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#追放
海の紅月くらげさん
『禍子』。
それは、己が幸福であるほど周囲に不幸を撒き散らすという災禍の子。
皆既日食と共に生まれ、顔に大きな痣を持ち、齢20になったその日にころりと死ぬ。
醜く、化け物じみた不吉な子。
人々はそんな子らを虐げた。
自分たちに不幸が振りかからぬように。
また、己らの手では殺さぬようにも気を付けた。
かつて『禍子』を殺し呪われた者たちと同じ轍を踏まぬように。
だから『禍子』は皆、不幸なままに一生を終える。
生かされず、殺されず、幸福を知らぬまま恨みを抱いて死んでいく。
何百年と続く歴史の中、例外は無い――はずだった。
***
「清子! 皿洗いと雑巾掛けはどうしたの! やれと言っておいたはずよね!?」
耳に障る大声と共に、1人の女性が障子を開ける。
途端に冬の冷気と共に眩い日光が室内に差し込み、彼女は僅かに目を細めた。
障子で隔たれていた先は、松の植わった庭先を望む縁側だ。
そして、そこに居たのは。
「嫌でーす」
みすぼらしい着物に身を包んだ少女・満葉清子であった。
地味な茶色の瞳に、ついと吊り上がった目尻。
やや丈の足りていない薄生地の着物から覗くのは、生傷の目立つ細い手足。
緩く2つに結んだ長髪は黒く、しかし横髪だけ特徴的に赤い。
手入れはほぼされておらず髪質はパサパサとしている。
まともな扱いをされていないと一目でわかる彼女の風貌には、しかし同時に気の強さがありありと現れていた。
「せめて文脈に則って話しなさい!!」
清子の気の抜けた返事に、女性は声を荒げる。
否、返事どころか、清子はその姿勢も声色も全く腑抜けたものだった。
体の右側を下にして寝っ転がり、何をするでもなくただ松を眺め、怒る女性にくれてやる視線は少しも無く、放ったのは間延びした言葉。
要するに、舐め腐った態度だ。
「皿洗いならやったわよ。おばさんが部屋でこっそりお菓子を食べてる間にね」
清子はそう言いながらごろりと寝返りをうち、頭の後ろで手を組んで仰向けになる。
先ほどは申し訳程度に使っていた敬語も、もう抜け落ちていた。
ふてぶてしい、とはこのことであろう。
「ぐ……ッじゃあ、雑巾掛けは!」
「あー……」
少々思案し、清子はのろのろと立ち上がる。
億劫でございと言わんばかりの足取りでどこかへと去り、ややあって、水の入ったバケツと雑巾を持って帰って来た。
それから雑巾を水に浸す。
これをろくに絞りもしないで縁側の板に叩き付ける。
更に裸の足で踏み、ずずっと雑にずり動かした。
「はい」
「はいじゃないわよ!」
当然ながら、女性は怒鳴り散らす。
それでも清子は涼しい表情だ。
女性はますます苛立ちを募らせ、とうとう手を上げた。
「このっ、『禍子』の分際で!」
彼女は勢いよく清子の頬を引っぱたき、憎々しげな声をもぶつける。
清子は彼女を見やった。
眉間から左頬にかけて裂くような形の痣がある顔で。
そう、満葉清子は『禍子』だった。
生まれてすぐ両親が死に、見【殺し】にしては呪われると女性――叔母に引き取られ、しかし幸福から遠ざけるため虐げられている、典型的な『禍子』だ。
「どうしたの母さん。また痣女が何かしたの?」
女性の大声を聞きつけて、とたとたと足音を立てて少女が縁側にやって来る。
清子の叔母の娘、つまりは清子の義妹だ。
可愛らしい厚手の着物を身に着けた彼女は、清子たちの様子を見て事態を察する。
「もう、母さんは優しいんだから」
そしてクスリと笑うと、おもむろにバケツを持ち上げ、中の水を思い切り清子に浴びせかけた。
「躾ならこのくらいしてやらないと、痣女がつけあがるでしょう?」
「ああ、そうね。つい調子に乗せられていたわ」
叔母と義妹は意地悪く笑い合う。
清子は何も言わなかった。
ただ黙って、拳を振り上げた。
が。
「何? 殴ろうっての?」
細い手首を易々と義妹に掴まれ、暴力は不発に終わる。
振りほどこうと力を入れるも、びくともしない。
それも当然のことだった。
清子はまだ15歳で、死ぬと言われている20歳まではまだ猶予がある分、念入りに幸福を取り上げられている。
