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#追放
海の紅月くらげさん
穏やかな風が頬を撫でる感触で、清子は目を覚ました。
視界に入って来たのは所々に穴の空いた天井。
身じろぎをすれば、自分が布団に寝かせられていることがわかった。
「気が付きましたか」
その声に起き上がって見ると、鬼の青年が朝日を背に立っていた。
「ここは僕の家です。気を失ったあなたを運ばせてもらいました」
清子が何か尋ねる前に、彼は柔らかく微笑んで言う。
あの後――妖狐たちを追い払った後にどんなことがあったのか、彼の言葉でだいたい理解した清子は、無意識に入っていた肩の力を抜いた。
「そうだったのね。ありがとう。あなた、怪我は大丈夫?」
清子がそう問うと青年は目を丸くして、それから苦笑いで答えた。
「ええ、まあ」
癖なのだろうか、彼は横髪をすいと耳にかける。
袖口からは包帯を巻いた腕がちらりと覗いており、曖昧な返事は瘦せ我慢の表れだと清子は察した。
「そうだ、着替えを用意しましたから、どうぞ使ってください。靴も表に出してありますので、必要であれば。詳しい話はそれからにしましょう」
青年は半ば焦るように話題を変え、「まとめ売りをされていた古着で、少々よれているのですが……」と、男性用の学生服と女学生のスカートを差し出す。
色々と言いたいことや聞きたいことがある清子だったが、ひとまずは彼に従い着替えをすることにした。
しばらくして、新たな服に袖を通した清子は、青年が待っているという居間まで移動した。
青年の家はこぢんまりとした平屋で、簡素な造りだ。
当然、部屋数も少ないため迷うようなこともない。
縁側を通りがてら外を見れば、豊かな竹林が目に入る。
周囲に建物らしい建物は無く、ここら一帯には青年が住んでいるだけのようだった。
「お待たせ。服、ちょうどよかったわ」
清子は障子を開け、居間へと足を踏み入れる。
青年は火の点いていない囲炉裏の前に座しており、清子にも座るよう促した。
「まずは、改めまして。僕は『藤の劣弱鬼』と呼ばれている者です。省略して、単に『藤』とも」
姿勢を正し、彼は丁寧に名乗る。
育ちの特殊さゆえ礼儀などてんでわからない清子だったが、ここは名乗り返すべきだろうと判断し、背筋を伸ばして口を開いた。
「藤さんね。私は満葉清子。よろし――」
「あ」
と、いきなり青年、改め藤はぱしんと自分の両耳を塞いだ。
「どうしたの? 何か気に障った?」
怪訝な顔をする清子に、彼はそろりと手を耳から離して項垂れる。
「す……すみません、先に説明しておくべきでした」
説明、とはいったい何のことだろうか。
清子が首を傾げると、藤はもごもごと言いにくそうにしながら続けた。
「怪世では、真名まなを気軽に名乗ってはいけません。他者に真名を教えることは……その、隷属を誓うことを意味しますので……」
「そうなの!?」
これには清子も仰天だ。
完全に遅すぎるが思わず己の口を手で塞ぎ、名乗ってしまったことを悔いる。
対する藤は罪悪感からか慌てて手と首を振り、彼女が抱いているであろう不安に「否」を示した。
「で、ですが名乗っただけでは何も起こりません! 実質的な支配関係は真名を教えられた側が術を使って初めて成立するものですし、もちろん僕にはそんな意思はありませんから!」
それを聞いて、清子は口からパッと手を離す。
「なんだ、びっくりした。なら平気ね」
「お騒がせして申し訳ないです……」
藤は面目無さそうに頭を下げた。
鬼らしからぬ殊勝さだ。
「しかしこれでは不平等ですから……術のやり方と、僕の真名をお教えしますね」
「良いの? 私があなたに術を使うかもしれないわよ?」
「ふふ、ご冗談を。それに、真名を知り合う者同士では術は無効となります」
わざとらしく悪い表情をして見せる清子に、藤はくすりと笑う。
「術自体は簡単です。『我らは主従の関係にあり。我が主。何某が従。何某は永劫我に隷属する』と唱えながら、霊力を相手に注ぐ。これだけです」
「相手が目の前に居ないといけないわけね」
「はい。それと、真名は『捧げる/捧げられる』のが重要です。伝聞や盗み聞き等で知っただけでは、隷属の術には使えず、本人から直接教えられていなければなりません」
