が片膝をついてしゃがみ込んでいる。
「お侍ぇ!」
山形屋が駆け寄って一刀斎を助け起こした。
水夫達は逃げ回る小猿を追い回し、ようやく捕まえると縄でグルグル巻きにして帆柱に縛り付けた。
小猿が一刀斎を見て不敵に笑っている。
「それは鳥兜とりかぶとの毒だ、もうお前は助からない」
「毒・・・」
「ど、どうすれば・・・」冷静な山形屋が狼狽している。
「肉ごと抉えぐり取るしかねぇな」一刀斎は手拭いを噛み、刀の鞘から小柄を抜き取ると躊躇なく太腿に突き立てた。
グフ・・・と呻きを上げながらも針の周りの肉を切り取って行く。
それを小猿は平然と見つめている。
「助かるかどうかは微妙なとこだな。お前の運が強ければ助かるかも知れない」
「ふん、俺は運なんて信じれぇ・・・死神が来らら・・・叩き斬ってやるら・・」
意識が朦朧として呂律ろれつも怪しくなった。
「強がりもほどほどにしな・・・ほうら、もう毒が回っている」
「う、うる・・・ぇ」
一刀斎はその場でバタリと倒れて意識を失った。