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#極道
鷹槻れん/鷹槻うなの

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#白い結婚
夕凪ゆな
373
草原草原(くさはらそうげん)

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扇レンナ
241
「大旦那様が、柊屋さんをお好きでした」
芹沢はそう言って、ことはの湯呑みに茶を注いだ。
水曜の朝、五時前。遼はもう家にいない。ことはは夜の間ずっと考えて、結局、芹沢にだけ聞くことにした。書斎の引き出しのこと。藍色の包み紙の束のこと。遼には聞けない。聞けば、人の机を開けたことを言うことになる。
「おじい様が」
「はい。お元気なころは、ご自分で柳町まで。足が悪くなられてからは、人に買いに行かせて。亡くなる前の年まで、ずっと」
「……それで、あの引き出しに」
「大旦那様は、紙を捨てられない方でした」
芹沢はそれだけ言って、急須を置いた。遼のことは、一言も出てこなかった。
ことはは湯呑みを両手で持った。宗一郎。遺影の中で少し笑っていた老人。あの人が柊屋の客だった。父が病室で何度も読み返した催事の手紙と、遼の「味で決めた」と、藍色の束が、一本の線になりかける。
なりかけて、止まった。
一番上の一枚から、小豆の匂いがした。一年前に死んだ人の包み紙から、匂いは残らない。
「芹沢さん」
「はい」
「束の、一番上の紙は」
芹沢は茶を注ぐ手を止めずに、言った。
「わたくしは、書斎のお掃除はいたしません。坊ちゃまがご自分でなさいます」
それが答えだった。答えでないのと同じ答えだった。
「もう一つ。昨日の夕方、宇野さんが、うちの店の箱を持っていました。催事部に置いてきた箱です」
「宇野さんは、昨夜、書斎にお入りになりました。箱のことは、存じません」
芹沢は湯呑みを下げて、台所へ行った。書斎。宇野は書斎に入った。箱がそこに置かれたのか、宇野が持ち帰ったのか、誰かが食べたのか。ことはは湯呑みの中の茶を見た。
◇
その日、ことはは店から豆大福を二つ持ち帰った。
一つは芹沢に。一つは、食堂の遼の席に、小皿にのせて置いた。藍色の紙のまま。
七時過ぎ、遼が帰ってきた。食堂を通る。皿を見る。ことはを見る。
「何だ」
「うちの豆大福です。催事の看板になるものですから、一度」
「看板にすると決めたのは俺だ。食う必要はない」
「決めた味を、ご存じないままでは」
「要らない」
遼はコートも脱がずに書斎へ行った。扉が閉まる。
ことはは皿を片付けなかった。片付けない、と決めてから、二階へ上がって風呂に入った。
降りてくると、皿は空だった。
豆大福はなく、藍色の紙が一枚、皿の上に畳んで置いてある。きれいに、まっすぐに。書斎の引き出しの中の紙と、同じ畳み方で。
芹沢に聞こうとして、やめた。芹沢は台所にいて、皿を見ていない。ことはは紙をつまんで、自分のポケットに入れた。食べたのが誰かは、分からない。この家には、遼と芹沢とことはしかいない。
◇
「六百」
源さんは鍋の火を見たまま、繰り返した。
「一日、六百か」
「催事は七日間です。看板って言われて、朝の百五十じゃ足りません」
木曜の朝の工房。ことはは帳面を広げていた。催事場の売り場で一日に出る数は、本店の出店の案内に書いてあった。老舗の看板は一日に千を超えることもあるという。柊屋には無理な数だった。
「千なんて、お父さんが聞いたら病室で踊るわよ」
母が、豆の袋を抱えて笑った。
「踊らせない。六百」
「六百でも踊るわよ、あの人は」
「人を雇うか」
「お金がありません。借金はなくなりましたけど、店の売上は変わってませんから」
氷川に頼めば、と母が言いかけて、やめた。ことはは聞かなかったことにした。頼めば済む。済んだあと、柊屋は氷川の金で人を雇った店になる。
「源さんとわたしで、どこまで作れますか」
源さんは火を落として、箸の先を餡につけた。舐めて、黙った。
「餡は前の日に炊く。餅は朝、二人で搬く。包むのはおれとことはで、母さんが並べる」
「はい」
「六百が、限界だ」
「六百で、いきます」
母が店先から顔を出した。
「六百なんて売れるの。朝の百五十だって、残る日があるのに」
「売ります」
「奥の売り場だったら?」
昔、父が催事場を見に行って、奥の店は気の毒だ、と言って帰ってきたのを、母は覚えている。
「どこでも」
言ってから、ことはは自分の声がはっきり出たことに気づいた。店のことだからだ。自分のことなら、こんな声は出ない。
源さんが、工房の隅から古い木箱を引き出した。餡を冷ます箱。父が使っていて、父が倒れてから仕舞ってあったものだ。
「おれが、毎日来る。催事が終わるまで」
「源さん」
「正市さんの箱、使うぞ」
源さんは返事を待たずに、箱を水で洗い始めた。ことはは帳面に、六百、と書いた。七日で四千二百。書いた数字を見て、手が少し冷えた。冷えた手で、もう一度、六百、と書いた。
◇
蓮田から電話が来たのは、夕方だった。
ことはは工房の帳場で、明日の豆を帳面に書きながら電話を取った。
「柊屋さんの、ことはさん……ですよね。本店催事部の蓮田です。あの、先日は」
声が小さい。廊下で遼に「お前が担当しろ」と言われた、あの若い社員だ。
「お世話になります。搬入のことで、何か」
「いえ、あの。売り場が決まりました」
「はい」
蓮田は一度、息を吸った。
「催事場の、一番奥です。柱の裏側になります」
ことはは、帳面の上でペンを止めた。
「……柱の、裏」
「はい。課長が、そう決められました。看板の店は入口付近に置くのが普通なんですけど、今回は、柊屋さんは奥で、と」
「蓮田さんは、それでいいと思いますか」
電話の向こうが、黙った。長く黙って、それから蓮田は言った。
「僕は、担当です。課長の指示を、お伝えしています」
「分かりました。ありがとうございます」
電話を切った。
ことはは帳面を見た。六百、と二度書いた字が並んでいる。催事場の一番奥。柱の裏。客は、そこまで来ない。
「ことは、どうしたの」
母が戸口から覗いた。ことはは帳面を閉じた。
「売り場が決まった」
「どこ」
「一番奥。柱の裏だって」
母は、口を開けて、閉じた。ことはは立ち上がって、工房の奥の木箱を見た。源さんが洗って、乾かして、伏せてある。父の箱。
「売るよ」
母に言ったのか、箱に言ったのか、分からなかった。
母は、口を閉じたまま、豆の袋を抱え直した。
「じゃあ、明日の豆、もう一袋出しておく」
「うん」
母が二階へ上がる音がした。ことはは帳面を開き直して、六百の下に、小さく書いた。柱の裏。
コメント
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第4話、じっくり読ませていただきました。ことはさんが「柱の裏」という絶望的な売り場に直面しながらも「売るよ」と言い切る場面、胸に響きました。店のことなら声が出る、自分のことなら出ない——この対比が、彼女の覚悟と弱さの両方を浮かび上がらせていて。藍色の包み紙をきれいに畳んで皿に置く遼さんの行動は、言葉にできない何かが確かにあって、そこも気になりますね。続きが待ち遠しいです。