テラーノベル
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「結衣、この物件のここ。よく見て」
タブレットに表示された間取り図を指差す徹さんの声は、いつになく真剣だった。
不動産屋のカウンターで、彼はまるで数千億円規模のプロジェクトを精査するかのような
鋭い目付きで画面を見つめている。
「……えっと、キッチンが広いのは嬉しいですけど、そんなにこだわります?」
「当たり前だよ。二人の食事は健康の基本だし、何より……俺、結衣が料理してるところを後ろから抱きしめるのが夢なんだ」
……不動産屋さんの前で何を言っているんだろう、この人は。
隣で営業担当の女性が「まあ、仲睦まじいことで……」と顔を赤らめている。
結局、徹さんのこだわりは留まるところを知らなかった。
「日当たりが良すぎると結衣が朝眩しがる」
「お風呂は二人がゆったり入れるサイズじゃないと」
「クローゼットは俺のスーツより結衣のワンピースを優先で」……。
そうしてようやく決まったのは、会社からほど近く
けれど驚くほど静かな低層マンションの一室だった。
そして迎えた、同棲生活の初日。
平日の朝、私たちは同じ玄関で靴を履き、同じタイミングでドアを開ける。
「じゃあ、行こうか」
外に出た瞬間、徹さんはカチリと音を立てるように「仕事モード」へと切り替わった。
オフィスでは、彼は相変わらずの「鉄の仮面」だ。
鋭い指示を出し、妥協を許さない姿勢で部下を震え上がらせる。
私に対しても、仕事中は一線を画した、完璧な上司としての振る舞いを崩さない。
けれど、帰宅して玄関の鍵を閉めた瞬間
その「仮面」は音を立てて崩れ去る。
「……はぁ、やっと帰ってきた」
靴を脱ぐのもそこそこに、徹さんは後ろから私を捕まえ、首筋に顔を埋めた。
「徹さん……!?ま、まだ着替えてもいないのに」
「いいの。……一日中、会社で結衣に触れないのがどれだけ苦痛か、分かってる?」
ソファに倒れ込むようにして抱きつかれ、私は彼の膝の上に収まる形になる。
さっきまで会議室で冷徹に数字を詰め寄っていた男と、同一人物だとは到底思えない。
「結衣、今日ランチ行く前に、他の部署の男と楽しそうに話してたでしょ……あれ、すごく妬けた」
「えっ、ただの仕事の連絡ですよ?」
「分かってる。分かってるけど、俺の結衣だって叫びたかったな」
徹さんは私の腰をぎゅっと抱きしめ、子供のように肩に頭を乗せて甘えてくる。
そのギャップに、私の心臓は朝から晩まで休まる暇がない。
「……ねえ、結衣。お風呂、一緒に入ろ?」
「だ、ダメです!先に入ってください!」
「えー…恥ずかしいの?」
「だ、だって徹さんすごく見てくるんですもん…!すぐハグするし…」
「そりゃあ結衣が可愛いから」
「お風呂でそんなにドキドキさせられたら…のぼせちゃいます…っ」
「結衣に耐性が無いだけ。でしょ?」
そう言って悪戯っぽく笑う彼の瞳は、熱い独占欲と、私への純粋な愛で溢れていた。
仕事中の厳しい徹さんと、家でのベタ甘な徹さん。
この二つの顔を独り占めできるのは、世界中で私だけ。
慣れない同棲生活への不安なんて
彼の熱い抱擁の中ですべて溶けて消えていった。
#ワンナイトラブ
おまる
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