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#ワンナイトラブ
「常葉くんは、その……どう思いますか?」
「どうって?」
「本音なのか、嘘なのか」
「自分の頭で都合良く解釈したらどうですか」
至極面倒そうにその瞳は私を見下ろす。
常葉くんだったら、客観的且つ冷静にアドバイスをくれると思ったんだけどな。
…でも、確かに、昨日今日で少し彼に頼りすぎかもしれない。
「ごめんなさい、ちょっと調子に乗りました。では……」
そそくさと前を通り抜けようとした。すると「だる」なんて、溜息に似た言葉と共にその足が伸びて私の進行方向を塞ぐ。
驚いて視線をウロウロと縫い上げた。
「同棲中のくせに浮気相手を家に呼ぶ時点であんたの事舐め腐ってるに決まってるでしょ。頭、寝てるんですか?」
辛辣な言葉は容赦なく滅多刺しにするのに、言い返せない。
「それにホテルに行かないあたり、浮気常習だと思いますよ、あの人」
「な、なんでそう思うんですか?」
「勘です」
勘なのに、言い返せずに口を噤む。
思い返せばここ最近、旺くんが部屋のお掃除をしている回数は多かった。
浮気相手には同棲を気取られ無いし、私には片付けたと言える。なんて都合のいい説明だろう。
だけど、あれは?
「誕生日の予約してくれてるって言ってたのは?」
「予約くらい、三ヶ月後ならそこそこのレストラン今からでも取れますよ。口だけに決まってる」
た、確かにそうかも……!
「じゃあ、してないって言うのは」
「ゴムが無いとか、そんなトラブルが無い以上してるでしょうね」
全てを覆されてしまうと、よろよろと棚に項垂れた。
バカだ……私、全部鵜呑みにしようとした……。
そうだった。人間って、嘘がつけるんだった。
片方沈みかけていた。良かった、常葉くんのお陰で自力で戻ってくることが出来た。
常葉くんは小さなため息をひとつ落として私を見下ろす。
「まぁ、自分の人生なんで、本気で好きなら馬鹿みたいな愛に溺れるのも良いんじゃないんですか。俺には死ぬほど関係ないんで」
本気で好き、か。そう問われると”好き”じゃなくて”好きだった”に近い……かも。
不意をつかれて許しそうになったけれど、浮気した事実は変わらないんだし。
……今度話す時は、流されないようにしなきゃ。一喝を込めてパチン、両手で頬を叩いた。
「……めげずに話してみます」
胸の前で両手を握りしめていると、常葉くんはやっと、私を堰き止めていた足を下ろした。
「そ。頑張ってください」
見たこと無いような穏やかな笑みを浮かべた常葉くんは、私の頭に優しく手を置く。
その瞬間、秒数にして1秒にも満たなかっただろう。だけど、思考は簡単にそれを止めた。
なに、今。
頭ポンポンしたの?突然のデレ?それとも飴?
口をぽかんとさせたまま見上げていると、何かを察した常葉くんはあからさまに嫌な顔をしてゴミでも払うかのように手を叩いた。
「ひ、酷いですよ、ちゃんと髪くらい………」
髪?
言いながら、その事実に気付く。
そう言えば、昨日お風呂、入って……ない?
「シャワーだけなら俺がしましたよ」
「え、ど、え、えぇっ!?」
「……なんですか、その顔」
突然のカミングアウトにパクパクと魚みたいに口を動かしていると、それが余程おかしかったのか常葉くんは気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「証拠、残した方が良かったですか」
「や、ほ、ほんとそれはもう……けっこうです」
「ふぅん」と、どこか満足気な彼はヒラヒラと手を翳して行ってしまった。
ポツン、一人取り残された資料室で、先程熱の通った頭を撫でてみる。
常葉くんがたまたま居合わせてくれて良かった。
あのままだと多分流されて、有耶無耶になっていた……気がする。
しっかりしろ、依愛!
もう一度、今度は強めに頬を叩くと遅れて私もその部屋を後にした。
結局、その後平常運行だった私はいつも通り21時過ぎには退社することが出来た。
ナビアプリと見つめあい、数時間前に通った道を再び辿り、道中コンビニで夜ご飯と朝から見る余裕のなかった旅行カバンの中身を思い返して、歯ブラシや足りない分を買い足した。
……そう言えば、常葉くん、飲み会じゃないのかな。
小耳に挟んだ昼の会話を思い浮かべると、電話を掛けるのには少しの勇気が必要だ。だけど一応、その名前を押した。
『……はい』
意外とすぐに電話は繋がった。
「あの、常葉くん。今から帰りますね」
『気を付けて。じゃあ』
ただそれだけの会話をすると一方的に切られてしまったので、家に居るのかは謎だ。
もし、居なかったら勝手に上がって良いのかな?
