テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
芙月みひろ
92
#王子
白石さんは熱い茶を一口飲むと、湯呑みを静かに置き、さらりと爆弾を投下した。父親から譲り受けた自社株を売却すれば、この小さな水道屋を買収することなど、彼女にとっては「単純な事務手続き」の一つに過ぎないと涼しい顔で告げたのだ。
「お嬢さん……一体いくらで買うつもりなんだ?」
白石さんが親父の耳元で「具体的な評価額」を囁いた瞬間。
ガシャンッ!
親父は手に持っていたスパナを床に投げ捨てた。
「母ちゃん。今日で店じまいだ。俺は明日から毎日パチンコだァ!」
(おい、親父……! 職人のプライドが、わずか三秒の提示額で溶けた……。安すぎる、安すぎるぞ、親父の人生!)
バコオンッ!
「痛ってえ!」
母さんの鋭いツッコミとお盆が、親父の後頭部でいい音を立てた。
「情けないねぇあんたは! 息子の嫁の金にたかる親がどこにいるんだい!……陽一、お前、美人局だなんて疑って悪かったねぇ」
母さんが呆れたように溜息をつき、ようやく僕たちの顔をまともに見てくれた。
「……最近、再開発を巡って怪しい地上げ屋だのコンサルタントだのがこの辺りをうろついててね。連日しつこくやって来るもんだから、あんたが連れてきたお嬢さんも、てっきりそっち(詐欺)の仲間かと思っちまったんだよ」
「……このお嬢さんは『お前そのもの』を奪いに来てる。……あんたはもう一生逃げられないんだねぇ」
親父もばつが悪そうに頭をさすりながら、引き攣った笑いを浮かべた。
「……すげえな。水道管の破裂より激しい愛なんて、初めて見たぜ。おい、赤飯だ。このお嬢さんに勝てる人間はいねえよ」
「陽一、あんた……。……まあ、精一杯、長生きしなさい?」
(母さん、なんで疑問符つきなんだよ! それ、猛獣に生け贄を差し出す時の顔だろ! 「行ってらっしゃい」じゃなくて「お達者で」の方の意味だろ……)
母さんの目には、もはや深い同情の光が宿っていた。実家という強固な防壁が、白石さんの「事務スキル」と「執念」という名の攻撃で跡形もなく粉砕されるのを眺めながら、僕はただ乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!