寒い冬であろうと薄く汚い着物しか与えられない。
食事は1日1回、少量の雑穀粥と野菜の切れ端。
寝床は狭い押し入れの中、ぺしゃんこの座布団が布団代わり。
朝から晩まで労働を言いつけられ、もちろん暴力も振るわれた。
罵倒や嫌がらせも日常茶飯事だ。
そんな毎日で、体がちゃんと育つわけがない。
年下である義妹にも簡単に力負けしてしまうほど、清子には腕力も体力も無かった。
「滑稽だわ。口だけ達者で、その実なあんにもできなんだから」
「全く、いい加減に弁えてほしいものね」
叔母は清子を半ば引きずるようにして歩かせ、蔵の中へと放り込む。
「明日の晩まで反省していなさい。誰が『禍子』のあなたを養ってやってるか、よくよく考えなさいな」
「うふふ、大丈夫。死ぬ前には出してあげるわよ」
叔母と義妹の冷笑と共に、重い扉が閉じられる。
カチリと錠の閉まる音を聞きながら、清子は水びたしの着物を絞った。
もし事情を何も知らぬ者が見れば、彼女に対する叔母たちの仕打ちを「酷だ」と非難するだろう。
しかし彼女が『禍子』だと知ったなら、その者は「当然だ」と頷くだろう。
それが『禍子』の宿命だ。
だから『禍子』は皆、暗く無気力な性格になってしまう。
しかし。
「……よし、荒らしましょ」
満葉清子は見ての通り、気丈だった。
気丈なばかりか、反骨精神に満ち満ちていた。
15年間虐げられ続けてなお、かつての『禍子』たちのように心を殺されることなく、彼女はふてぶてしく居続けている。
その理由とは――彼女自身が信じられないほど図太いことだった。
身も蓋もない話である。
が、しかし事実として、清子は図太かった。
環境に左右されない強固な性格は、天性の才と言うにふさわしい。
彼女は柔よく剛を制すというか、図太さという名の柔を振り回して、逆境という名の剛をしばき回している。
冬の薄着は応えるし、空腹には多少慣れたもののやはり辛いし、殴られれば相応に痛かったが、どれだけ体を虐げられようとも心は少しも負けない。
幼い頃はさすがに表面上は従順であったが、最近などは先ほどのように、その後の制裁を承知の上で労働をあからさまに拒否するくらい、順調にふてぶてしさを成長させていた。
「さて、どこからやってやろうかしら」
山積みになった古いだけの壺やら置き物やらを掻き分け、盛大に荒らす段取りを考える清子。
やる気は十分だ。
「あら?」
しかしふと、物品たちを除けて除けたその先に、ぽっかりと間が空いていることに気が付いた。
ちょうどそこにあった物がごっそりと無くなったように、広々とした空間が鎮座しているのだ。
はてこんなに大きい蔵だったかと、不思議に思いつつも清子はその何も無い空間に足を踏み出した。
奥まっているがゆえにほとんど何も見えない中をゆっくり歩くが、1歩、2歩、3歩と進んでも壁に突き当たらない。
10歩目の足を上げたところで、さすがにおかしいと清子は思い至る。
そうして、やはり引き返そうと上げた足を地面に付けた、その瞬間。
「うわっ……!?」
にわかに視界が明るくなり、清子は思わず目を瞑る。
怯んだのも束の間、まさか火でも点いたのかと慌てて目を開ければ――そこに広がっていたのは、夕暮れの林だった。
「え……?」
これにはさしもの清子も目を丸くした。
無意識に後ずされば、足の裏には土の感触が伝わって来る。
思考が追い付く前に、彼女はここが「外」だと直感的に理解した。
蔵の壁を抜けでもしたのだろうか。
否、蔵の裏手は低木が少々植わっているだけですぐに塀があったはず。
だが目の前に広がるのは、果てが見えないくらいに広大な雑木林。
家の敷地内どころか、近所にだってこんなものは無かった。
それに、空の様子もおかしい。
蔵に入れられたのは昼過ぎのことだったし、それからほとんど時間は経っていない。
にも関わらず、空は茜色であり、雲も紫がかっている。
完全に夕方だ。
困惑の中、清子はふと思い立って振り返る。
「! 蔵が」
そこには蔵も何も無く、やはり広々とした雑木林だけがあった。
家も蔵も消え、景色も時間帯も変わっている。
清子はそこでやっと、周囲が変化したのではなく、自分が異なる場所に来てしまったのだと思い至った。