「なるほど……?」
真名の制約に関してはいまいちピンと来ていない清子だったが、とりあえず聞いた通りの言葉を頭に入れておいた。
「というわけで……」
それから藤は軽く咳払いをし、改めて名乗った。
「僕の真名は芙慈。芙容の芙に、慈悲の慈で、芙慈です」
「へえ、素敵ね。優しいあなたによく似合ってるわ」
「やっ、優しい、ですか?」
藤は思いもよらぬ褒め言葉に面食らい、ポッと顔を赤くする。
「そうよ。だって私を助けてくれたじゃない。優しいし、勇敢だわ」
にこりと笑い、惜しげもなく彼を称賛する清子。
あまりに屈託のない好意に、藤はおろおろと視線を彷徨わせる。
「僕は何の役にも。むしろ、あなたが彼らを追い払ってくださったでしょう」
「追い払えたのは、あなたの火縄銃のおかげよ。弾も何も無くても撃てて……ねえ、普段からああいう不思議な武器を集めてるの?」
清子は話しながらふと気になっていたことを思い出し、流れのままに尋ねた。
「いえ、古い物品を収集するのが趣味なのはそうですが、全く普通のものですよ」
これは話題を変える好機、とばかりに藤は即座に返答する。
更に続けて、用意していた「話すべきこと」を口にした。
「不思議な力があるのは、銃ではなくあなたの方です」
「私?」
またまた清子は首を傾げる。
そんなことを言われても、心当たりなど全く無かった。
「火縄銃から放たれた弾。あれは霊弾と言って、霊力を練ったものです。基本的には手のひらなどから直接放つものですが」
続く藤の言葉を聞き、ああ、と彼女はひとつ思い出した。
――霊弾だ!
昨日の妖狐たちが、逃げて行く時に確かこんなことを言っていたのだ。
となると怪世では常識的に知られている代物なのだろうか。
未知の事象に好奇心をかられた清子は、身を乗り出して問うてみる。
「あやかしもその霊弾? を使うの?」
「はい。僕のような弱い者では無理ですが、一定以上の霊力を有した強いあやかしならば扱えます。人間も同じらしく、霊能者と称されるような霊力の豊富な者たちは、しばしば霊弾を用いて現世に現れたあやかしを退治するそうです」
ははあなるほど、と清子は頷いた。
あやかし退治のお伽噺はいくらか知っている。
そこに登場する高僧やら巫女やらが使う力が、その霊力および霊弾だったのか。
実際にどうだったかは確かめる術が無いものの、ひとまずそういうことで彼女は納得した。
「しかし『禍子』が霊弾を用いるなんて、聞いたことがありません」
「そうなの? ……まあ、霊弾が使えてたならみすみす食べられたりしてないわよね……」
清子は顔も知らない同胞たちに思いを馳せる。
昨日の妖狐たちの口ぶりからしても、『禍子』が怪世に来ることは何度かあったのだろう。
そして皆、強くなれるからだの何だのと勝手な理由で食われていった。
彼ら、彼女らの悲運を思うと、清子は腹がグツグツと煮える感じがした。
またそれは、決して他人事ではないのである。
「これからどうしますか? あなたさえ良ければ、ここに住んでもらっても構いませんよ。こちらから何かしない限り、わざわざ僕に構う者なんか居ませんし。あやかしから身を隠すには丁度良いでしょう」
暗くなりかけた雰囲気を払拭せんと、藤は一段明るい声色で言う。
対する清子は少し考えてから、口を開いた。
「やっぱり、『禍子』を食べようとするあやかしって多いの?」
「……はい。皆が皆とは言いませんが、ほとんどの者が……」
「それは『禍子』を食べたら強くなれるから?」
「そうです」
藤は申し訳なさそうに眉を下げる。
要するに昨日の妖狐のようなあやかしが大半だと、そういうことらしかった。
「怪世には時おり、現世に繋がる『穴』が開きます。場所も時期も予測できませんが、それが発生するのを、ここでなくともどこか安全な場所で待つのが一番かと」
不確かながらも生存には最善の道を提案する藤。
だが、清子はゆっくりと首を横に振った。
「ありがとう。でもいいわ。今の話を聞いて、やりたいことができたから」
「と、言いますと?」
きゅっと目を細め、清子は笑う。
「怪世征服」
「はい!?」
藤の素っ頓狂な声が狭い部屋中に響いた。
さもありなん。