「……遅くないですか?」
何とか彼の家に帰り着くと、出迎えた常葉くんは怪訝な顔で私を見下ろした。
もうお風呂は済んでいるのかな。ゆるっとしたロンTと下は三本ラインのジャージ姿というラフな格好の常葉くんも脳内のシャッターで連続撮影する。
「帰宅するの、いつもこのくらいなんです」
「事務の子、18時には帰ってましたよ」
「あの子達は仕事終わって楽しみが待ってますもん。私はお金貯めなきゃなんで、バリバリ残業します!」
「ふーん。そんな残業してんのに、なんで金無いんですか?もう6年目でしょ?浪費癖あるとか?」
「いえ、私、何でか彼氏出来る度にお金無くなっちゃうんですよね」
「………………クズの匂いしてきた」
「へ?」聞き直すと、常葉くんは「なんでもないですよ」と、甘い目元をくっと下げて天使のような笑顔を浮かべた。
「……先に、お風呂頂いて良いですか?」
「どうぞ。覚えてます?」
「…………こっちかな」
「思い出しました?」
「勘ですよ!」
簡単に言い合うと部屋に戻り、旅行カバンを開けて知らずのうちに集めた服と日用品を確認する。
二着あったスーツと三枚のインナーは今朝確認した。あと普段着がワンセットと下着も三種類、か。
日用品と来たら一つだけ後ろ髪引かれるものが。
洗面台の中に眠るお高い化粧水と乳液、あれは持ってきたかった。
だけど暫くはこのオールインワンタイプのクリームで凌いでそのうち買い直そう。
そう決めてリビングに戻ると、常葉くんはソファーに座ってテレビを観ていた。
画面越しに真剣な眼差しを向ける男性と目が合う。誰だっけな、今注目の若手俳優が主演を務めるって話題のドラマだ。常葉くんはそれをじっと観ていた。
…なんか意外。ドラマとか、観る人なんだ。
「あの」と、少しだけ申し訳なさそうに声を掛けると、常葉くんの甘い目元がこちらに向かう。
「なんですか?」
「…家からパジャマを持ち出すのを忘れたので、よろしければ昨日のTシャツをまたお借りしても良いですか?」
「どうぞ。下は……この辺がいいかな」
常葉くんはそう言って、ジャージを渡してくれた。何からなにまで申し訳ないけれど、これ以上、本格的なお礼を言うと、常葉くんにウザがられそうなので「ありがとうございます、お借りします!」と言って、浴室へと急いだ。
しかし、平気だと思っていたのは頭だけで、心は全然平気じゃなかった。
浴室を前にすると、どうしても昨日の声が耳の奥で木霊する。
甘美な声に紛れて確かに届いた旺くんの声。
あの瞬間、熱がすぅっと冷めた。分かってる。
もう嫌い、好きじゃない。深呼吸をして乱れた気持ちを落ち着かせる。
…………分かってるのに。
それなのに、やっかいなこれの整理っていうのは毎回自分が思うよりも簡単には片付いてくれない。
一人、耳を塞いだり、頭の奥の声が消えるように手で叩いていると、コンコン、と、小さなノック音が聞こえた。
……あれ、常葉くん?
ドアを開けると、私を確認した彼は平然と中に踏み入る。
「タオルの場所、教えてなかったんで」
「あ、ありがとうございます」
「………やっぱ、入れないですか?」
何事もなく白いランドリーラックの観音扉を開けて、バスタオルを取り出す常葉くん。
だけど、言葉の意味が分からない私は「えっ」と間抜けな声しか出ない。
「昨日も、お風呂入りたくないって駄々こねてましたから」
……そう、なんだ。
差し出されたバスタオルを受け取ると、滑らかで優しい肌触りのそれをぎゅっと抱きしめた。
「そっか」
上手く笑顔を作ることすら出来ずに俯いていると、常葉くんは洗濯機に背を預けてズルズルとその場に腰を落とした。
何事かと思えば、そのまま彼は平然とスマホを操作し始めている。
え?なに急に。スマホ触らないと死んじゃう病?
呆然と立ち尽くしていると、その瞳が私を見上げた。
「ここに居ますから、さっさと済ませてください」
一瞬、言葉の翻訳が遅れを取り目を瞬かせる。だけど、彼なりの優しさだと分かればふいに目の奥が熱くなった。
「……ありがとう、ございます」
それに気付かれないようにすぐに浴室のドアを開けた。
浴室で服を脱ぎ蛇口を捻ると、柔らかい水滴が私の身体を濡らす。
旺くんが舌を這わせた首周りをメインに、ひたすら無心で泡をつけた。
一通りそれが終わると鏡で自分の姿を映した。まだ泡の届かない二の腕の内側に違和感が、ひとつ。
輪を描く赤黒い跡。おそらく、歯型だ。
こんなの、旺くんは一度もつけたことは無い。
ということは……これ、常葉くん?
