テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#Vanity
ゆ
1,603
#1x1x1x1
ゆ
461
城プル
11,163
99
スポーン・カルトの敷地の片隅。
かつてはただの物置だった粗末な小屋は、今ではアズール専用の簡易アトリエ兼寝室へと改造されていた。
壁には乾燥させた薬草が吊るされ。
天井からは何種類もの麻袋がぶら下がり。
木製の棚には、用途も名前も分からない薬瓶がずらりと並んでいる。
部屋の隅には粗末なベッド。
その隣には小さな机。
決して快適とは言えない。
それでも、アズールにとってはここが一番落ち着ける場所だった。
そして今夜。
その小さな部屋には、甘く芳醇な香りが静かに漂っていた。
「……ふふ」
木製の机の前。
アズールは両手で素焼きのマグカップを包み込んでいた。
立ち上る湯気を眺めながら、満足そうに目を細める。
淡い琥珀色の液体。
カモミールをベースに、乾燥させた野花と少量の薬草を混ぜた、アズール特製のブレンドティーだった。
「うん。今日はいい感じ」
一口飲む。
柔らかな香りが口の中に広がる。
「……やっぱり美味しい」
そのとき。
部屋の隅から。
「……ふっ」
妙な鼻息が聞こえた。
アズールはちらりと振り返る。
そこには。
ツータイムがいた。
床に座り込み、愛用のゴーストファイア・ダガーを膝の上に乗せている。
黒い指なし手袋。
灰色のローブ。
そして。
どう考えても室内でやる必要のないほど真剣な顔。
布で刃の柄を丁寧に磨いていた。
「…………」
「…………」
アズールはしばらく眺める。
「ねえ、ツータイム」
「……」
「ちょっとこっち来てよ」
ツータイムの手が止まる。
「……我が暗黒の作業を邪魔するとは」
「うん」
「愚問だな、アズール」
「はいはい」
ツータイムはゆっくりと顔を上げた。
怪しく光る瞳。
そして、なぜか妙に芝居がかった表情。
「今、この呪われし刃に新たなる魔力を定着させているところだ」
「ふーん」
「この儀式を途中で中断すれば、蓄積された闇の力が暴走し……」
「うん」
「最悪の場合、この小屋そのものが異界へと転移する可能性もある」
「へえ」
「故に」
ツータイムはダガーを掲げる。
「何人たりとも僕の集中を乱すことは許されない」
「……」
アズールは少し考えた。
「じゃあ、お茶いらない?」
「……」
ぴたり。
ツータイムの動きが止まった。
「……何?」
「お茶」
アズールはマグカップを持ち上げる。
「せっかく淹れたから、一緒に飲もうかなって」
「…………」
ツータイムの視線が。
マグカップへ移る。
そして。
アズールへ戻る。
「……」
「どうしたの?」
「……まさか」
「?」
「それは……」
ツータイムはゆっくり立ち上がった。
「新たなる密命か?」
「違う」
「カルトの長老、アマラからの指示?」
「違うって」
「あるいは……」
ツータイムの目が細くなる。
「僕の暗黒の力を恐れた刺客が、毒を盛った可能性も……」
「ただのお茶だよ!!」
アズールが笑う。
「何でお茶飲むだけで命懸けなんだよ!」
「油断はできない」
「できるよ」
「この世界に安全なものなど存在しない」
「いや、ハーブティーくらい信じてよ」
「…………」
アズールはため息をつきながら、マグカップを差し出した。
「ほら」
「……」
「カモミールベース」
「…………」
「最近ずっと夜更かしして変な呪文書読んでるでしょ」
「……」
「少しはリラックスしなさい」
ツータイムは黙った。
そして。
ものすごく慎重に。
黒い手袋をはめた手でマグカップを受け取った。
「…………」
持ち方がおかしい。
完全に劇薬を扱う錬金術師のそれだった。
「何その持ち方」
「念には念を入れている」
「普通に持っていいよ」
ツータイムは聞いていない。
カップを目の高さまで持ち上げる。
湯気が鼻先をくすぐる。
「……ふむ」
真剣な顔で匂いを嗅ぐ。
「…………」
もう一度。
「…………」
さらにもう一度。
アズールが眉をひそめる。
「何回嗅ぐの?」
「静かに」
「はいはい」
ツータイムの目が鋭くなる。
「この芳香……」
「うん」
「ただの植物の汁ではないな」
「お茶です」
「この甘く柔らかな香り……」
「カモミールです」
「僕の暗黒血と共鳴している……」
「してないよ」
「精神の均衡を崩壊させ……」
「しないよ」
「あるいは……」
ツータイムは低く呟いた。
「永劫の眠りへと誘う……」
そして。
カップを見つめる。
「『忘却の秘薬』……!」
「違うってば」
アズールは吹き出しそうになる。
「普通のブレンドティー」
「……」
「僕が作っただけ」
「……」
「毒もない」
「……」
「呪いもない」
「……」
「世界も滅びない」
「……本当に?」
「本当」
ツータイムはしばらく黙っていた。
そして。
「……ならば」
ゆっくりとカップを口元へ運ぶ。
「我が強靭なる精神力をもって……」
「うん」
「この禁断の聖戦を……」
「うん」
「乗り越えてみせよう」
