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夜の街は、薄い膜の向こうにあるようにぼやけていた。 雲賀ハレルは、机の上に肘をつき、窓の外に落ちる雨を眺めていた。
アスファルトを叩く水音が絶え間なく続き、街灯の光が水たまりの中で歪む。
世界が、どこか遠くにあるように感じた。
部屋は六畳のワンルーム。
古びた本棚には漫画と参考書が混ざり、机の上にはノートパソコンと冷めたココアのマグカップ。
壁際の観葉植物の葉先に、窓の光が小さく揺れている。
ハレルは高校二年生。
少し伸びた黒髪を無造作に撫でつけ、眠そうな灰色の瞳をしている。
背は平均よりやや高く、姿勢はどこか猫背気味。
性格は内向的だが観察眼が鋭く、他人の表情の微妙な変化や、物事の不自然な点を見逃さない。
それが時に、彼を疲れさせてもいた。
「……また雨か。」
独り言が、空気に溶けた。
母はまだ仕事で帰らず、妹のサキは隣の部屋で動画を観ている。
静かな部屋。時計の秒針だけが、現実を刻んでいた。
ハレルは、首元のネックレスを指で触れた。
銀色の小さなカメラがついている。
――フリージャーナリストの父が、初めてプレゼントしてくれた物だった。
「真実を見つめ続けることが、大事なんだぞ。」
昔、そう言って笑っていた父の顔を思い出す。
その父は、一ヶ月前から消息を絶った。
母は「また長期取材に出たのよ」と言い張るが、
夜更けにひっそり泣いているのをハレルは見たことがある。
最近、ニュースでも物騒な話が続いていた。
ここ半年ほどで、若者の失踪事件が相次いでいるのだ。
誰もが“家出”として片付けられ、警察も動かない。
そして、不審な「心不全による突然死」――特に二十代から三十代の男性が続いていた。
どの事件も、原因は“持病”や“ストレス”として処理されている。
まるで、何かを隠すかのように。
ふと、ハレルは父の言葉を思い出した。
《最近妙なゲーム会社がある。人間の意識を使った開発をしているらしい》
――ゲーム開発会社【クロスゲート・テクノロジーズ】。
父はその会社を調べていたのだという。
「……確か、そんな名前だったな。」
呟きと同時に、スマホが震えた。
SNSのタイムラインに、一つの広告が浮かび上がる。
《現実を超えるリアリティ――クロスワールド・ゲート》
“選ばれし者は、真実の境界を超える。”
その文字を見た瞬間、胸がざわついた。
偶然――そう思うには出来すぎている。
広告の文字が、液晶の奥でゆらりと脈打つように光った。
「……試してみるか。」
ハレルは呟き、ダウンロードのボタンを押した。
父の失踪と、この会社。もし繋がりがあるなら――確かめるべきだ。
インストールのバーが進む。
その間、ネックレスが“カチリ”と鳴った。
金属の奥で何かが起動したような音がした。
次の瞬間、視界が白く弾けた。
⸻
石畳の街
冷たい風で目を覚ます。
ハレルは、石畳の上に立っていた。
土の匂いと、焼きたてのパンの香りが混ざる。
どこか遠くで鐘が鳴り、人々の笑い声が響く。
空は鈍い青灰色で、雲の隙間から陽光が滲むように差し込んでいた。
「……どこだ、ここ。」
目の前には木造の家々。
赤茶の屋根瓦には苔が生え、店先には乾燥ハーブが吊るされている。
小さな噴水の前では、子どもたちが石を蹴って遊んでいた。
女性が売る果実籠の香りが風に乗り、耳の奥では街角の楽師が笛を吹いている。
この世界の空気は、どこか懐かしいようで、それでいて息苦しかった。
現実とは違う重力を感じる。
足元に溜まった水たまりに、見慣れた制服姿の自分が映る。
「夢……じゃないのか?」
制服の袖をめくり、皮膚をつねる。
鋭い痛みが走った。夢ではない。
通りの掲示板に貼られた紙が、風でめくれた。
手を伸ばして拾い上げると、赤い印字が目に飛び込んでくる。
《号外! 大臣アルディア、暗殺される!》
見出しの下に描かれた肖像。
その顔を見た瞬間、息が止まった。
――柏木先生。
温厚だが少し頼りなく、クラスでは冗談の的にされていた担任。
数日前から無断欠勤しており、生徒の間では「辞めるんじゃないか」と噂になっていた。
そしてその下には、
“暗殺犯リオ”の名とともに、もう一人の少年の横顔。
無口で冷静、学年トップの成績を誇るクラスメイト――一ノ瀬涼。
最近は授業を休むことが多く、保健室登校が続いていた。
それでも誰よりも頭が良く、何かを考えているような瞳をしていた。
「……嘘だろ。」
胸の奥が冷たくなる。
通りの喧騒が遠ざかり、代わりに心臓の音が響いた。
そのとき、首のネックレスが熱を帯び、微かな電子音を放った。
カチリ――。
世界が再び白に染まった。
⸻
灰色の現実
目を開けると、自室の天井。
雨の音が戻ってくる。
机の上でスマホが震えた。
テレビをつけると、キャスターの神妙な声が。
地元テレビのニュースが流れる。
「県立桜ノ丘高校の教諭・柏木陽介さんが、自宅で倒れ死亡しているのが見つかりました。
事故と事件の両面で警察が調べています。」
息が詰まった。
あの“大臣アルディア”と同じ顔――柏木先生。
そして、彼を殺したとされた“一ノ瀬涼”の姿が頭をよぎる。
偶然にしては、あまりにも出来すぎている。
そのとき、机の上のネックレスが淡く光った。
冷たい青い光が、部屋の中を静かに照らしていた。
ハレルは、無意識にそれを握りしめた。
――父の失踪、増え続ける失踪事件、そして柏木先生の死。
すべてが、ひとつの線で結ばれようとしていた。