テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
9
48
75
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ある夏の出来事です。とっくに日が落ちたというのに、まだまだ蒸し暑さが残る時期でした。
その日、俺は主様に連れてこられ、とある地域で開催された夏祭りに参加していました。
「テディ、こっちこっち!」
「ちょ、待ってくださいよぉ」
右手にはいちご飴、左手の薬指には水風船のついた輪ゴムをはめて人混みの中を掻き分けるちいさい背中を追いかけます。
主様はなかなか下駄になれない俺の手を引いてくれましたが、余程今日を楽しみにしていたのでしょう、足取りがこくご軽かったんです。おかげで追い付こうとするのに手一杯になっちゃって、足がもつれて、何度か転びそうになりました。
主様は浴衣を着ていました。白肌のよく映える藍色の生地に白色と金色の糸、見慣れない模様が刺繍されたものでした。フルーレくん曰く、アサガオという花がモチーフらしいその模様には不思議な力がありました。
滅多に見ることのできないその姿を目に焼き付けようとひっそり見つめていたら、ついに視線に気付いた主様が「なあに、テディ、見惚れちゃった?」なんてからかわれてしまいました。
「主様もハナマルさんみたいなこと仰るようになりましたね。」
「は?おだまり」
生憎ツーンとそっぽを向かれちゃいましたけど、ほんのり赤く染った耳は隠せていませんでしたっけ。ふふ、今思い出しても可愛いなぁ。
さて、人混みに酔った俺たちは一度ゆっくりとす休憩ることにしました。屋台から少し離れた位置に、古ぼけた神社がぽつんと建っていたのです。
その頃にはいちご飴は棒だけとなり、俺が持っていたかき氷は溶けきってシロップと同じ状態にでした。
俺たちは神社の階段を登って座り、祭りの熱気冷めやらぬ儘、立場を忘れて語り合いをしていました。やれあの屋台が面白そうだ、やれその家族がこんなことを話していた、やれ誰になんのお土産を買おう、やれ何処が一番見晴らしがいい。そんな他愛のない話ばかりを淡々と。
そうして話し込んで、ふとお互いの顔が近いことに気が付きました。
途端に祭りが遠のきます。ひぐらしと、彼女と自分の息遣いがやけに響いて。
そんな時でした。
ニャーン。
背後から可愛らしい動物の鳴き声がひとつ。
振り返ると、真っ黒な毛並みの猫が最初からそこに居たように座っていました。
それはとても綺麗な子でした。
……その時の主様の様子ですか?もちろん、目を輝かせていましたよ。あの人の猫への愛は相当なものですからね。
彼女は「わ、美人さんだね。」と呟いてチチチチ、と控えめに口を鳴らしながらその子に手招きをしていました。怖くないよ、こっちにおいで。そんなふうに呼びかけているように見えました。
やけに動物慣れしている仕草に感心していると真っ黒な猫は耳を動かしました。おっ、と思った瞬間、猫はスルスルとこちらに歩いてきて、やがて主様が差し出していた指をペロッと舐めたんです!
「…!テディ見た、見た? 」
「みみ見ましたよ!今、主様の手を舐めましたよね!」
「だよね!!夢じゃないよねっ」
俺たちがキャッキャと騒ぐ間も、その子はピンッと尻尾を立てて、主様の手をぐいぐい頭に擦り付けていました。あまり人を恐れてない様子で、むしろ積極的に甘えにきていたように思います。
……嗚呼、冷静になって思い返すと不思議で仕方がない。あんなに柔らかな手触りの毛のした人懐っこい子が首輪をつけずにあんなところにいるなんて…..よく考えればそれは随分可笑しなことです。
だけど俺はそれに対して違和感を覚えませんでした。これも些か不思議です。もしくは、当時の俺がただただどうかしていたのだと思います。
それから数分ほど撫でられた猫は、もう満腹だと言うかのように一声鳴き、今度は主様の手から離れていきました。
「あ、待って、もうすこし….」
それでも満足できなかったのか、主様は立ち上がって、今まさに去り行こうとするくろい猫を追ってしまいます。
ゆらりふわりと歩く猫、その後ろに続く浴衣姿の主様。
一人と一匹は、元いた方面から神社の裏へと駆けていって、角を曲がりすっかり髪の毛の先も見えなくなりました。
まさかそんな所まで行ってしまうと思わなかった俺は、あわてて立ち上がります。大股で神社に駆け寄って若干苔の生えた直角の壁に手をかけ、向こう側を除きました。
「主様!」
其処には、何も在りませんでした。
人の気配も、影も、形も無かった。ただ足元に無造作に捨てられた片方の下駄が全てを物語っているようでした。
心から恐ろしくなった俺は、気付くと、喉の奥から溢れた恐怖を着の身着のまま吐き出していた。
⎯⎯⎯⎯今語ったことが、俺の知る全てです。
あれから年を迎えました。
彼女が行方不明になって以降、執事の皆さんの力も借りてあの神社中心に何度も何度も探索を重ねたのですが、未だに足跡どころか、何の痕跡も見つけ出せていません。
まっくろな猫も消え、屋敷にいたはずの黒い猫も姿を眩ましてしまいましたが、皆さんはすっかり気を持ち直しています。
….そう、まだ立ち直れて居ないのは俺だけ。
こうして未練がましくあり続けているのは、俺だけなんです。
俺が彼女を忘れてしまえば、全てはもとに戻ります。この件は幕を下ろすでしょう。それはわかっているんです。
だけど俺はどうしても忘れられそうにないんです。いまだって、猫の鳴き声が聞こえる度に周辺を見渡してしまう。
モ ノ
「でも、そんな事件忘れちゃった方が楽じゃない?きみは苦しくないの?」
そんなの…….っ、俺だって苦しいですよ。出来ることならもう考えたくない。気にしたくも、思い出したくもない!
….だけど、あれは実際に俺の不注意が招いたことであって。”あの時俺が主様を止めていたら。” “もっとしっかりしていたら。”ってそんな言葉ばかり浮かんで、弾けて、汚れになって。もう後戻り出来ない、といいますか。……
あはは、こんなんじゃ笑われちゃいますよね。
俺らしくもないし。
すみません、ちょっと顔を洗ってきます。俺が戻るまで、どうぞゆっくりなさって下さい。
彼が席を外している間、私は先程の話を思い返していた。
なんとも不思議な話だった。
彼女はどこに消えたのか。猫は何故野良猫でありながら、人を恐れず、彼女とまるで同時に姿を眩ましたのか。それらはどう繋がっているのか。分からないことばかりである。
…..とりあえず、彼自身にも警告しておく必要があるかもしれない。
“君も連れ去られないように気を付けてね”って。