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ゆ♨️
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ゆ♨️
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スポーン・カルトの敷地の片隅。
かつてはただの物置だった粗末な小屋は、今ではアズール専用の簡易アトリエ兼寝室へと改造されていた。
壁には乾燥させた薬草が吊るされ。
天井からは何種類もの麻袋がぶら下がり。
木製の棚には、用途も名前も分からない薬瓶がずらりと並んでいる。
部屋の隅には粗末なベッド。
その隣には小さな机。
決して快適とは言えない。
それでも、アズールにとってはここが一番落ち着ける場所だった。
そして今夜。
その小さな部屋には、甘く芳醇な香りが静かに漂っていた。
「……ふふ」
木製の机の前。
アズールは両手で素焼きのマグカップを包み込んでいた。
立ち上る湯気を眺めながら、満足そうに目を細める。
淡い琥珀色の液体。
カモミールをベースに、乾燥させた野花と少量の薬草を混ぜた、アズール特製のブレンドティーだった。
「うん。今日はいい感じ」
一口飲む。
柔らかな香りが口の中に広がる。
「……やっぱり美味しい」
そのとき。
部屋の隅から。
「……ふっ」
妙な鼻息が聞こえた。
アズールはちらりと振り返る。
そこには。
ツータイムがいた。
床に座り込み、愛用のゴーストファイア・ダガーを膝の上に乗せている。
黒い指なし手袋。
灰色のローブ。
そして。
どう考えても室内でやる必要のないほど真剣な顔。
布で刃の柄を丁寧に磨いていた。
「…………」
「…………」
アズールはしばらく眺める。
「ねえ、ツータイム」
「……」
「ちょっとこっち来てよ」
ツータイムの手が止まる。
「……我が暗黒の作業を邪魔するとは」
「うん」
「愚問だな、アズール」
「はいはい」
ツータイムはゆっくりと顔を上げた。
怪しく光る瞳。
そして、なぜか妙に芝居がかった表情。
「今、この呪われし刃に新たなる魔力を定着させているところだ」
「ふーん」
「この儀式を途中で中断すれば、蓄積された闇の力が暴走し……」
「うん」
「最悪の場合、この小屋そのものが異界へと転移する可能性もある」
「へえ」
「故に」
ツータイムはダガーを掲げる。
「何人たりとも僕の集中を乱すことは許されない」
「……」
アズールは少し考えた。
「じゃあ、お茶いらない?」
「……」
ぴたり。
ツータイムの動きが止まった。
「……何?」
「お茶」
アズールはマグカップを持ち上げる。
「せっかく淹れたから、一緒に飲もうかなって」
「…………」
ツータイムの視線が。
マグカップへ移る。
そして。
アズールへ戻る。
「……」
「どうしたの?」
「……まさか」
「?」
「それは……」
ツータイムはゆっくり立ち上がった。
「新たなる密命か?」
「違う」
「カルトの長老、アマラからの指示?」
「違うって」
「あるいは……」
ツータイムの目が細くなる。
「僕の暗黒の力を恐れた刺客が、毒を盛った可能性も……」
「ただのお茶だよ!!」
アズールが笑う。
「何でお茶飲むだけで命懸けなんだよ!」
「油断はできない」
「できるよ」
「この世界に安全なものなど存在しない」
「いや、ハーブティーくらい信じてよ」
「…………」
アズールはため息をつきながら、マグカップを差し出した。
「ほら」
「……」
「カモミールベース」
「…………」
「最近ずっと夜更かしして変な呪文書読んでるでしょ」
「……」
「少しはリラックスしなさい」
ツータイムは黙った。
そして。
ものすごく慎重に。
黒い手袋をはめた手でマグカップを受け取った。
「…………」
持ち方がおかしい。
完全に劇薬を扱う錬金術師のそれだった。
「何その持ち方」
「念には念を入れている」
「普通に持っていいよ」
ツータイムは聞いていない。
カップを目の高さまで持ち上げる。
湯気が鼻先をくすぐる。
「……ふむ」
真剣な顔で匂いを嗅ぐ。
「…………」
もう一度。
「…………」
さらにもう一度。
アズールが眉をひそめる。
「何回嗅ぐの?」
「静かに」
「はいはい」
ツータイムの目が鋭くなる。
「この芳香……」
「うん」
「ただの植物の汁ではないな」
「お茶です」
「この甘く柔らかな香り……」
「カモミールです」
「僕の暗黒血と共鳴している……」
「してないよ」
「精神の均衡を崩壊させ……」
「しないよ」
「あるいは……」
ツータイムは低く呟いた。
「永劫の眠りへと誘う……」
そして。
カップを見つめる。
「『忘却の秘薬』……!」
「違うってば」
アズールは吹き出しそうになる。
「普通のブレンドティー」
「……」
「僕が作っただけ」
「……」
「毒もない」
「……」
「呪いもない」
「……」
「世界も滅びない」
「……本当に?」
「本当」
ツータイムはしばらく黙っていた。
そして。
「……ならば」
ゆっくりとカップを口元へ運ぶ。
「我が強靭なる精神力をもって……」