「征服」など物騒を通り越して壮大すぎる。
この話の流れにおいては、突拍子もない言葉だ。
「やっ、え、な、なぜ……?」
困惑ここに極まれりな藤に、平然と清子は言った。
「腹が立つからよ。こちとら現世で散々な目に遭って来たのに、怪世でも『禍子』だってだけでつけ狙われるなんてたまったもんじゃないわ。だからいっそ、こっちから噛みついてやるの。怪世を支配すれば自然と身の安全も確保できるし、一石二鳥だわ」
言い分としては、まあ筋は通っている。
要するに仕返し兼、生存戦略だ。
しかし規模がとてつもなく大きい上、無謀と言わざるを得ない。
霊弾を操れるとは言え、人間ひとりが怪世全体に喧嘩を売るなど、誰がどう見ても無茶なことである。
「安心してちょうだい。あなたを巻き込みはしないわ。そもそも私の近くに居たら、不幸になるかもしれないしね」
「は、はあ……」
藤が反応に困って苦笑いをするも、清子は楽しげだった。
まるで、気に食わない物を壊して良いと金槌を渡された子どものように。
「ええと、そうだ。お腹は空いていませんか? 良ければ朝餉にしましょう」
そう言って、藤が立ち上がった瞬間だった。
表からバキバキッ! と物凄い音がしたかと思うと、片側の障子を突き破って竹が倒れて来た。
「なっ……!?」
藤は慌てて、無事な方の障子を押し開けて表に出る。
次いで清子も彼の後に続いて部屋から飛び出した。
すると、そこには見覚えのある2匹の妖狐と体の大きな新手の妖狐が1匹、根元から折れた竹の傍に立っていた。
「ケケケ、昨日はよくもやってくれたな」
「お返しに来てやったぞ」
2匹の妖狐はニヤニヤと笑う。
大きい方の妖狐は澄ました顔をしていたが、見るからに2匹の味方側だろう。
「しまった、匂いを辿られて……!」
「あいつらッ……!」
竹を倒し、藤の家を壊したのが妖狐たちの仕業だと察し、清子は歯ぎしりをする。
バッと周囲を見回せば、縁側の近くに籠が置いてあるのが目に入った。
藤の収集物が入れっぱなしになっており、その中には清子が使った火縄銃もある。
「これ、また借りるわね」
「あ……!」
清子は藤が何か言うより早く銃を手に取り、妖狐たちの前に立ち塞がった。
「死ぬか帰るか選べって言ったわよね。また来たってことは、答えは『死ぬ』で良いわけ?」
言いながら、昨日のようにそれっぽく構え、いつでも発砲できるよう準備する。
柔らかくて厚い布団でゆっくり休み、衣服もしっかりしたものを着ているからか、清子の立ち姿はいつもより力強い。
堂々と戦意を示す清子だったが、新手の妖狐は僅かほども怖気づかず、余裕綽々に首をもたげた。
「ふうむ。こやつが此度の『禍子』か。なるほど特別活きが良さそうだ。それに若い」
「ええ、そりゃもう生意気な奴で!」
「さあお頭! やっちまってください!」
2匹の妖狐はやんややんやと囃し立てる。
お頭、と呼ばれるからには、新手の妖狐はかなりの実力者なのだろう。
しかし怖気づかないのは清子も同じだ。
何なら3匹まとめて叩きのめしてやる、と意気込み、ぐっと指に力を込めた。
「上等よ」
ダン! と威勢の良い音と共に、霊弾が撃ち出される。
これまた十分な休息のおかげで昨日より力強く、頭領の妖狐を目がけて霊弾は一直線に飛ぶ、が。
「甘いな」
頭領はひょいと身を翻し、いとも容易く弾を避けた。
的を外した霊弾は、背後にある竹の方へとそのまま飛んで行く。
「……!」
清子はハッと目を見開いた。
そして、ダン! ダン! と続けて何発も霊弾を撃ちまくるが、それらは全て回避され明後日の方向へ。
「これは……!」
藤はツ、と汗をひと筋かき、清子も悔しげに眉間に皺を寄せて見せる。
焦ったような反応をする2人に、頭領の妖狐は真っ赤な舌を覗かせて笑った。
「ははあ、なぜ当たらぬのか不思議か? 教えてやろう、お前には殺意が無いからだ。殺してやろうという気概が全く足りぬ。いくら霊弾とは言え、斯様に腑抜けていてどうして我を捉えられようか」
「くそっ、言ってなさい!」
清子は銃を構え直し、再び霊弾を連射する。
しかしやはり、頭領に当てることはできず、ことごとく宙を舞うに留まった。
自棄になったかのごとく撃ち続ける彼女の方へと、頭領は回避を繰り返しながら徐々に距離を詰めていく。
