「月子ちゃん?!」
支度ができたと現れた月子の姿に二代目は絶句する。
「ちょっと、まったぁーー!!そ、それって、あの唐変木の為なのかいっ!!」
騒ぎ立てる二代目に、月子は少し戸惑いつつ、
「あ、あの、音楽学校……ですし……」
そんな言い訳めいた事を言う。
ひょっとしたら、紅を塗りすぎたのかもしれない。月子の派手な見かけに驚かれたのか。
「なんだよー!!めちゃくちゃ綺麗じゃないかぁー!!なんであの髭なしのおっさんの為なんだー!!」
二代目は、悔しそうに雄叫びをあげたが、続いてあっと、何かに気がついた素振りを見せた。
「あーー、髭!京さんもっ、てわけなのかい?!二人揃って、めかしこんで、いや、二人の世界ってやつに入り込んでるわけ?!んなことする暇あるなら、京さんも、自分の布団ぐらい干して行けよっ!!」
二代目は、妙に不機嫌になりながら、時間がないと、月子とお咲をせかした。
月子が支度している間、二代目は戸締り等々、出かける準備を行っていたようで、ここでも完璧な動きを見せてくれた。
「まあね、俺は大家だし、京さん一人じゃー本当に、男やもめに蛆が湧きそうじゃないか?!で、家が傷んでもなんだしねぇ、ちょいと手を貸しているんだよ」
だから、慣れてるんだと月子へ説明しているが、大家という枠を越えているのでは思いつつも、月子は二代目のこまめな働き具合に感心していた。
そうして、二代目に引率されるかのように、月子とお咲は岩崎のいる音感学校を目指した。もちろん月子が詰め直した弁当持参で。
そして、同じ頃──。
午前の授業を終えた岩崎は、廊下で数人の女子学生に囲まれていた。
「岩崎先生!もうお昼です!私、お弁当を、お持ちしました!」
「私も!私のお弁当を食べてください!」
「えっ!私のお弁当の方が先生のお口に合うはずです!」
岩崎を追っかけて来た女子学生達は、瞳を輝かせ我先にと自分が用意した弁当を岩崎へ差し入れしようとしている。
特に、髭が無くなり、若く見える岩崎の姿に女子学生達はいつも以上に黄色い歓声を上げていた。
「必要ないと、いつも言っているだろう。私は昼は外へ食べに行くのだから」
たちまち、えーー!と、抗議のような声に包まれ、岩崎はおもむろに顔をしかめた。
「女学生諸君!どのみち、岩崎先生一人でそれだけの弁当は食べられないだろう!」
岩崎を庇う声がする。
女学生達は、一斉に声の主を睨み付け、ふんと鼻であしらった。
中村が、助っ人ばりの顔をして仁王立っている。
「あーら、中村さん、お昼がないからって、岩崎先生へのお弁当を狙っているわけね?」
女学生の一人が、嫌みたらしく言った。
たちまち、残りの女学生達も、大きく頷く。そして、さすが玲子様!と、勝ち誇ったように口を揃えた。
「あのなっ!一ノ瀬君!図星めいた事を言ってくれるな!というよりも、どう考えても岩崎先生一人で、それだけの弁当は食べられまい!」
中村が、女学生達の中で誇らしげにしている玲子へ、苛立ちを見せた。
「もうよしてくれ。中村もいい加減にしろ!君達も早く昼にしなさい。その弁当は、男子学生へ分けてやるといい。中村。外へ食いに行くぞ」
おお、と、中村が返事し終わるやいなや、
「はあぁぁ?!弁当?!ちょっと、まったぁーー!!」
若い男の叫びがして、バタバタと廊下を駆ける音が響き渡る。
「は?!二代目?!」
中村が驚く側から、岩崎が吠える。
「二代目!廊下を走るなっ!!」
「なんだよっ!こっちは、弁当持って来たんだぜ!月子ちゃんとお咲も連れて!!」
「……月子と?」
岩崎の視線が瞬間さ迷い、そして、お咲と手を繋ぎ立っている月子の姿を認めると、ドタドタ廊下を大股で歩き月子の元へ行った。
「京さん、弁当。で、お咲も連れてきたけど、練習は放課後なんだろ?また出直して来るよ」
二代目の言い分に、
「いや、色々あって演奏会までは、授業は午前中までになった。午後からは練習時間というか、放課後扱いということで、まとまったのだ」
演奏会は上級生だけが参加する。そのため、諸々の意見を尊重し 授業は午前中で終わらせる。そして、発表会に参加しない下級生達は帰宅することになった。
「まあ、練習時間の放課後を繰り上げた形になったのだ」
確かに。岩崎達の脇を戸惑いながら会釈して通りすぎて行く、どこか幼い感じの学生達は、手に風呂敷包みを持つ帰り支度姿だった。
岩崎は、ご苦労様。また明日などと、帰宅する学生達へ声をかけた。
「じゃあ、お咲はこれから練習ってことか。っていうか、そんじゃー俺達の昼はどうすりゃーいいんだ?亀屋で昼食って、時間潰しようと思ってたのにー」
愚痴る二代目に、中村が、ニヤリとしながら言う。
「おお!弁当があるぞ!女子学生諸君達が用意している!それを頂戴すれば、すぐ練習に取りかかれる!」
「なるほど!そりゃいい!」
中村の名案に二代目が喜んでいると、すかさず玲子が口を挟んで来た。
「岩崎先生!なんですか?!その人達!部外者がどうして学校にいるのですかっ!!」
岩崎へ抗議めいた声をあげる玲子だが、視線は月子へ定まっていた。
いくぶん距離が離れているとはいえ、玲子のなんとも言い表せない冷たい視線に、月子の体はぎゅっと強ばった。