翌朝、二限に間に合うようにセットした目覚ましのアラーム音に起こされ、寝ぼけ眼をこすりながらスマホを開くと、あらわれたラインの通知に眠気なんてどこかへ飛んで行ってしまう。
『大森君!連絡もらえると思ってなかったので嬉しいです』
『ご飯ぜひ行こう、いつがいい?』
眠っている間に藤澤さんからの返信が来ていたのだ。うわ、どうしよう、と思わず頬が緩む。朝ごはんを上機嫌で食べていたら、俺の様子から何か察したらしい兄が、お礼は駅前のケーキ屋のマカロンでいいぞなどと女子高生みたいな要求をしてきたので、うるさいと一蹴した。でも1個くらいなら買ってきてやってもいいかなんて少しだけ思った。
藤澤さんは水曜と土曜にバイトが入っているというので、翌週の月曜に、俺の4限の講義が終わった後に待ち合わせることになった。当日、同じ講義を受けている若井にこの後の予定を聞かれたが、何となく素直に伝えるのが恥ずかしくて「ちょっと用事ある」とだけ言って別れた。
待ち合わせ場所に指定された大講義棟のホールに行くと、講義終わりの時間帯ということもあり人で溢れていたが、藤澤さんの金髪はこの中ではひときわ目立つ。
「藤澤さん!」
声をかけながら駆け寄ると、こちらを認識した彼は例のほんわりとした笑顔を浮かべる。
「すみません、お待たせしちゃって」
「ううん、僕も今来たとこだよ~」
ご飯にはちょっと早いから適当にお店とか見ようか、といって歩き出すと、藤澤さんがあっ、と小さく叫んで肩から下げていた黒いトートバッグの中身を確認したかと思うと
「ごめん、忘れ物したみたいだ。ちょっと走って取ってきてもいいかな」
「もちろんです、全然急がなくても……時間はありますし。話しながら一緒に行ってもいいですか?」
「それは全然大丈夫、むしろありがとう、ごめんね」
申し訳なさそうに謝る藤澤さんに、本当におっちょこちょいなところのある人なんだなと微笑ましくなる。
「何忘れたんですか?」
何気なく尋ねると、少し気まずそうに言葉を濁す。あまり人に知られたくないようなものなんだろうかと不思議に思っていると
「作曲ノート、なんだよね」
えっ、と思わず息を呑む。すると慌てたように
「作曲って言っても本当に大したものじゃないんだ。簡単な音遊び程度で。この先にピアノ室があるの知ってる?」
俺が首を横に振ると
「予約制だけどここの学生なら誰でも自由に使えるんだ。昔からピアノを習ってたからたまに弾きたくなって……。その時に何か思いついたりしたフレーズを書き溜めたりしてるノートがあるんだ」
うわぁ、どうしよう恥ずかしい、と両手で顔を覆う。そのときちょうど目的の部屋に着いたようで、藤澤さんが立ち止まる。部屋の前にかけられた飲食店のウェイティングシートみたいなものを確認して
「良かった、誰も使ってないみたい」
と、ほっとした表情で胸をなでおろす。
「これが予約シートになってて、使いたい時間と学籍番号を書き込んでおくんだ」
みると、一番最新の書き込みは開始時間14時半の終了時間16時になっており、これが藤澤さんだろう。今日この後は誰も使う予定がないらしかった。部屋の中には小さめのグランドピアノが一台設置されていて、部屋の大きさは最低限程度となっているが音がよく通るように設計されているのか天井が高い。
「あったあった」
藤澤さんが譜面台に置かれていた赤いノートを手にして戻ってくる。
「あの」
口にするか躊躇ったが、思い切って声をかける。
「もしよければで大丈夫なんですけど、ピアノ弾いてるの聴いてみたいなって」
藤澤さんは驚いたように目を見開いたが、すぐに、
「いいよ」
と笑った。ちょうど空いてるしね、と言って予約シートの開始時間の欄に16時40分と書き込む。
「いつも一人だから誰かいるの新鮮だな~。大森君は何か好きな曲とかある?」
「え、せっかくなら藤澤さんの作った曲聴いてみたいです」
「え!それは結構恥ずかしい……」
「でも藤澤さん、俺の作った曲は聴いたでしょ」
引き合いに出すつもりはなかったが、どうしても彼の作った音を聴いてみたかった俺は、意地が悪いと自覚しながらも先日の件を口にした。すると、確かに……と藤澤さんは唸って
「じゃあ少しだけ」
と頷いて見せた。先ほどトートバッグに仕舞った赤いリングノートを取り出し、ぱらぱらと捲る。彼は細くて白い指で鍵盤を軽く叩いて音の確認をした。それからすぅ、と小さく深呼吸して、両手の指を鍵盤の上に置く。なめらかに滑り出すように始まる演奏。肩を揺らし、口元には微笑を浮かべながら、実に楽しそうに音を奏でていく。流れるように音が紡がれていく。そして、ポーンと一音高い音を響かせたかと思うと転調してポップな曲調へと変わる。跳ねるような弾き方。その時ふとピアノを奏でる彼と目が合った。ふわりと笑う。いつもの柔らかな笑みとはまたひときわ違い、少し妖艶さをたたえている。綺麗だ。それに何よりこの人は音楽が好きで好きでたまらないというような音の作り方をする。
気づくと俺は藤澤さんの隣に腰かけて、彼の奏でる音に合わせて即興で「似合う音」を紡いでいた。楽しい。楽しい。夢中になって彼の音を追いかけて、つかまえて、かと思えば全く違う位置からお似合いの音を投げてみて。藤澤さんもそれに応えてくれる。夢中になって僕らは弾き続けた。時折目が合うとにっこりと微笑みかけてくれる彼に自然とこちらの頬も緩む。お互いがお互いの音を探るようにして発展していくセッションが終わったころには、ピアノを弾いていただけと思えないくらい二人とも汗だくになっていた。
※※※
作者は楽器未経験(なんなら中学時代の音楽の成績赤点ギリギリだった人間)なので、表現上違和感があるかもしれませんが、大目に見ていただけると嬉しいです……!
コメント
11件
連弾してるの!?やばい 目と目が逢って笑顔は死亡案件ჱ̒✧°́⌳ー́)੭
相変わらず文章を書くのがお上手で...✍中学時代...ということはお姉さん?お兄さん?ですね!通りで文を書くのが上手いこと...👏私の知っている方だけですが年齢が一定数を超えると比例して文章力がえげつなくなるんですよね...小説なのに目の前に人物が思い描けるぐらい説得力のある文章になるんですよ😳流石です✨
いつかの大森さん「惚れてまうやろぉぉぉ!!!!」