クラリーチェが地図を整えながら、「それでは授業を始めましょうか」と穏やかに声を掛ける。それはランディリックにとって、『あなたはもうお役目が終わりました』と受け取れるような宣言だった。
それでもリリアンナの視線の先、ランディリックはすぐにはその場を離れようとはせず、何かを言い出したそうに眉間にしわを寄せ、思案顔をしている。
(ランディ、馬のことなら何度言われても私、イヤって答えるわよ?)
その様子に、リリアンナは胸のうちで小さく吐息を落とした。
「――ミセス・クラリーチェ、少しだけ席を外していただけますか?」
(ほらね、やっぱりきた)
ランディリックが静かな声音でそう告げた瞬間、リリアンナはそう思った。それと同時、クラリーチェへの呼び掛けがいつも聞いている〝クラリーチェ先生〟ではないことに、違和感を与える。その呼び方は、リリアンナの耳にはやけに親しげに響いた。
(ミセス・クラリーチェ……? そんな呼び方、いつもしないのに何で?)
もしかしたらリリアンナの知らないところではそんな情愛のこもった呼び方をしていたのかも知れない。そう思い至った途端、リリアンナの胸の奥にモヤモヤがぱちりと火花を散らした。
そんなランディリックの声掛けに、クラリーチェが一瞬ためらうように視線を揺らせるのがやけに艶めいて見えて、リリアンナは我慢できなくなる。
「ランディ。申し訳ないけど、今はクラリーチェ先生との貴重なお勉強の時間なの。邪魔しないで?」
自分でも驚くほど冷たい声が、部屋に落ちた。
クラリーチェは息を呑み、ナディエルも思わず振り返る。
でもある意味間違っていないはずだ。だって長いことクラリーチェは不在で、リリアンナの勉強は遅れ気味だったのだから。
「ランディだって分かってるでしょう? クラリーチェ先生がいなくて、私の勉強がままならなかったこと!」
だからだろう。この場にいる誰かが口を開くより先、リリアンナは正論を振りかざして先制攻撃をした。
リリアンナの完璧な拒絶に、ランディリックの瞳がわずかに揺れる。
何か言いたげにリリアンナを一瞬だけ見詰めてきたランディリックだったけれど、結局は何も言わずに短く息を吐くと「……分かった」とだけ告げて、静かに背を向けた。
扉の閉まる音が、やけに大きく響いた。
「……リリアンナお嬢様」
クラリーチェの声は静かだが、どこか非難めいて聞こえた。
「……侯爵様にあのような口の利き方は感心できません」
「お勉強の邪魔をしようとするランディの方が、よっぽど感心できないと思います!」
いつもならこんな反抗的な態度は取らない。
だけど、抑えられなかった。
驚いたように瞳を見開くクラリーチェと、オロオロと戸惑うナディエルの様子を視界の端に収めながら、リリアンナは胸の奥に言葉にできない痛みを感じずにはいられない。
(私、……どうして、こんな言い方しか出来ないんだろう)
本当は今すぐにでもクラリーチェとランディリックに謝りたい。でも、今さら引っ込めることの出来ないよく分からない感情が渦巻いて、リリアンナは俯いたままぎゅっと拳を握りしめた。
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嫉妬心の芽生え?