「はいはい」
ごく。
一口。
その瞬間だった。
「…………」
ツータイムの動きが止まった。
背筋が。
ピシッ。
と伸びる。
「…………」
アズールは首を傾げた。
「どう?」
「…………」
ツータイムは答えない。
ただ。
カップを持ったまま固まっている。
「ツータイム?」
「…………」
「大丈夫?」
「…………」
数秒後。
ツータイムの眉間から、ゆっくりと力が抜けた。
そして。
「…………うまっ!?」
声が。
裏返った。
完全に。
素だった。
「…………」
アズールも。
止まった。
「…………」
ツータイムも。
止まった。
「…………」
二人の視線がぶつかる。
ツータイムの顔が徐々に赤くなる。
「あ」
アズールが小さく呟いた。
「……今の」
「…………」
「めっちゃ素だったね」
「…………」
「『うまっ!?』って」
「…………」
「ふふ」
ツータイムの顔がさらに赤くなる。
「…………」
「ふっ」
アズールの肩が震え始める。
「…………」
「ふふふ……」
「笑うな」
「ごめ……」
「笑うな」
「……っ」
「アズール」
「無理」
「…………」
「無理無理無理!」
「……!」
「あははははははっ!!」
完全に決壊した。
アズールは腹を抱えた。
「ちょっ……!」
「…………」
「何その声!!」
「…………」
「『うまっ!?』って!!」
「…………」
「さっきまで『我が暗黒血と共鳴する禁断の秘薬』とか言ってたじゃん!!」
「…………」
「ただのハーブティーに一口で屈服してるじゃん!!」
「屈服ではない!」
ツータイムが反射的に叫ぶ。
「……っ」
だが。
その声すら少し裏返っている。
「ぷっ……!」
アズールがまた吹き出した。
「だめ……!」
「笑うな!」
「あははっ!」
「これは……!」
「お腹痛い……!」
「我が暗黒の魔力が一時的に……!」
「魔力が!?」
「味覚への制御権を……!」
「何それ!!」
「奪われただけだ!!」
「言い訳が苦しいって!!」
アズールはとうとう床に座り込んだ。
「はははっ……あーっ、お腹痛い……!」
「…………」
ツータイムは耳まで真っ赤にしながら、マグカップを胸元へ引き寄せた。
「……笑うがいい」
「うん」
「好きなだけ笑え」
「笑うよ」
「……」
「だって可愛すぎるもん」
「…………」
ツータイムが固まった。
「……可愛い?」
「うん」
「僕が?」
「そう」
「…………」
今度は顔全体が赤くなる。
「……それは、その」
「何?」
「……想定していない」
「何を?」
「可愛いと言われることを」
アズールは一瞬だけ黙った。
そして。
にやり。
「じゃあ、もう一回言おうか?」
「やめろ」
「ツータイム、可愛い」
「やめろ」
「お茶飲んで『うまっ!?』ってなる魔王様、可愛い」
「やめろ!」
「ふふっ」
「…………」
ツータイムは完全にそっぽを向いた。
だが。
マグカップだけは。
しっかりと両手で抱えている。
「……ふん」
「ん?」
「笑うがいいさ」
「うん」
「我が暗黒の魔力が、あまりの美味さに一時的に肉体の制御権を奪われただけだ」
「はいはい」
「これは敗北ではない」
「うんうん」
「むしろ、この深遠なる味わいを見抜いた僕の勝利だ」
「そうだね」
「……」
「魔王様の勝利ですねー」
「……その言い方は腹が立つ」
「ふふっ」
アズールはようやく笑いを落ち着かせると、自分のマグカップを手に取った。
「でもさ」
「何だ」
「美味しいでしょ?」
ツータイムは答えなかった。
ただ。
もう一口。
ごく。
そして。
「……うん」
小さく呟いた。
今度は。
厨二病でも。
魔王でも。
暗黒の騎士でもない。
ただのツータイムの声だった。
「……美味しい」
アズールは嬉しそうに笑った。
「よかった」
「……」
ツータイムはマグカップを眺める。
湯気がゆっくりと立ち上る。
甘い香りが鼻先をくすぐる。
昼間の肉体労働。
カルトの重苦しい空気。
絶え間ない緊張。
明日への不安。
そういうものが。
ほんの少しだけ遠ざかっていく。
「……アズール」
「ん?」
「また作ってくれ」
「もちろん」
「……今度はもう少し多めに」
「そんなに気に入ったんだ?」
「……」
ツータイムは目を逸らした。
「……暗黒の封印を安定させるためだ」
「はいはい」
「重要な儀式だ」
「はいはい」
「僕の生命維持に必要な……」
「ただのお茶だよ」
「…………」
「ふふっ」
ツータイムは再びそっぽを向いた。
しかし。
口元には。
ほんの少しだけ。
隠しきれない笑みが浮かんでいた。
薄暗い物置小屋。
乾燥した薬草の香り。
二つのマグカップから立ち上る湯気。
そして。
「……ところで、これ何の薬草?」
「それは飲んじゃダメ」
「なぜ?」
「猛毒だから」
「…………」
「ふふっ」
「……先に言え!!」
小さな部屋に。
アズールの笑い声と、ツータイムの慌てた声が響き渡った。
その夜。
スポーン・カルトのどこか不穏な片隅で。
世界を滅ぼしかねない暗黒の魔王は。
一杯のハーブティーによって、完全に心を解きほぐされていた。