な、な、なんでこんな所に……。
扉越しに居るその彼へと声をかけようとして……止めた。皆までそれを聞くのは恥ずかしい、何より悔しい。
…………どっかに思い出すきっかけ、落ちてないかなぁ。
いくら捻っても全く落ちてこない欠片にため息を落とし、観念して身体を洗った。
浴室で常葉くんのTシャツに袖を通し、下もお借りした。
けれど……残念ながら紐の調節が出来ないタイプのジャージで、ぶかぶかだった。
華奢に見えて、やっぱり男の子なんだ……!
体格差に恥ずかしさを覚えながら両手でウエストを支えた状態で脱衣場に顔を出す。
未だに座り込んで、興味無さそうにスマホを触る姿を見ると胸の閊えはストンとどこかへ消えてしまった。
……ほんとに、まだ、居てくれた。
「お待たせしました」
その姿に声をかけると、常葉くんは顔をもたげて私を見上げる。
「……メガネ違くないですか?」
「こっちが度数低いんで、家用です」
仕事用はイメージに沿うようにハーフリムタイプの眼鏡だけど、普段は縁が気にならないウェリントンタイプの眼鏡。
それを外し常葉くんの方へ向けると「ふーん」とだけ彼は呟いて立ち上がった。
「……下、大きすぎました?」
動きにくそうにしていたからか、常葉くんの目線はウエストに向けられていた。
「はい、ピッタリじゃなくてごめんなさい……。申し訳ないので、やっぱり下はお返しします……」
脱ごうとすれば、その手を掴まれた。
なぜ……?と、疑問が生まれる。
「出来ればそのままで。邪魔なら寝る時に脱いでください」
「え……?でも、ご迷惑では」
「俺に襲われていいなら、脱いで構いませんよ」
強気な笑顔。勝気な流し目に誘われてたまるか。
「…………死守します…………」
弱々しい声を振り絞ると、常葉くんは満足したように微笑んだ。
「あの」と、向けられた背中に声を掛けると、常葉くんは顔だけをこちらに向けた。
「……確認ですけど、彼女いませんよね?」
「居ませんよ。居たらあんたここに居ませんよ」
……そっか。居ないんだ。
これで彼女が居るとなれば、彼女への気まずさですぐに家を飛び出していたと思う。多分。
ほっと胸を撫で下ろせば漸く表情筋は緊張を解いて「良かった」と声を漏らすと同時に笑顔が零れた。
「あの、一個言っていいですか?」
そのまま脱衣所で髪の毛をタオルドライしていると、未だ同じ空間に居た常葉くんは何やら嫌そうに眉間に皺を寄せている。
「……どうしました?」
なので、こちらもやや不安げに眉根を寄せて見上げると、常葉くんは腕を組んで小さく首を傾けた。
「ここに居るのは自由だし、勝手にしていいんですけど、俺の事好きになんないで下さいね」
…………好きに?
静かな抑揚で突き付けれたそれは、惚れっぽい私にとっては拷問に近い条件なので、刹那、身体がフリーズした。
……ならないで?
ポタリ、髪を濡らす水滴が足の甲に落ちて私の身体はやっと解凍する。
「え、な……え、どうして?」
「あんた、最高にダルそうなんで。俺に惚れたら追い出しますからね」
え、嘘?冗談?
緩やかなパーマがかったチョコレート色の前髪から覗く瞳は、冗談を言っているような目では無い。
こんな怖い表情をしていても、私が上がるまで待っていてくれたし、何よりあまり接点のない先輩を家に住まわせてくれる程、優しい人なんだよな。
思い返せば、きゅん、と胸が音を鳴らす始末。
待って、この2日で私だいぶときめいてるし、無理じゃない?
昼間の頭ポンポンだったり、思い返すと何度も胸を撃ち抜かれる。
……うぅ、無理、むりだよ、無理。
圧倒的な強者に心は既に白旗を翻しそうになる。しかしながら同時に頭の中で計算した。
切実なる金銭問題、住居問題。その解消法が、己の理性の封印。
欲しいものに駄々をこねる5歳児じゃないんだ。27歳、立派な大人だ、アラサーだ。
一人頷き決意をしていると、急に視界に常葉くんの綺麗な顔が飛び込んだ。
ふわ、と、柔らかい二重の瞳を甘美に細め、喉を鳴らした彼はこう告げる。
「あんたがあんまうじうじしてたら、ウザくて俺、追い出したくなるかもね」
追い出す術を持ち合わせている、と、言わんばかりの自信に満ち溢れた宣言。
「ぜ、善処します…………」
既に、ぐらぐらに揺れている私は、それでも、なんとか言葉に込めるしか出来なかった。
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