「ダメっ。まだいいじゃない?これくらいの楽しみがないと、こんなところで働けないわ」
今、小声だったけど、はっきり聞こえた。
菫《すみれ》さんは偶然を装っているけれど、絶対わかってやっている。
オネエさんとしてじゃない。男性の欲だ。
でもここで私が変なこと言ったら、お店の雰囲気も悪くなるし。
この人《菫》は勘違いだって言うだろうな。
他のお客さんが見れば、じゃれているだけだと思うだろう。
大きな声を出しそうになる自分を咄嗟に抑える。
気持ち悪い……。
目を閉じて我慢しようとした時――。
「私の桜に触れないで。離して」
椿さんがスッと動いて菫さんを私から離してくれた。
「菫。お客様に対して強引に引き止めるのは迷惑よ。止めなさい」
「はーい。ごめんなさい」
悪びれる様子もなく、謝る菫さん。
「椿さん!お会計をお願いします」
椿さんが来てくれて良かった。
「わかったわ。蘭子ママ!私、桜を上まで送ってくる」
ドリンクを運んでいた蘭子ママさんは
「桜ちゃん、また来てね!待っているわ」
笑顔でそう言ってくれた。
「はい!」
返事をし、レジへ向かう。
お財布を出そうとした時、椿さんが小声で
「お金はいいから」
そう言って、私の手を引き、ドアを開けた。
「えっ。でもっ!!」
「いいの」
半ば強引に地上へと誘導をされる。
「もう夜遅いし、一人じゃ危ないからタクシーで帰りなさいね?」
椿さんは携帯を取り出し、アプリでタクシーを呼んでくれた。
「大丈夫……」
「ダメ!私の気が済まないから!」
「はい……」
「ありがとう。私のお願いを聞いてくれて。お店に来てくれた帰りに桜に何かあったら、私、一生後悔するから」
私の我儘だから、桜は気にしないでと言ってくれた。
どうしよう、さっきの菫さんのことを|椿さん《蒼》に言った方がいいのかな。
悩んでいるうちにタクシーが到着してしまい、その場では何も伝えられずに、私は椿さんより先に帰宅することになった。
――・・・・―――。
その日の夜二十四時すぎ――。
私は蒼さんが帰ってくるのをいつものように待っていた。
どうしよう。
菫さんのことは話した方が良いのかな。
絶対故意だった。偶然じゃなかった。
私が話したら、蒼さんも気分悪くなるし、心配するよね。
だったら話さない方が――。
でも菫さんが私じゃなくて他のお客さんにも同じようなことをしたら――?
さっきから繰り返し同じことを考えてしまう。
すると
<ガチャッ>
玄関のドアが開く音がした。
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続き楽しみです!🥰