「『怪世』……」
途方に暮れつつ、彼女はぽつりと呟く。
怪世。
人間の住む世界である現世に対する、あやかしたちの住む世界のことだ。
もっぱらお伽噺にのみ登場するものだったが、しかしもしかすると、ここがそうなのではないだろうか。
蔵の中から突如として場所が変わったのも、怪世に迷い込んだのだと解釈すれば頷ける。
清子は非現実に胸をときめかせ、確証を得るべく歩き出した。
雑木林は青々としており、吹き抜ける風も暖かい。
地面には小さな草花がひょこひょこと生えている。
何も冷たくないし、寒くない。
濡れた体もあれよあれよと乾いていく。
1歩、また1歩と地面を踏みしめ進むたび、清子はここが異界であることへの確信を強めていった。
そしてついに、見つけた。
切り株にもたれかかり、人の言葉で何やら駄弁っている狐たちを。
清子は木陰から様子を窺う。
狐は2匹おり、よく似た姿をしていた。
一見普通の動物だが、言葉を喋っているのだからあやかし、妖狐に間違いない。
やはりここは怪世だったのだ。
好奇で口元が緩むのを堪えて、彼女はズカズカと妖狐たちの前に歩み出た。
「どうも、こんにちは」
どのような反応をされるかはわからない。
好意的に挨拶を返されるかもしれないし、白い目で見られるかもしれない。
はたまた不思議そうな顔をされるかもしれないし、敵意を向けられるかもしれない。
だが、清子はどうでも良かった。
なぜならここは怪世で、相手はあやかし。
『禍子』のことなど知らないに決まっている。
今ここでなら、『禍子』ではなくただ1人の人間として振舞えるし、そう接してもらえるに違いないのだ。
そうであるならば、清子はどんな反応でも嬉しく思えるだろうと確信していた。
生まれて初めての、真っ当な交流。
期待に胸を膨らませて返事を待つ彼女に、妖狐たちは顔を見合わせてから、言った。
「お前……『禍子』だな?」
途端に清子は、それまでの浮ついた表情が嘘のように、口をへの字に曲げ眉間に皺を寄せ忌避感をこれでもかと表した顔になる。
落胆という言葉の意味を、彼女は真に身をもって知った。
急に橙がかった眼前の景色が色褪せて見え、全身が虚脱感に見舞われる。
所詮、怪世も現実の延長だったのだ。
そう理解すると共に、清子の腹の底には新たな怒りが生じた。
「へへ、運が良いなあ。俺たちで食っちまおうぜ」
「前の時は寅守様が独り占めしちまったもんなあ」
対する妖狐たちは彼女の様子など気にも留めず、舌なめずりをしてにじり寄る。
ふざけるな、『禍子』を理由に死んでたまるものか。
清子は拳を強く握りしめ、弾かれるように走り出した。
「おいおい、逃げるな!」
「大人しく食われろ!」
すかさず妖狐たちも駆け出す。
捕まりたくない一心で、清子は枝葉や草で手足が傷付くのも構わず全力で走り続けた。
が、強固な意志に弱った体は追い付かず、あっと言う間に距離を縮められていく。
そうして遂に、妖狐たちの牙が彼女の細い体に届こうとした、その時。
「待ちなさい!」
若い男の声と共に1本の矢が飛来し、妖狐たちと清子の間にストンと刺さった。
「誰だ!」
「何者だ!」
妖狐たちはいったん清子から離れ、矢が飛んで来た方向を警戒する。
これは好機と清子はそのまま逃げようとするが、しかし既に足が限界で、立っているのも叶わずへたり込んでしまった。
緊迫した空気の中、ざわりと風が吹いて木々が揺れる。
風が収まるのを待たずして、雑木林の薄闇から弓を持った1人の青年がゆらりと姿を現した。
「何をしているんですか」
青年は、書生風の服装に丸眼鏡をかけていた。
薄群青の瞳は優しげで、片目を隠す月白のたおやかな長髪は静かに揺れている。
そしてその頭には、細枝のような2本の角があった。
鬼だ。
清子は気付いて、息を呑む。
彼もまた、『禍子』を食らわんとするのだろうか。
見れば、彼の後方には籠が置いてある。
中身は錆びた刀、欠けた槍、古びた火縄銃、等々武器ばかりだ。
柔和そうな見た目に物騒な所持品。
果たして彼はいかなる人物なのか、測りかねた清子はひとまず様子を見ることにした。
そんな彼女とは裏腹に、青年のさほど高圧的でない態度を見て妖狐たちは早々に警戒を緩める。
