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「穂波さん、昨日はありがとうございました〜」
次の日、出社すると同時に橘さんは満面の笑みでお辞儀をした。毎度、見慣れた光景だ。
「平気です。大事な用は大丈夫でした?」
「はい!お陰様で、ばっちりです〜!」
昨夜、案の定彼女は活動報告をSNSに綴っていた。
しかしそれは女子だけで二次会している様子だったので、きっと合コンの結果は芳しく無かったのだろう。
私の苦労の代償とは一体。
まだそこに居た橘さんは人差し指を顎に当てて「あれ〜?」と、あざとく小首を傾げた。
「穂波さん、いつものクリップどうしたんですかぁ?」
彼女が言ったそれは、毎日仕事に付けていたシンプルだけど淡水パールが可愛くて、お気に入りだったヘアークリップ。
仕事中はそれで長い黒髪を纏めていたのだけど、多分あの日酔っ払ってどこかで落としたみたい。ちょっぴり切ない。
「失くしたんです」
事実だけをポツンと言うと「えっじゃあ」と一言残した橘さんは、二つ隣の自分の席へ戻った。
再び私の前に現れた彼女は、手に似た様なヘアークリップを乗せていた。
「これ、使って下さい〜」
満面の笑みでグイッと押し付ける様に差し出す橘さん。思わず受けとったそれは、私の使っていたものと似ていた。パールの装飾は多いけれど、凄く可愛い。
「……でも、橘さんは?」
「穂波さんが使ってるの見て、可愛いなって思ったけど私には似合わなくって。いつもお世話になってるし、なんなら貰って下さい〜」
まさか。橘さんに優しくされる日が来るとは思わず、不意打ちの優しさに目の縁が滲んだ。
人の為にした事は自分に返ってくるって、本当だ。
「ありがとう、有難く使わせて貰います」
だけど努めてそれは表に出さず、いつもの様な表情でお礼を言うとすぐに髪の毛を纏め直した。
「穂波、これ、マーケとシステムに宜しく。あと新卒の面倒宜しく」
午前の業務も折り返し地点。
いつもの如く、課長は突然やって来て無造作に私の机の上へ書類を重ねた。
これは遠回しに、新卒をどうにかしろという暗号だ。
自分の部下だから少しは大事にしろよ、と、行き場のない気持ちを心の中で壁打ちする。
だけど素直に引き出しからA5サイズのリングノートを取り出し、言いつけ通りに立ち上がった。
「分からないところが分からないと思うので、つまづいたらすぐに言ってください」
「わかりました!」
月曜から本社勤務開始となった新卒の二人は初々しい返事を聞かせてくれた。
今年の子は特に素直で助かっている。
去年の子もそうだった、ただ一昨年の常葉くんは手は掛からないのに先輩泣かせな新卒だった。
なんでもソツなくこなして、効率のいいやり方を逆に教わるという失態を冒したので、あれ以来ボロはださないようにって御局様まっしぐらの嘘で塗り固められた女は必死なのだ。
「穂波さん、ここですけど」
「あぁ、ここ、分かりにくいですよね」
一瞬、別のことを考えていた私は、目をぱちぱちと瞬かせる女性と目が合うので、直ぐに仕事スイッチを押して書類と画面を見比べる。
私に抜きん出た才能は、残念ながら持ち合わせていない。
出来る女とか、クールビューティーとか、インテリ系とか、散々揶揄されるのは自分のイメージ。
実際はタイピングも仕事を始めてやっと人並みになった。
仕事の処理能力は確かに速くはなっているけれど、それでも並。私は元々平凡な人間なのだから。
いつもこなしている仕事内容だって、本物の”出来る女”なら定時で上がれる内容なんだ。みんな知らないだろうけど。
「社内には慣れましたか?」
折角なので、部長に頼まれた二つの部署へのおつかいも、新人二人を連れて行く事にした。
エレベーターの中で、肩を竦め固い表情の後輩に声を掛けると、二人は「えっ」と目を見開いた。
何か変なこと言ったかな。
不思議に思って怪訝な表情を浮かべていると、「まだ、慣れなくて…」と、たどたどしい返事をくれた。
「分からなくなったらすぐに言ってくださいね」
「あ、ありがとうございます!」
ペコ、と、彼女たちは可愛らしく腰を折るので、何だか心がほっこりと和む。
素直な子で可愛い!と、軽々しく口にしてハグでもしてあげたいのに、私がしたら卒倒されるだろうから止めておく。
暫くしてお目当ての部署に近付くと「あっ、常葉さんだ」と、二人の艶のある声が背後で聞こえた。
そっか。マーケティング部って、今年から常葉くんが配属された部署だ。
オフィス内を確認すれば、確かに朝別れた彼の姿が確認できた。
デスクに座って普段の業務を行っている様子なのに、彼女達二人にとっては輝いて見える様だ。
咳払いをひとつすると、グルン!と、彼女たちは当初の目的を思い出したのか、面白いように振り返った。
書類投函の場所を教えると、その先にあるシステム部でも似たような作業をさせて踵を返す。
今日、旺くんは外回りらしいので会う心配はない。だけど、企画課のオフィスがあるこの階にはあまり居たくないので、出来るだけ早足で。
「この会社って、社員の顔面レベル高いですよね」
え?いま、私に話しかけた?
思わず聞き返そうとしたけれど、敬語なのできっと私だろう。「そうですね」と、簡単に返事をしてみせる。
「中でも常葉さんが1番ですよね。穂波さんって、常葉さんの教育係もしていたんですよね」
情報、早いな。まだ入社して1週間くらいだし、3日しか本勤務していないのにもう出回っているのか。
「……はい。あの頃は営業に居たので」
「常葉さんと仲良いんですか?」
仲はあまりよくないけど、ルームシェアしてもらってます〜!
……口が裂けても、言えるわけない。
言ったら常葉くんが笑いものにされる未来しか見えないので、「いいえ」と、無表情のまま義務的に首を横に振った。
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