テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
LAST

143
183
――その後、彼とは毎日同じ電車に乗るわけではなかった。
週に2回か3回電車の中で見かける。会えた日は嬉しくて顔が緩んでしまう。
彼を探し、気づけば目で追ってしまう。彼はいつもドア付近に立って外の景色を見ている。時々スマホの画面を確認してまたすぐにスマホをしまう。
ああー……かっこいいな。
『目の保養』なんて、自分に言い聞かせているだけで、あわよくばの気持ちは日に日に大きくなっていった。
もう一度、あの日みたいに彼と話せたらな。そう思うようになった。
ちらちら見ても、見つめても彼と目が合うことも無かった。……完全に赤の他人だ。彼の目に映ることが出来たらな……。
以前は、朝に彼を電車で見かけると、ラッキーくらいの気持ちで電車を降りると忘れてしまっていた。今は日に日に彼を思い出す時間が長くなっていた。
夜寝る前に、明日も会えるかな、そう思って眠りについた時は認めるしかなかった。このままじゃ嫌だ。このまま彼に存在を知られずに終わりたくない。
気持ちが目の保養からはみ出て、好意に変わっていることを――。
声、かけてみようかな。でも、気持ち悪いよね。いい年してそんなことすべきじゃないのかな。悲観的な思考が頭の中をぐるぐると回る。あんなにかっこいいんだから恋人がいないわけないじゃない。恋人どころか結婚してるかもしれない。子供もいるかも。
それならそれで、すっぱり諦めたらいいじゃない。
そうだよ、今まで私はいつもタイミングを逃して来たんだから、今度は自分から積極的に行ったっていいじゃないの。
まだ始まってない恋に決着をつけても生活が変わるわけでもないし、むしろ決着を付けた方が心置きなく次に行ける。ただ電車で見かけるだけの彼はいつ会えなくなるかわからない。電車で会った時に声をかけなければもう一生偶然なんて起こらないかもしれないのだから。
――彼に声をかけると決めてから、どう声をかけるか考えあぐねていた。
いい年して、という気持ちがブレーキをかける。電車で声をかけられて結婚した人っているのかな。どうやって始めるのだろう。全くの赤の他人なわけだし、最初に自己紹介した方がいい?
何か前例はないかとネット検索すると同じような悩みが投稿されていた。
【毎朝電車で見かける男性にひとめぼれをし、告白しよう思います。どのように思いを伝えればいいですか?】
お、あるじゃない。回答のコメントがたくさんついていた。
・自分、これされたことある。怖くて次の日から電車変えた。
・きもっ、何で同じ車両乗ってるだけで好意寄せられなきゃならないの。
・ワンチャンあると思ってる所がこわい。
・特別美人でもないんでしょやめといたら
・高校生の時、他校から手紙貰ったことある。若いから許された行為
・忙しい出勤時に声かけるのだけはやめた方がいい。無になりたい時間だよ
・自分がきもいおじに声かけられたらどう思うか、逆の立場でかんがえてみ
・私は今の主人とは社内ならぬ車内恋愛です(笑)あの時勇気出してよかったなぁと思います。もう、30年以上も前の話ですが。
ズーン、と心が沈んだ。怖い……そっか、確かに。若くもない女……。はぁ、とため息を吐いた。そりゃそうか……。
【電車で毎朝同じ車両に乗る女性とよく目が合います。これって脈ありですよね?】
こちらの質問にはもっと辛辣だった。
・きもいおっさんが見てくるから警戒してるだけじゃボケ
・あたまお花畑ですか
・どうやったらそんな発想になるの
・鏡見ろ。もう夜の窓ガラスでもいいわ、見とけ
・ほんと無理
・こういうのがいるから電車乗りたくない
……ああ、もう、やめておくのが賢明か。そう結論出すしかなかった。
確かに出勤前のひと時はとても大切だ。
何もせずぼーっとしてその日すべき業務の段取りを考えたり、気持ちを整えたりする。大袈裟だけど、これから戦場へむかう精神統一の場だ。そんな時に見知らぬ人に声をかけられたらびっくりするし、怖いと思うかもしれないし、迷惑かもしれない。そこまで思わないにしても動揺するだろう。
第一、通勤電車なんて会社に着くのにちょうどいい時間に乗っているに決まってる。足止めしていいものだろうか。
連絡先を書いた紙を渡したとしても、そこらへんにポイっと捨てられて悪意ある人にSNSにアップされたり……ああ、考えすぎかもしれないけど、手詰まりだ。
何もないうちに諦めるが賢明だ。
問題は、私の感情がなかなかそうしてくれないってことだ。頭ではわかっているけど、心が諦めてくれない。
まだ衝動的に行動を起こさなかったことは幸いだ。
――好き。
まだそこまでいってないと思うんだけど、何で諦められないんだろう。
電車、変えようかな。ぐるぐる悩んで嫌になる。
――ふと、思いついた。
賭けに出てみよう、と。それで無理なら諦めよう。
翌週、私はいつもより1本早い電車に乗り込んだ。もし、彼がその電車に乗っていたら声をかけよう。いつもと違う電車に乗ってまで会うのだとしたら少しの縁くらいはあると思うから。“告白する可能性”の方が低く分が悪い。そんな賭けのような、低い確率でも会えたらという願いのようなものだった。
万が一会えたとして向こうが急いでいる様子だったらと連絡先を書いた紙も用意した。
諦める理由をつくったつもりだった。でも、もし会えたらという期待がある。
緊張で指先が震える。会えないに違いない、そうわかっているのに。
コメント
1件
ふわっとした片思いのはずが、主人公がネットで検索した回答欄の冷たさで一気に現実を突きつけられる感じ、すごくリアルでした……。「電車、変えようかな」のあとに「賭けに出てみよう」と踏み出す迷いと切なさが、じんわり伝わってきて。指先が震えるラスト、次が気になります。