「何って、わかるだろう。あの痣、この匂い。あいつは『禍子』だ」
「お前にも分けてやろうか。何せ80年振りだからな」
気さくにおぞましい提案をし、けらけらと笑う妖狐たち。
だが鬼の青年は、きっぱりと言った。
「結構です。僕はそのような野蛮な行為は認めません。お引き取りください」
それから矢筒から新たな矢を取り出し、弓につがえる。
妖狐たちの誘いを断るばかりか、敵対する意思を示した形だ。
となれば当然、妖狐たちは良い顔はしない。
「なんだあ? やるか?」
「良い度胸だなあ!」
牙を剥き出しにして呻り、臨戦態勢に入る。
青年の方も毅然と立ち塞がり、応戦の意志は十分だ。
初めて目にするあやかし同士の戦い。
果たしてどれほど苛烈なものなのだろうか、と清子は固唾を呑み込む。
しかし彼女の想像に反し、争いは驚くほどあっさりと、かつほんの短時間で決着が付いた。
「ぐうっ……」
地に伏したのは――鬼の青年。
彼は妖狐たちに牙で噛みつかれ爪で引き裂かれ、全身ボロボロになっていた。
妖狐たちはというと、全くの無傷だ。
大して疲れたふうでもなく、けろりとしている。
「あれ弱」
「こいつ弱」
圧勝できたのが意外だったのだろう、2匹は首を傾げた。
それもそのはず、鬼と言えば怪力が自慢のあやかしだ。
相手取るなら相応の苦戦を覚悟するのが順当というもの。
無論、妖狐たちは勝つ気でいたものの、こうも容易く打ち倒せるとは露ほども思っていなかった。
不思議がる2匹だったが、ややあって片方が「ああ!」と思い出したように声を上げた。
「そうだ、なあんだ! こいつ『藤』だ!」
「そうか藤の劣弱鬼か! 道理で弱いはずだ!」
もう片方もその言葉に納得したようで、ウンウンと頷く。
藤の劣弱鬼、と言われた青年は、悔しそうに歯を食いしばったが立ち上がることはできなかった。
「愚か者め、なぜ勝てると思った?」
「力だけでなく頭まで弱いのか?」
青年が力尽きているのを良いことに、妖狐たちは言いたい放題だ。
2対1とはいえ妖狐に大敗する弱い鬼を、これでもかと嘲る。
ゲラゲラと下品な2匹の笑い声は林中に響いた。
けれども今度は、もう誰も助けに現れはしなかった。
「ふう、笑った笑った。さて、『禍子』を頂くとしよう」
ひとしきり笑い転げ満足した妖狐たちは、清子の方へと向き直る。
――その瞬間。
ダン!
と重い破裂音がして、何かが妖狐たちの横を掠めていった。
「……え?」
2匹は絶句する。
突然、攻撃されたことにだけではない。
目の前の光景にも、唖然とした。
「選んで」
そこには清子が立っていた。
震える足を踏ん張って、火縄銃を構えた清子が。
「死ぬか、大人しく帰るか」
彼女は銃口を妖狐たちに向けたまま、鈍器のような怒りを孕んだ声で言う。
妖狐2匹が鬼の青年を嘲笑っている隙に、清子は青年の籠を漁っていた。
いつまた自分に矛先が向くとも知れぬと焦る中、直感に任せて手に取ったのは火縄銃。
もちろん清子は銃の撃ち方などわからない。
ただ弾も火薬も無しに使える物ではないとは知っていた。
自己流に構え、引き金を引いたのは、完全にやぶれかぶれである。
だがしかし銃は彼女の意志に従って、無いはずの弾を撃ち出した。
そして今、見事に妖狐たちを怯ませている。
清子はもう何も理解できていなかった。
けれども妖狐のあやかしたちへの怒りと反骨精神だけは、確かだった。
「は……はは、生意気だな。威勢の良いこ」
ダン!
妖狐の言葉を遮り、清子はまた引き金を引き発砲する。
更に続いて、ダン! ダン! ダン! と、撃ちまくった。
全弾、当てるつもりで。
「やべえこいつマジだ!」
「霊弾れいだんだ! ガチで殺る気だ!」
とうとう、あまりの気迫と容赦の無さに恐れをなし、妖狐たちは尻尾を巻いて逃げ出した。
清子は2匹の背中が小さくなっていく中でも発砲を続け、完全に見えなくなったところでようやく手を止める。
「……ふう」
危機は去った。
そう理解して火縄銃を下ろす彼女だったが、同時に立っていられなくなり、その場に崩れ落ちる。
薄れていく意識の中で最後に感じたのは、「やってやった」という達成感だった。