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翌日。俺は旦那似のサルのキーホルダーの取れた――いや、実際は俺が握りつぶしたと言った方が正しい――鍵をポケットの中で何度も確かめ、以前購入した袋をスーツの内ポケットに忍ばせて空色の家の玄関前に立った。
サルのストラップが被害にあったのは、昨夜のこと。空色の部屋を後にして借りた鍵でマンションを施錠し、ポケットに入れようと思った時だった。ストラップから下がっていたマスコットのサルと目が合った。
コンビニから戻ってきた時と同じで、旦那に空色へ想いを寄せることを責められている気がして慌てて目を反らし、力いっぱいそのキーホルダーを握りしめてしまった。
そのままポケットに捩じ込んで家に戻って見ると、キーホルダーに付けられたマスコットが若干へしゃげてしまっていて、サルの顔が歪んでしまっていた。
借り物なのにまずいことをした。
握りつぶしてしまったとは言えないので、仕方なく紛失したことにしようと思って代わりに昨日待ち合わせした時に買ったストラップを渡そうと思った。
まあ、もともと付いていたストラップ部分がくたびれ気味だったから、紐が切れてしまったという言い訳でも通用すると思う。人様のものを壊してしまうなんて失態を初めて犯した。
旦那への嫉妬心がこんな風に具現化してしまったのだろう。自分の心の醜さの表れというか、象徴なのだと思う。未熟な自分を反省した。
今日は昨日渡しそびれてしまった荒井邸の設計図を持ってきた。
朝は調子に乗って『律さんに会いたい』とかそんな文面を織り込んだメッセージを送ってしまった。
彼女が俺(はくと)のことをまだ好きでいてくれていると知ってしまったから、自分の気持ちに拍車がかかってしまった。しかも空色からの返事――『私も楽しみにしています、宜しくお願いします』という内容に浮足立ってしまう。
100パーセント社交辞令。わかってる。それでも嬉しいと思ってしまう間抜けな俺。
ああ、もう。昨日失恋決定したのに。
諦められずにどうしていいのかわからない。
完全な横恋慕で、俺に勝ち目はないことは明白なのに。
彼らの幸せを壊したいわけじゃないのに……ああもうなんでこんなに複雑なんや!
恋愛脳はとりあえず置いておこう。俺は仕事をしにきた。大栄建設の営業マン・新藤博人になりきれ。
荒井家の前に立って一呼吸のあと、インターフォンを押した。
はーい、と鉄扉の前から聞こえてきた。声の主は爽やか旦那。今日は空色だけじゃなくて夫婦揃っている模様。複雑な気分になってため息が出た。
「どうも、新藤さん。わざわざすみません。しかも昨日ライブまでお越し下さった上に、うちのが世話になったみたいで。色々ありがとうございました」
”うちの”って…――ああ、空色のことか。
内心嵐が吹き荒れた。
「どうぞ上がって下さい」
室内に招き入れられた。玄関を上がる時、ビジューの付いたピンクのヒールの低いパンプスが中央に揃えておいてあるのが目についた。黒系のシックな色を好んで着ている空色の靴とは違う、可愛らしい女性が好むようなパンプスだった。来客かな。
出直した方がいいかと思ったのに、旦那が俺のためにスリッパを出してくれた。来客がいても構わないスタンスらしく、先に手狭な廊下を歩いたので俺も続いた。
旦那の背中を見つめて、俺が彼ら夫婦の間に割り込む隙は無いと改めて思った。二人でこれから俺が持って来た設計図をチェックして、マイホームを建てる相談をするのだ。話し合いが難航して、マイホーム建設がだめになればいいとか、そんな最低な考えにならなかったことが自分の中で救いだった。
寝室の扉の前を通った時、心拍数が少し上がった。昨日はここで――彼女の想いを知って嬉しかった反面、どうにもならない現実に打ちのめされたことを思い出した。そして今も。
「来客がありますけど気にしないで下さいね。僕と打ち合わせしましょう」
一緒にリビングへ入ると、空色の友人らしき女性がソファーに腰掛けているのが見えた。空色と仲がよさそうだ。
「あ、律さんこんばんは。ご友人の方がいらっしゃっていたのですね」
営業用の笑顔を見せて旦那と一緒にリビングのテーブルの方に着いた。おかしなところが無いかチェックしてもらうためにも、早速設計図を広げようとしたら「どうも、こんばんは」と、さっきの小さい女が笑顔で挨拶してきた。
目の前の彼女は、恐らく身長が百五十センチも満たない位の大きさだろう。ふわっとしたショートボブの薄いブラウンの髪色に、目が丸くて大きくつぶらで、リスみたいな小さい女だった。
「私、水谷佐知と言います。律さんの大親友です。よろしくお願いします。あなたは?」
「私ですか? 新藤と申します」
営業用の笑顔を湛えつつ、スーツの内側の胸ポケットから名刺入れを取り出し、中の名刺を一枚抜き出してリスに手渡した。
「大栄建設で営業を行っております。荒井様にはご縁がございまして、マイホーム造りのお手伝いをさせて頂いております」
「そうですか。新藤さんは独身ですか?」
突然なにを聞いてくるんや。教えたくないとは言えないので爽やかな笑顔で独身だと告げて対応する。営業マンに拒否権はない。