このままでは敗北は必至だろう。
と、そこで藤が頭領の前に飛び出した。
手には、籠から持って来たのだろう、錆びた刀が握られている。
清子を庇うように立ち、刀を振り上げ頭領を攻撃せんとする彼だったが、しかし呆気なく前脚で払い除けられてしまった。
「ぐっ!」
駄目押しに踏みつけられ、藤は呻く。
それでも刀を手放しはせず、反撃しようと必死にもがいた。
「藤さん!」
頭領から藤を救おうと清子はまた火縄銃を撃つ。
「話の通り、愚かな鬼だ。雉も鳴かずば撃たれまい……おっと、撃たれそうなのは我だったな?」
そう言いながらも少しの苦も無く弾を避け、頭領は藤を蹴飛ばすようにして飛び退いた。
解放された藤はゲホゲホと咳き、ふらつきながら立ち上がる。
今度は清子が彼を守るように前に出た。
退く気はいまだ僅かも無かった。
しかし頭領と、後方で静観している妖狐2匹は既に勝利を確信している。
唯一の攻撃手段が通じない清子も、ろくに戦えず傷付くだけの藤も、自分たちの敵ではないと断じていた。
「さあ『禍子』よ。我の手で殺してやろう。そして我の力となるのだ」
脚に力を込め、ひと息に飛び掛かる頭領。
清子は火縄銃を下ろす。
霊弾を練るだけの霊力は、もう残っていなかった。
頭領の大きな影が覆いかぶさり暗くなった視界に、閃光が走る。
「ぐあッ!?」
悲鳴を上げたのは――頭領の方だった。
にわかに体勢を崩した頭領は、巨体をよじらせ落下する。
「お、お頭!? ぎゃっ!」
「うぎゃッ!」
慌てて駆け寄る妖狐2匹も、ほとんど同時にもんどりうって倒れた。
いったい何が起こったのか。
混乱する妖狐たちは、背中に激痛が走ったのを遅れて認識する。
攻撃だ。
しかし何が、どこから?
頭領はふらふらと立ち、後ろを振り向く。
「こ、これは……!」
するとそこには竹林に紛れるようにして、青く光る弾が一面に浮いていた。
「霊弾……!? い、いつの間に――があっ!」
驚愕する頭領目がけて、浮遊していた弾が1発、鋭く突き刺さる。
それは死角からの攻撃であり、妖狐たちには避けられるものではなかった。
「ありがとう、藤さん。あいつらの注意を引いてくれて。おかげでたくさん仕込めたわ」
「お安い御用です」
清子と藤は互いをねぎらう。
全ては彼女らの作戦の内だった。
「聞いたわよ。霊弾って霊力を練ったもんなんでしょう? だったら普通の弾とは違って、好きに操れてもおかしくないわよね」
気付きを得たのは、最初の1発を撃った時。
霊弾が狙いを外して竹に当たりそうになった瞬間、清子は咄嗟に「止まれ」と念じた。
竹を傷付けて倒してしまったら、また藤の家に被害が出るかもしれない。
そうでなくとも、藤の住処たるこの一帯を荒らしたくはないと思ったのである。
而して、清子の念は通じた。
竹にぶつかる直前で、霊弾はピタリと動きを止めたのだ。
それを見た清子は、自在に霊弾を操れる可能性に気付いた。
試しに2発3発と撃って「止まれ」と念じれば、面白いほどその通りに。
――いける。
清子は霊弾を空中に溜めて奇襲する作戦を思い付き、察した藤もそれに協力した。
結果、作戦は功を奏して形勢逆転と相成った。
「『禍子』風情が……ぐうっ! ま、待て、撃つなやめろ!」
「お頭ぁ! いでっ!」
「ぎゃっ! な、何発あるんだよお!」
清子が手をすいと動かせば、溜めた霊弾が悲鳴を上げる妖狐たちに撃ち出される。
こうなっては一方的な蹂躙だ。
確かに、相手があやかしと言えども清子に殺しをする度胸は無かった。
だが「滅茶苦茶に痛い目見せてやる」という気はあった。
そこを妖狐たちは勘違いしていたのだ。
清子は腑抜けではない。
藤も、やみくもに動く愚者ではない。
彼女らは立派に、妖狐たちの敵足り得た。
「こ、降参だ! 降参する! だからやめてくれ!」
頭領が叫ぶようにそう言うと、ようやく清子は手を止める。
そして満身創痍の妖狐たちに1歩近付き、怒りの籠った目で見下ろした。
「真名を寄越しなさい。それで許してあげる」
有無を言わさぬ強い視線。
それを抜きにしても、選択肢などあって無いようなものだ。
「……甲に、補佐の佐で、甲佐だ」
「乙に、那で、乙那」