「うん」
「この禁断の聖戦を……」
「うん」
「乗り越えてみせよう」
「はいはい」
ごく。
一口。
その瞬間だった。
「…………」
ツータイムの動きが止まった。
背筋が。
ピシッ。
と伸びる。
「…………」
アズールは首を傾げた。
「どう?」
「…………」
ツータイムは答えない。
ただ。
カップを持ったまま固まっている。
「ツータイム?」
「…………」
「大丈夫?」
「…………」
数秒後。
ツータイムの眉間から、ゆっくりと力が抜けた。
そして。
「…………うまっ!?」
声が。
裏返った。
完全に。
素だった。
「…………」
アズールも。
止まった。
「…………」
ツータイムも。
止まった。
「…………」
二人の視線がぶつかる。
ツータイムの顔が徐々に赤くなる。
「あ」
アズールが小さく呟いた。
「……今の」
「…………」
「めっちゃ素だったね」
「…………」
「『うまっ!?』って」
「…………」
「ふふ」
ツータイムの顔がさらに赤くなる。
「…………」
「ふっ」
アズールの肩が震え始める。
「…………」
「ふふふ……」
「笑うな」
「ごめ……」
「笑うな」
「……っ」
「アズール」
「無理」
「…………」
「無理無理無理!」
「……!」
「あははははははっ!!」
完全に決壊した。
アズールは腹を抱えた。
「ちょっ……!」
「…………」
「何その声!!」
「…………」
「『うまっ!?』って!!」
「…………」
「さっきまで『我が暗黒血と共鳴する禁断の秘薬』とか言ってたじゃん!!」
「…………」
「ただのハーブティーに一口で屈服してるじゃん!!」
「屈服ではない!」
ツータイムが反射的に叫ぶ。
「……っ」
だが。
その声すら少し裏返っている。
「ぷっ……!」
アズールがまた吹き出した。
「だめ……!」
「笑うな!」
「あははっ!」
「これは……!」
「お腹痛い……!」
「我が暗黒の魔力が一時的に……!」
「魔力が!?」
「味覚への制御権を……!」
「何それ!!」
「奪われただけだ!!」
「言い訳が苦しいって!!」
アズールはとうとう床に座り込んだ。
「はははっ……あーっ、お腹痛い……!」
「…………」
ツータイムは耳まで真っ赤にしながら、マグカップを胸元へ引き寄せた。
「……笑うがいい」
「うん」
「好きなだけ笑え」
「笑うよ」
「……」
「だって可愛すぎるもん」
「…………」
ツータイムが固まった。
「……可愛い?」
「うん」
「僕が?」
「そう」
「…………」
今度は顔全体が赤くなる。
「……それは、その」
「何?」
「……想定していない」
「何を?」
「可愛いと言われることを」
アズールは一瞬だけ黙った。
そして。
にやり。
「じゃあ、もう一回言おうか?」
「やめろ」
「ツータイム、可愛い」
「やめろ」
「お茶飲んで『うまっ!?』ってなる魔王様、可愛い」
「やめろ!」
「ふふっ」
「…………」
ツータイムは完全にそっぽを向いた。
だが。
マグカップだけは。
しっかりと両手で抱えている。
「……ふん」
「ん?」
「笑うがいいさ」
「うん」
「我が暗黒の魔力が、あまりの美味さに一時的に肉体の制御権を奪われただけだ」
「はいはい」
「これは敗北ではない」
「うんうん」
「むしろ、この深遠なる味わいを見抜いた僕の勝利だ」
「そうだね」
「……」
「魔王様の勝利ですねー」
「……その言い方は腹が立つ」
「ふふっ」
アズールはようやく笑いを落ち着かせると、自分のマグカップを手に取った。
「でもさ」
「何だ」
「美味しいでしょ?」
ツータイムは答えなかった。
ただ。
もう一口。
ごく。
そして。
「……うん」
小さく呟いた。
今度は。
厨二病でも。
魔王でも。
暗黒の騎士でもない。
ただのツータイムの声だった。
「……美味しい」
アズールは嬉しそうに笑った。
「よかった」
「……」
ツータイムはマグカップを眺める。
湯気がゆっくりと立ち上る。
甘い香りが鼻先をくすぐる。
昼間の肉体労働。
カルトの重苦しい空気。
絶え間ない緊張。
明日への不安。
そういうものが。
ほんの少しだけ遠ざかっていく。
「……アズール」
「ん?」
「また作ってくれ」
「もちろん」
「……今度はもう少し多めに」
「そんなに気に入ったんだ?」
「……」
ツータイムは目を逸らした。
「……暗黒の封印を安定させるためだ」
「はいはい」
「重要な儀式だ」
「はいはい」
「僕の生命維持に必要な……」
「ただのお茶だよ」
「…………」
「ふふっ」
ツータイムは再びそっぽを向いた。
しかし。
口元には。
ほんの少しだけ。
隠しきれない笑みが浮かんでいた。
薄暗い物置小屋。
乾燥した薬草の香り。
二つのマグカップから立ち上る湯気。
そして。
「……ところで、これ何の薬草?」
「それは飲んじゃダメ」
「なぜ?」
「猛毒だから」
「…………」
「ふふっ」
「……先に言え!!」
小さな部屋に。
アズールの笑い声と、ツータイムの慌てた声が響き渡った。
その夜。
スポーン・カルトのどこか不穏な片隅で。
世界を滅ぼしかねない暗黒の魔王は。
一杯のハーブティーによって、完全に心を解きほぐされていた。