「乙に、嘉日の嘉で、乙嘉」
渋々、妖狐たちは名を名乗る。
念のため清子が「嘘じゃないでしょうね」と詰め寄れば、「ほ、本当だ!」と頭領あらため甲佐は慌てて答えた。
「真名を偽ることは自己を捨てるも同然! 人間どもならいざ知らず、あやかしがそんなことをするものか!」
「……そういうものなの? 藤さん」
「はい」
藤の証言を得、清子はようやく妖狐3匹を信用する。
ともあれこれで3匹の真名は完全に握った。
『本人から直接教えられる』という条件も達成しているため、あとは術を行使すれば妖狐たちは清子の従僕となる。
清子は藤から聞いた呪文を思い浮かべながら、戦意を喪失した3匹をじっと見つめた。
***
「あー疲れた。霊弾って撃ちすぎると何だかぐったりするのね」
壊れた障子を取り外した居間で、清子はぺたりと座り込んだ。
「でも気分は良いわ。見たか! って感じ」
清々しい笑顔を見せる彼女の向かいには、藤が腰を下ろしている。
「隷属の術はかけなくて良かったのですか?」
「うん、今はね。今度何かしに来たらやってやるけど」
結局、清子が妖狐たちに術を使うことは無かった。
その理由が哀れみなのか、怠慢なのか、はたまた別の何かなのかは、本人にもわからない。
とにかく彼女は何となく気が進まず、そのまま妖狐たちを逃がしたのだ。
清子はくるりと体の向きを変え、縁側越しに静けさの戻った竹林を眺める。
のんびりと休息をとるその姿は、先ほどまで死闘を繰り広げていたとは思えない、ただの少女のようだった。
そんな彼女に、藤はおずおずと口を開く。
「あの、やはり怪世征服はやめた方が良いのでは?」
彼はとても言いにくそうでありつつも、心の底から清子を案じて言葉を紡いだ。
「怪世には、先ほどの者たちより何倍も強いあやかしが沢山います。あなたを侮っているわけではありませんが、どう考えても危険ですし……無謀、かと」
しばし沈黙が流れる。
その後、清子が彼の方に向き直って言った。
「忠告ありがとう。でもごめんなさい、私はそれでもやるわ」
傷痕だらけで荒れた手を握りしめ、彼女は続ける。
「できるかどうかじゃない。やろうとするのが大事なのよ。『怪世征服』を掲げて力の限り暴れることが。『禍子』の宿命に抵抗することが。もちろん、征服も達成できるつもりでいるけどね!」
『禍子』であることへの抵抗。
それはちょうど、清子がいつも叔母や義妹にふてぶてしい態度をとるのと同じだった。
清子はいつでも図太く、『禍子』らしい振る舞いを拒否して来た。
きっと、怪世でもその根本は変わらないのだろう。
「生きてる限り、みんな自分の幸福と引き換えに誰かを不幸にする。私はそれを積極的にやるってだけよ。非難されようが、知ったこっちゃないわ」
あはは、と彼女は笑った。
道理を知った上で、無理を通すのだという。
声に迷いは無く、言葉に淀みは無い。
あっけらかんとした強固な決意が、そこには在った。
「……わかりました」
藤はふっと微笑んで、引き下がる。
怪世征服を思いとどまらせるのは不可能であり、また野暮だと諦めた。
そして、その代わりに。
「では僕も御一緒します」
「えっ?」
思わぬ発言が飛び出し、清子は目を丸くする。
まさかまさか、だ。
驚き、言葉に詰まる彼女へ、藤は真っすぐな視線と共に続けた。
「征服自体に意欲はありませんが、あなたの手助けならば是非ともしたいのです。あなたの決意を、応援したいのです」
「気持ちは有り難いけど……不幸になってもいいの?」
「構いません。僕は――」
藤は何かを言いかけて、やめた。
視線を泳がせ頬をぽっと赤く染め、ゆるりと首を振る。
「いえ、何でも。とにかく覚悟はできています。どうぞお供させてください」
「……まあ、あなたが良いって言うなら。その申し出、喜んで受け取るわ」
清子は腹を括っている。
だからこそ、同じく意を決した藤の心を無下にはできないし、するつもりも無かった。
「これからよろしくね、芙慈さん!」
「こちらこそ、清子さん」
2人は真名を呼び合って固く握手をする。
『禍子』と藤の劣弱鬼による怪世征服、その道のりの始まりだった。
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